現役時代よりも長い老後時間をどう過ごすか?

生活リアル

最近、グーグル検索記事の中に、現役時代と老後生活の時間を比較した試算を見つけた。老後生活の方が長いとは?人生100年時代と言われると、誇張ではあるが、あながち視点としては間違っていないことを突きつけられた印象を持った。私の両親はともに90歳超え。長い老後生活を過ごしてきた両親の凄みや言葉の重さが迫ってきた。

胸算用はほどほどにして、まずは健康第一。その上での話になりますが、シニア世代のあなた、どう感じますか? ともに、この時代を生き生きと乗り越えていきたいですね!

現役時代に働いていた時間よりも長い時間が老後生活

働いている時間と、定年後の時間を比較。自分に当てはめて計算してみた。もちろん前提がある。私は、現在65歳。68歳まで働くと予測。

現役時代+再就職8年と仮定すると、働いていた時間は、約8万2000時間(24歳から68歳まで1日8時間、年間250日働いたとします。1日8時間×250日×44年=8万2000時間)。

定年後に自由に使える時間は、約8万7000時間(定年後の自由な時間は1日14時間とします。68歳から85歳までの17年間は、1日14時間×365日×17年=8万7000時間)。

人によって条件は異なるが、大雑把に言っても、現役時代に働いていた時間よりも長い時間が定年後に待っているかも。具体的に数字で比較すると、実感できますね。14時間の過ごし方、どうしましょうか?

年金額を見て何想う

少し私の例で、年金生活を考えてみました。いつも不思議に思うことは、年金や税金、確定申告、健康保険などの基本的な事項については特に誰からも教わることはなく、人に聞いたり、本やネットで調べたり、あくまで自己責任の範疇として、シニア共通の課題であるにもかかわらず、老人に優しくない社会設計だなと思っている。

65歳から、特別支給の過渡的年金は終了し、本格的な年金をいただけるようになった。ただし、フルタイムで働いているので、上限によるカットはある。年金額や貯金額を見ると、完全リタイヤ後に不安がかすめる。全額繰越の人、基礎部だけ繰り越して加給年金をもらう人、全額もらうが上限カットされる人など様々な選択。私は、(真ん中)を選択。あなたは?

同年代の働くシニアと接すると、介護や健康に加えて、年金支給の方法や株やNISAによる資金運用の方法などの会話で花が咲く。資金運用では、NISAで倍になったとか、昨今の株高で設けたなどの声を聞くが、自分の頭には全然入ってこない。みんな、凄いな!と思うだけ。「楽しみ」と「節約」の両立にしか興味がわかない。

あと5年もすれば、夫婦二人の年金生活になる。一般的には、30万円で暮らしていくことになる。大丈夫だろうか?

アウトドアライフの記録を残し、同じ志向を持つアクティブシニアとともに成長していきたいという希望を持って、真面目に、ブログとYouTubeに取り組みを始めた2024年。まだ始まって1ケ月。継続は力なり。「コツコツおやじの本領発揮」と行きたいものだ。

