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本と音楽とねこと

10歳で私は穢された

橋本なずな,2023,10歳で私は穢された,双葉社.(3.9.24)

(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。) 

 読んでいて、耐えられなくなるほど、辛くなった。

 なずなさんは、10歳のときに、「おじさん」から性虐待を受ける。

 10歳の私におじさんが繰り返した、おぞましい行為の数々──。
(中略)
 私さえ黙っていれば、我慢していれば、全部うまくいく。
 あれは、悪い夢やったんや。
 忘れるんや。
 何度そう思ったことでしょう。いや、思おうとしたことでしょう。
 でも、忘れられるわけなんかない。
 10年以上も前のことなのに、フラッシュバックは今も私を追いかけ、捕らえ
え、容赦なく襲ってきます。
 お前は、穢れた存在だ。
 一生、誰からも大切になどされるわけがないのだ、と嘲笑いながら。
 今回、出版の機会を与えていただき、長年封印していた忌まわしい記憶をすべて明かすことを決心しました。
 こみ上げる吐き気にえずき、ぐしゃぐしゃに泣きながら、それでも掘り起こしました。
 私もあなたも、穢れた存在なんかじゃない。
 断じて、穢れてなんかいない。
 ちゃんと、ちゃんと幸せになっていい。
 その思いを、どうしても伝えるために。
(pp.58-59)

「ショートパンツ越しに私の陰部をこねくり回し…」小学5年生の少女が“母親の彼氏”から受けた“おぞましい性的虐待”

 性虐待が過酷なのは、たとえその場をやり過ごせたとしても、その後、下手をすれば、一生、忌まわしい記憶がその人を苦しめ続けてしまうからだ。

 たとえ10年たとうが、20年たとうが、つらい記憶の濁り水は決して減ったりしない。
 生きれば生きるほど、増えて、重たくなっていく。
 自身の尊厳を徹底的にいたぶられる性的虐待は、それほどまでに凄まじい傷跡を残すのだと。
(p.165)

 性虐待被害者が、セックス依存の「ビッチ」に墜ちるのも、もはや、定番の事実だ。

 私の価値は、セックスや。セックスだけや。
(中略)
 痛い......。
 私が痛かったのは、体ではなく、心でした。
 ビッチの私は、今や悲しい性奴隷でした。
 自分で望んで男性と寝ているのに、なんで性奴隷?
 そう疑問に思う方も多いでしょうね。
(中略)
 私はセックスを通してしか存在価値を見出せないし、セックスしないと息も吸えない。
 世界で通用するようなダンスの才能もなければ、お金もない。
 セックスを求められること以外、何にも持ってない。
 誰からも必要とされないなんて、耐えられへん。
 ひとりは、イヤや。
 私の体は、誰かに必要とされるための、唯一の武器や。
 そう思ってました。
 たとえマッチングアプリで出会いの機会を持ったにせよ、男の人からの誘いを拒むこともできたはず。
 けれど、それを許さなかったのは、他でもない私自身だったのです。
 体以外、差し出すものが何もなかったから。
 あなたに、私のすべてを──この体を捧げます。
 だから、代わりに私を求めて。
 お願い、私が必要だと言って。
 ひとりにしないで。
 私には、選ぶ権利なんかなかった。
 これを〝奴隷"と呼ばずして、何と呼べばいいのでしょうか。
 性奴隷だなんて誰も思っちゃいないのに、私は、私自身を、みずから進んで性奴隷として扱っていたんです。
 この事実に気付いた時、ゾッとしました。
 唯一の武器であるはずのセックスが、私自身を切り刻み、ズタズタに傷つけていたことに。
(pp.129-132.)

