声を上げるということ
車椅子になってから、色々なことを体験してきた。
もともと曲がったことが大嫌いなので、対応できることは動くようにしている。
福祉課や厚生労働省にも、間違ったことについては、おかしいと声を上げてきた。
差別も受ければ、しっかり事実として報告もする。
(マンション購入先の不動産会社が規約を改ざんして、私に差別をしてきた時も、証拠を集めて手付金を返してもらうことができた。)
公共のエレベーター前に電動キックボード置き場ができて、
車椅子やベビーカー、手足の不自由な方が通れない時も撤去してもらえるように動いた。
今日もあるところから、多く支払った分を返金してくれるように必死に動いてくたびれた。
皆がみんな、ルールやマナーを守れれば平和な世の中になるのだが、守ってくれないのなら動くしかない。
父や友人には「政治家になったら?」、と言われることもあるが、
馬鹿正直な自分は関係者からは煙たがられるだろうし、
きっと腹の立つことばかりで、始終怒って血圧が上がりっぱなしになりそうだ。
(女性がしなだれかかっている障害者のとある元政治家と、観劇時に隣になった時、
「あなたが障害を武器に問題を起こしまくって、車椅子ユーザーや障害者のイメージが地に落ちている。」
と言いそうになるのを堪えるのが本当に大変だった。)
できることならひっそりと死んでいきたいが、
結局目の前に間違ったことが起こると、また動いてしまうのだろう。
小さな声ではあるが、どこかには届いてくれるとありがたい。
shishimayu
ブログランキングに参加しています。
更新の励みになりますので、クリックをよろしくお願いいたします。↓