恐れや不安があって、
前進できない。

いつものことだ。

恐れや不安がない人を羨む。
足元がすくむ。

恐れや不安が
人一倍強い自分。

なんて弱い自分なんだと、

絶望することもある。

でも、
それでもいいじゃないかと
思い直す。

だって、
弱い自分であれば、

同じ思いを抱いてしまい、
苦しんでいる人に

心から共感し、
寄り添うことができる。

ホントの気持ちが分かる。

だから、
そこを助け合っていきたい。

それが自分の性に合っていそう。

恐れや不安を克服し、
人生バラ色、高収入の人もいる。

とてもうらやましい。

でも、自分には無理。

私ができることは、

 

怯えている人に寄り添って、
一緒に前進したいこと。

 

私のしたいことは、


苦しんでいる人の地獄に
一緒に飛び込んで、
一緒に手をつないで、

戻ってくること。

そこに人生の幸せを
見つけたい。

私の価値観は、
そこにこだわっている。

好きな言葉。

 

艱難汝を玉にす。

でも、それって、

恐れや不安を克服しないで、
人生バラ色のチャンスを

逃してきたんじゃないの?

その言い訳の気もする。

でも、
こういう捉え方もできないか。

バラ色の人生や、
お金を目の前に積まれても、

苦しんでいる人に
寄り添うことを
あえて選択し、

また、
自分の苦しみにも
しっかり付き合いたい、
と希望して、

バラ色の人生を

送るチャンスではなく、

そういった
精神修養のチャンスを選んだ

それが
自分が
本当にしたかったこと

そうと思えないか。

この世に生を受けて、
私は、
今の方向性、
いま自分がこんな自分であること、

要領が良くない自分

もっとうまくやればいいのに、
と言われても、

人生の選択において、

いつもいつも、
苦しい方向の選択をする自分

しかし、
それって、
どうしても譲れない、

自分が本当に望んで、
そうなってきたんだろう、

 

要領ではなく、

不器用を選んだ、


こんな自分なのかなと思う。

不安や恐れを克服したり、
征服するのではなく、

不安や恐れは
消滅させられないので、
それらを制御すること。

日々、難しい感情と、
うまく付き合っていくこと。

付き合う技を磨くこと。

それで、
自分の弱さと
人の弱さを
受け入れつつ、

日々を穏やかに

過ごしていくこと。

それが
今の自分は、
一番大事だと、
思い直す今日この頃。

「不安や恐れはあっていい」

「ChatGPTの回答」

不安や恐れは人間らしい感情であり、否定する必要はありません。実際、不安や恐れは自己成長の機会として捉えることができます。これらの感情を理解し、適切に扱うことで、成長や学びの機会となることがあります。

不安や恐れを経験することで、自分自身や周囲の状況に対する理解が深まり、自己認識が高まります。また、そのような感情に直面したときにどのように対処すべきかを学び、自己管理能力を向上させることができます。

さらに、不安や恐れがあることで新しいチャレンジに挑戦し、成長する機会を提供してくれる場合もあります。それらの感情を克服することで、自信を深めることができますし、自己成長の過程での重要な一歩となるでしょう。

つまり、不安や恐れを否定せずに受け入れ、それらと向き合うことで、自己成長の機会を見出すことができます。これらの感情を肯定的な方向に向けることで、より強く、成熟した人間として成長することができます。

 
 

 

人以上に失敗してきたこと。
本当にこれができてよかったと、
実感している。
 
道を踏み外した時に、
その復帰の仕方が、
たくさん引き出しにある。
 
それほど、
心強いことはない。
 
この引き出しを、
どれだけ、
たくさん持っているか、
 
それが、
私の自慢のコレクションだ。

 

私の失敗の根源。

 

