トルイ 人物伝 ステータス
チンギスの末子。
モンゴル帝国建国後、間もなく行われた金王朝侵攻作戦に従軍し初陣をかざると、チンギスの本隊のもと中華地域の都市を次々と攻め落とし武名を馳せる。
ホラズム侵攻作戦においても引続き父チンギスの本隊を統率し、ここではホラズム側の予想を上回る進軍速度と進軍ルートを実行しホラズム軍を翻弄、ホラズム側の重要都市ブハラとサマルカンドを短期間で攻め落とした。
その後もホラズム領内を攻めて占領し、再起をはかったホラズムシャー朝のスルタン「ジャラールウッディーン」を父と兄弟とともに敗走させた。(インダス川の戦い)
ホラズムから帰還すると今度は西夏を攻撃し滅亡させる。
チンギスが亡くなると末子相続のモンゴル慣習にのっとり、チンギスの膨大な財産、人員、などを相続しモンゴル帝国監軍となって国政を預かった。
チンギスが亡くなって2年後、モンゴル帝国の有力者会議「クリルタイ」で生前のチンギスの意向どおりオゴデイを二代目ハーンに推戴する。
オゴデイの金王朝侵攻においてもモンゴル帝国軍の右翼を率いる。
進軍ルートは中華地域有数の山岳地帯「秦嶺山脈」(しんれいさんみゃく)を突破して、金軍の背後をつくという非常に厳しい作戦だった。
そんな作戦を見事成功させて、金軍の名将完顔陳和尚(わんやんちんわしょう)を破り金王朝を滅亡させた。(三峰山の戦い)
しかし勝利の余韻の束の間、モンゴルに帰還する途中突然亡くなった。
評価 逸話
文武両道の優れた人物であると同時に、人望あつく大器であったと伝わっています。
オゴデイ即位後もチンギスの財産や人員を保有していたようで、この力が息子たちの栄達の支えとなりました。
チンギス死後はトルイを後継者におす声も非常に高かったのですが、トルイはモンゴル帝国が分裂するのを嫌い、自ら後継者を辞退してオゴデイにひざまずいたそうです。
ですがチンギスが生前組織した軍団は、オゴデイ即位後もトルイが引継いでました。
このような背景を考えると、トルイの不審死はやはりオゴデイにより毒殺説が有力な気もします。
しかし残された家族はオゴデイを超える程の大器が勢揃いで、これよりのちモンゴル帝国の指導者はトルイ家が握ることを思えば少し報われたと思いたいですね。
ソルコクタニ.ベキ 人物伝 ステータス
チンギスに滅ぼされたケレイト族王弟の娘でキリスト教徒。
チンギスにケレイト族が滅ぼされたとき、チンギスの末子トルイの正妃となる。
以後モンゴル帝国を世界帝国に押し上げた息子たち【モンケ、フビライ、フレグ、アリクブケ】を産んだ。
夫のトルイが不慮の死を遂げたあと、速やかに長男モンケに家督をつがせ混乱を収拾する。
オゴデイが亡くなると、次の大ハーンはトルイ家からという約束があったものの時期尚早と判断しモンケに自重させ、三代目ハーンにオゴデイ長男グユクがなることを認める。
グユクが在位3年で亡くなると、以前より良好な関係のジョチ家当主バトゥを支持者にとりつける。
そして政権をオゴデイ家からトルイ家にうつすことに成功、ここからモンゴル帝国大ハーンの座はトルイ家となった。
モンケの即位を見とどけたのち、病に倒れ亡くなった。
評価 逸話
非常に聡明な女性でした。
生まれのケレイト族は最終的にはチンギスに滅ぼされましたが、元々チンギスとケレイト族は同盟関係だったこともあり、ソルコクタニの父はチンギスと仲が良く姉はチンギスの側室となっています。
グユク即位に際し献上品を適切に分配し人望を高め、このような献身的かつしたたかさを駆使して、モンゴル帝国ハーンの座をオゴデイ家からトルイ家にうつしました。
夫のトルイとも仲はとても良く男子を四人産みます。
この四人は超がつく優秀な兄弟で、みな大ハーンか始祖となりました。
私が思うに兄弟みな優秀なパターンは、チンギスの息子たちを育てたボルテがそうだったように、賢母の力が必ず必要と思います。
その観点からも、モンゴル帝国の草創期を影で支えたチンギスの母ホエルンや妻ボルテ、そしてソルコクタニと三代にわたって賢母がいたからこそモンゴル帝国の繫栄があったのでしょう。