両親の教え

「 父の教え、母の教え」
人それぞれ 。私の場合。完全リタイヤに近づいてるとはいうものの、まだフルタイム会社員の身の上。

【 両親とは、どんな人?】
R6 で、二人とも満92歳。二人年金暮らしで支えあってつつましやかに暮らしている。家庭菜園で野菜をか なり賄っている。 (昔は、兼業農家としてお米を作って、子供世帯にも配って畜米できるほどの小ぶりな耕作。 )
高齢 ながら二人とも元気なおかげで、節約しつつも少しの年金貯金もしている。傍目で見ても、よく食べよく動く。二人とも病院通いながらも元気なのは、そのおかげ。
父は 、今でも自転車で20分の畑に雨以外はほぼ毎日通っている。母は、3食の段取りとして、買い出しや仕 込みをして、必ず料理している。いつも、あーして、こーしてと段取りばかりつぶやいている。合間には、庭の草取りや花柄摘みなどちょこまかと動き回り、足が痛い痛いと言いながらもじっとしていない。
こんな 両親を見て、尊敬しかない。両親は、「 子供孝行やろ!」 といつも言う。 その通りだ。 人は、 その行動を 見て、その人の真の姿を判断する。気丈に振舞っているが、以前の母のマシンガントークも徐々に影を潜めはじ め、愚痴一つ言わなかった父の愚痴を少しづつ聞くようになるのを身近で感じるようになってきた。離れて暮らすこんな両親の姿を見て、土日で帰るだけでなく、1日休んで金土日か土日月の3連休にするとか、月1回を2ヶ月に3 回にするとか、できるだけ一緒に過ごす時間を増やしていこうとしている。
【 父の教え】
寡黙。最近は、怒りっぽくなっていて、愚痴も言うし、苦労した生い立ちも語る。長年連れ添った母に、優し い言葉の一つでもかけてあげればいいのにと、父の愚痴を聞きながら自らを省みる。私の目下の仕事は、父の愚痴を聞いてあげること。誰も聞いてくれる人が他にいないから。母は、もちろんうんざりしている。
畑仕事が心の支えで、自分でできないこと以外は全て自分でやろうとする人で、DIY、盆栽、木工とじっと していない。畑の柵や壁の補修板など、ありがたいことに人からいただいたものでかなりの材料を賄っている。 脚立に登って松を剪定したり、山に登ってしいたけの原木を切り出したり、92歳とは思えない行動をとり、傍目で見ると、怖くて仕方ない。何度も諭して?からは、少しづつ、甥っ子への技術指導や私への技術伝承などに少しづつ目を向けてくれるようになったと思っているが、果たして?
父の 教えは、もちろん「コツコツ」 。その背景として、 「おじいさん(父の父)の教え、仏様への信心」がある ように思っている。 「コツコツ」魂は、父の教えでもあり、根っからのDNAではないだろうか。
【 母の教え】
よくしゃべるが、饒舌ではない。自分のことより、子供のこと、姉妹のことを優先する人。人への感謝を忘れ ない。守備が堅く、外敵への感度が高い。一方で、信ずるべき人を信じすぎるきらいがあるので注意している。 あれもこれもと気が多いのは完全な遺伝であり、しっかり私に根付いている。子供の頃は、繰り返し「根性」を 叩き込まれた。姉妹仲は強固であり、中でも気の合う妹のおばさんとはお互いに絶大な信頼を置いている。私が小さい頃から、ケンカしながらもいつも支え合っている(高齢)姉妹の様子をいつもほほえましく思っている。私の心の平寧の要因の一つでもある。愚痴は一切言わないし、遠く離れているせいか、子供に頼ろうとする弱音も言わず、 二人だけで支え合って生きていくんだという覚悟があるのかもしれない。同居するかと言っても、まだ元気だからと言う。老人施設に入るかと言っても、人間が駄目になる施設には絶対行かないと言う。今後、もし一人世帯になるとか、大病をするとか、状況が大きく変われば考えも変わるかもしれない。
【 教えとは?】
言葉よりも行動で示す両親の教え「気力」 「なにくそ!」は全ての根幹である。私に根付いた「コツコツ」と 「多興味」はDNAだろう。父の技、母の料理は受け継いでいきたい。

あなたのご両親は健在でしょうか? どんな教えがあったでしょうか? とてもありがたい存在であることにはかわりありませんね。

楽しく慎ましやかに生きる

満足は自分の中にある。他と比較するとろくなことはない。自分にとって「満足」とは?

定年退職後の60歳。令和元年に立てた目標を振り返ってみた。

自然からのメッセージを受け取る「山に登り、野に遊ぶ」
recieve messages from nature"climb the mountains and play in the fields"

・日本を感じる旅に出る「ベスパ(妻)&みるくとのキャンピングカー旅」embark on a trip to feel Japan by riding a camper"camper trip with Bespa and Milk"

・災害からの犠牲者を減らす「気象防災&山岳気象」reduce casualties from natural disasters"meteorological disaster prevention and mountain weather"

楽しいことが続けられること、何とかお役に立ちたいという願いが少しでも実現すること、そのために、健康と必要最小限のお金を大切にして過ごしていくこと、それが目下の目標です。

あなたは、どうされますか?

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