 これほど、性虐待被害者が、自尊感情をもちえず、癒やしがたい愛着欲求を、自傷的性行為で充たそうとする、そして、そのことがさらに自尊感情の低下、愛着飢餓を招来してしまう、その「生き地獄」のありさまを、生々しく描き出しているものが、ほかにあろうか。

 わたしは、胸の奥深い部分に鉛を入れられてしまったような、そんな感覚におそわれた。
 胸が痛む、というレベルではない。

 なずなさんは、性虐待から自分を守ってくれなかった母に、包丁の刃を向ける。

「お前を殺そうと思ってんだよ!私はな!お前がいなければ、お前さえいなければ、今こうなってないんだよ!!」
 ずっと叫びたくても叫べなかった声が、絶叫となって全身から放たれます。「なぁ、知ってるんやろ! 私が性的虐待受けたことも全部!!なんで助けてくれへんかったんや!なんで守ってくれへんかったんや!」
 その場で立ち尽くす母に、容赦なく呪いの言葉を浴びせかけました。
「謝れよ!詫びろよ!!お前が全部悪いんやから!!悪いと思ってるんなら死ねよ!死んで償えよ!!」
 せめて一言でも謝ってほしかった。
 ずっとひとりぽっちで抱えてきた重すぎる荷を、他でもない最愛の母にこそ分かち合ってほしかった。
(pp.201-202.)

 なずなさんは、22歳で大学に入学するかたわら、こころ病む人とカウンセラーをマッチングする企業、Blosteの代表を務めている。

 また、Note@なずなさんでも、積極的に情報発信を行っている。

 なずなさんは、どこにでもいそうな女の子だ。

 悩みながらも懸命に生きているなずなさんの姿を見て、嗚咽、涙が止まらなくなった。

 きっと、たくさんのなずなさんが、いることだろう。

 そんな人に、わたしが無力であること、それがいちばん悔しいが、どうか元気にして生き延びてほしい、そう願うばかりだ。

8歳。父のDVで両親が離婚。その後、ひとつ年上の兄は家出。「死にたい」と泣く母を前に、心を決めた。お兄ちゃんの分まで「いい子」になる、と。
10歳。母の恋人から性的虐待を受けた。でも、誰にも言えなかった。「おじさん」がいなくなったら、ママは今度こそ死んでしまう。歯を食いしばって耐えた。
18歳。不登校を乗り越えて高校卒業後、パーフォーマーになる夢を抱きニューヨークに短期語学留学を果たす。だが、周囲との圧倒的なレベルの差に挫折して失意の帰国。
「自分は生きていてもいい存在だと思いたくて」、気付いた時には男性と積極的に性的関係を持つビッチになっていた。完全な自傷行為だった。
20歳の誕生日を目前に控えた20年1月。彼氏との些細ないさかいを機に心の病を発症し、アルバイトしていた飲食店等を休職。追い打ちをかけるようにコロナ禍に襲われ、店は休業・収入ゼロに。
もう、いやや。死のう。
いつしかベルトを首に巻いていた。
病院で目覚めた――死ねなかった。
やがて、憎しみの刃は最愛の母へと向かう。極寒の深夜2時、修羅場の幕はまさに切って落とされようとしていた。

橋本なずなさん、23歳。
現在はカウンセラーとユーザーを結ぶ出会いの場「Bloste(ブロステ)」を起業する傍ら、社会人大学生として生き直している。
性的虐待、セックス依存、自殺未遂、母の呪縛……壮絶な過去から時に逃げ、時にもがきながら必死でつかんだ「明日」とは? そして見出した圧倒的な「希望の光」とは?
今、生きるのがしんどいすべての人に捧げる著者渾身のメッセージ!!

母の恋人からの性的虐待、セックス依存、自殺未遂―。逃げてもがいた過去、そして見つけた明日。渾身のノンフィクション。

目次
第1章 崩壊した家族
幸せだった日々
華やかな兄へのコンプレックス ほか
第2章 性的虐待
母に言えなかった「おじさん」のこと
不気味な予兆 ほか
第3章 「ビッチ」という名の自傷行為
中学で不登校に
人生を変えた海外ドラマ『glee』 ほか
第4章 コロナ禍と二度の自殺未遂
やっと出会えた大切な人
「重く心地いい愛」でビッチ卒業 ほか
第5章 母へ向けた刃、そして光
ああ、死ねなかったんやな
ママがすべての元凶や ほか


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