まずキリスト教の人は聖書を長年読んでいる人もいます。
しかし、聖書が理解できている人はごく僅かです。
なぜならコリント第二4:4であるようにサタンが妨害しているからです。
なので、キリスト教の人は真面目に聖書を勉強しようと思っても、なかなか真理を知る事ができません。
なので、神の名前を告げるにしてもある程度の配慮をする必要があるのです。
キリスト教徒 私は長年聖書を読んでいますよ(だいたい30年くらいかな)
エホバの証人 そうなんですね、ちなみに神の名前は知っていますか?
キリスト教徒 もちろん知っていますよ、イエスですねっ!
エホバの証人 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
エホバの証人 詩篇83編18節
キリスト教徒 そうなんですね……
エホバの証人 □□□□□□□□□□□
というような話し合いが多いですが、ここで〇〇〇〇の部分を省いて直接聖句を詠んでいる人がほとんどです。
更に、□□□□の部分を説明せずに切り上げているエホバの証人が多いです。
キリスト教徒の見方からしたら、一方に来て神の名前を教えて来るが、実際に正しいかどうかも不明なので疑いを持ってしまうわけです。
それで教会の人に聞いて、エホバの証人は独自の聖書を持っていると言われれば納得してしまうのです。
なので、〇〇〇〇の部分と、□□□□の部分で更に興味を持ってもらう事が必要なのです。
〇〇〇〇の部分はなんでしょうか?
コロサイ4:6にあるように塩で味付けされた快い言葉です。
これは優しい口調や態度なども含みますが、重要な点は相手の背景を考慮してクッション言葉を置く事です。
自分が使っている一例ですが、
「多くのキリスト教徒の人も知らなくて驚かれるのですが、実はイエスではないんです」
「そうですね、イエスは聖書で重要な人物ですよねっ!
神との関わりも深いので、イエスは神と似たような特質を持っておられますが、実は別々の存在なんです」
だいたいこのくらいが当てはまります。
前者は他のキリスト教徒も知らないと言っているので、一般向けです。
後者は、本当に聖書を熱心に学んでいる人に向けていうと良いでしょう。
後者の方がオススメですね。
では、□□□□に入る部分はなんでしょうか?
そこは、再訪問の土台を築く言葉なんですが、自然な流れならこうです。
「どうしてキリスト教徒の人は神の名前を用いていないんだろうと多くの人が疑問を持っておられます。〇〇さんもそのように疑問を感じておられますか?
次に訪問した時にその事についてお話しします」
この内容が妥当ですね。
更に、キリスト教徒の人が良い人で絶対に聖書を学んで欲しいと思うなら、「〇〇さんのように聖書を熱心に学んでいる方に会えて大変嬉しく思います。
聖書を真剣に勉強している人は貴重なので、ぜひお互いに聖書の良い事柄について話し合いたいですっ!」
と言うのが良いでしょうっ!
では、今後も引き続き聖書に関心のある人を助けていきましょうっ!