 
それは、
取り乱すのが一番キツイ、
と思っている。
 
だから、
取り乱し始めた時に、
または、それが起きる直前に、
自己チェックできるのが、
一番ありがたい。
 
私は、自分の本性を、
性悪説で考えるようにしている。
 
性善説で考えてもいいのだが、
そうすると、
経験的に、
しんどいことが多く起きるからだ。
 
だから、性悪説。
いったんは仮定で。
 
性善説を前提に置いてみて、
失敗を恐れずに、
ひたすら前進。
そういう人生もありなんだろう。
 
でも、自分に合うのは、

性悪説。

 
それを前提に考えてみる。
 
自分は失敗する、
それも知らず知らずのうちに。
 
一番まずい時ほど、
まずいところに没入してしまった時ほど、
自分は気づかないものだ。
 
そうやって、
性悪説で考えておけば、
知らずのうちに失敗している最中の自分が、
気付くように準備できる。
 
前もって、認識が正常なうちに、
自分のためのチェック機構を作っておける。
 
日々の座禅で気づくこと。
焦っていると、
心の底から、
焦りがこみあげているのが分かる。
 
日記を書いていて分かること。
書くことがなくなってくると、
焦っている証拠。
 
日記はあえて、
手書きにしている。
 
文字がこじんまりしてくると、
怯えている証拠。
 
字が汚く見えてくると、
自己嫌悪が強いか。
 
また、先日、職場に、
腕時計を忘れてしまった。
それも、かなり焦っている証拠だろう。
 
自己チェックを入れていても、

やはり、

しんどい状況に追い込まれることも多い。
 
そんなときの自己チェック。
 
ちょっと踏ん張れば、
ぼろぼろになりながらでも、
かならずや、
その状況から抜け出して、

少しは自己成長できるだろう、

 

そんな考え方を持つこと。

希望を忘れないこと。

 

そんな考えのもとに、

どうにか、

こうにか、

毎日を過ごすようにすると、

どうにか、

こうにか、

前進できる。

 

だから、

私の引き出しには、

多くの失敗たちが、

キラキラと輝いている。

 

50年以上の時間をかけて、

砂浜か、鉱山か、

人生の中を、

ぶらぶら歩いて、

たくさんの宝石を集めることができた。

 

そんな感じなんだろうか。

 

「人以上に失敗することの利点 」

「ChatGPTの回答」

失敗をたくさん経験することには、多くの利点があります。しばしば、これらの経験は私たちの成長と発展において非常に価値があるものとなります。以下は、人よりも多く失敗することの主な利点です。

  1. 学習と発展: 失敗は最も強力な教師の一つです。多く失敗することで、何がうまくいかなかったのか、どのように改善できるのかを深く理解する機会を得ることができます。このプロセスを通じて、スキルを磨き、知識を拡大することができます。

  2. レジリエンス(回復力)の向上: 頻繁に失敗すると、挫折に直面した際の対処能力が向上します。回復力は、困難やストレスの多い状況に適応し、それを乗り越える能力を意味します。失敗を経験することで、これらの困難に対する精神的な耐性が育ちます。

  3. イノベーションへの道: 大きなリスクをとり、頻繁に失敗する人々はしばしば、革新的なアイデアや解決策を見つけ出すことができます。失敗は、問題を異なる視点から見る機会を提供し、既存の枠を超えた創造的な思考を促します。

  4. 自己認識の向上: 失敗を通じて、自分自身の限界や強み、弱みについてより良く理解できるようになります。この自己認識は、個人的および専門的な成長に不可欠です。

  5. 恐怖の克服: 失敗を繰り返すことで、失敗への恐怖が減少します。恐怖を乗り越えることができれば、より大胆な目標に挑戦する勇気が生まれ、可能性の範囲が広がります。

  6. 関係性の強化: 共に失敗を経験した人々との間には、しばしば強い絆が形成されます。これは共感や支援の重要性を教えてくれ、チームワークやコミュニケーションスキルを向上させることができます。

  7. 本質的価値の理解: 失敗を重ねることで、成功だけが自己価値の源泉ではないことを理解するようになります。これにより、外部の評価に左右されず、自己の価値を内面から見出すことが可能になります。

このように、人以上に失敗することは、多くの重要な教訓と成長の機会をもたらします。したがって、失敗を恐れずに新たな挑戦を続けることが、個人の発展において非常に重要な要素となります。