0から始める著作権

  このブログでは著作権について解説していきます。

超「商品流通社会」と、著作権(7)

前回では、情報革命が、情報社会を効率よく運営する社会システムを生み出しているところであると述べました。情報革命が、ネットワーク技術やIT技術等によって単に便利な情報社会を生んでいるだけではなく、その情報社会を効率良く回していく仕組み(社会制度)を構築しつつある、という話です。

もう少し詳しく見ていきましょう。

 

トフラーは、農業社会 → 工業社会 → 情報社会への変遷を唱えました。第一の農業社会から考察しましょう。

農業社会での主たる流通の対象は何でしょうか。それは、紛れもなく「農作物」です。江戸時代までの日本社会は、少数の都市中央部を除いて社会の構成員のほとんどが農民であり、農民は一定量の土地で一定量の農作物を栽培して、封建領主などにその農作物の一部を収めていました。例えば、米を栽培している農民は年貢米を大名に納めていました。年貢米という現物を納めているので、年貢米を貨幣に置き換えることもなく、すなわち年貢米は「商品」ではありませんでした。

 

また、農業技術もそれほど進んでいなかったので、土地の大きさに比例して、農作物の生産量がほぼ決まっていました。一定量の土地から一定量の農作物が栽培されるので、土地の測量(検地)や土地の管理(誰がどのくらいの土地を有しているかの把握)が、社会を成り立たせる上で極めて重要になっていました。当然にして、土地の管理・運営に長けた社会制度が求められることとなり、その社会制度が「封建主義社会制度」でした。

封建主義社会制度は、封建領主が農民を護る仕組みであり、その見返りとして農民は封建領主に農作物を貢ぎます。(石高の得られる)武士であれば土地を仲立ちとした主従関係を封建領主と結び、封建領主から俸禄米をもらっていました。

 

 

第二の工業社会はどうでしょうか。工業社会での主たる流通の対象は、、、もうお分かりですよね。そうです。工業製品=商品です。

封建主義社会が農作物中心経済であるのに対して、工業社会は商品取引経済です。工業社会では大量の商品が生産され、流通されます。都市部のみならず、農村等を含む地方のあらゆる場所に商品が流通し、更には国境を超えて世界中に商品が流通します。世界中の消費者は自分の好みの商品を購入して、それを消費します。

商品には、衣食住の対象、すなわち服飾品、食料品、家屋・家財道具が含まれるのはもちろんのこと、自家用車等の実用品、趣味の嗜好品・骨董品、ライブ観劇やスポーツ観戦のチケットなど、ありとあらゆる種類のものが含まれます。もちろん、書籍、CD(音楽)、DVD(映画)などのコンテンツ商品なども含まれます。

 

そして、この商品を生み出すものは「資本」であり、資本が商品の生産・流通を生み出す価値の源泉になっています。『資本論』では、資本は「価値を生み出す価値」として説明されています。

さて、この資本の管理・運営に長けた社会制度は、、、紛れもない「資本主義社会制度」です。いま我々が生きている社会です。

 

次回は、「第一の封建主義社会制度」「第二の資本主義社会制度」を踏まえて、第三の社会制度、今まさに生まれようとしている新しい社会制度について考察しましょう!

 

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超「商品流通社会」と、著作権(6)

前回では、著作物は仮想空間内でダイレクトで授受されるので、権利が権利を生む社会はネット空間の中で無限に拡大していくという話をしました。

20世紀モデルでは、著作物が化体した商品(書籍、レコード、放送番組など)が流通するので、その商品を製作・流通・販売する会社が著作権の処理を行っていて、著作権が前面に現れることはなかったのです。著作者は商品を取り扱う会社に著作権の管理を任せてしまい、会社に従属するかたちで著作物の創作を行ってきたのです。

これからは違います。物理的な商品が仮想空間内のモノに置き換わり、著作権がIT技術やAI技術によって目に見えるようになったとき、著作物の創作者と、その著作物を鑑賞する者やそれを下敷きにして新たな創作を行う者がダイレクトに繋がる、そういう世界になるのです。

 

IT技術やAI技術のような情報テクノロジーは、コンピュータ・サイエンスなどの最新科学の応用であり、極めて高度な情報化社会を実現するものです。それは情報革命と言うべきものです。

情報革命、・・・この言葉を用いた未来学者がいました。アルビン・トフラーです。彼は、今から45年前に、情報革命による情報化社会の到来を大きな視点で捉えました。

 

トフラーは、1980年に出版された著書「第三の波」(英語:The Third Wave)により、脱工業化社会として情報化社会を位置付けました。Wikipediaでは、次のように説明されています。

トフラーは本書の中で、人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命(略)、第二の波は産業革命と呼ばれるものであり、これから第三の波として情報革命による脱産業社会(情報化社会)が押し寄せると唱えている。 ・・・本書の中でトフラーは、電子情報機器を装備したエレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した。また、これまでの消費者から、生産(produce)と消費(consume)が同時に行われる「プロシューマー」(prosumer)が農業革命時のように復活し、経済構造を変化させることを唱えた。

 

この解説をいま読むと、「在宅勤務」「プロシューマー」という語が光り輝いていますね。ちなみに、プロシューマー(生産消費者)はトフラーの造語であり、生産を行う消費者のことです。例えば、3Dプリンターを活用して独自に製品を作る消費者や、仮想空間内に独自のアバターを作るユーザーも、広義のプロシューマーに含まれるでしょう。彼の予言は、実際に在宅勤務をしている我々にとってとても示唆的です。

 

トフラーは、情報革命や情報社会について大局的に見ており、農業社会や工業社会と、情報化社会とを比較しました。トフラーの段階的社会モデルを図式化すると、以下のようになります。

第一の波 農業革命 → 農業社会

第二の波 産業革命 → 工業社会

第三の波 情報革命 → 情報社会

 

ここで更に踏み込んで考えてみたいことがあります。

農業革命は農業社会を実現させただけではなく、農業社会を効率よく運営する社会システムを生み出したのではないか、という視点です。

同様に、産業革命は工業社会を実現させただけではなく、工業社会を効率よく運営する社会システムを生み出したのではないか。

そして、情報革命(含:IT技術やAI技術)は、情報社会を効率よく運営する社会システムを今まさに生み出しているのではないか・・・

 

新しい技術の発達により、これまで人類は段階的な発展を遂げてきました。いま我々が目にしているIT技術、AI技術などの情報テクノロジーの急激な進歩が、ごく近い将来にどのような社会システムを生み出すことになるのか、トフラーのように大局的に考えていく必要があります。

その新しい社会は、従来の資本主義社会とは異なる超「商品流通社会」である可能性が高いです。次回以降、その全貌について考えていきましょう。

 

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超「商品流通社会」と、著作権(5)

前回では、創作者が資本家に従属する20世紀モデルについて述べ、学校教育の場においても「創作」や「著作権」を軽視する例にも触れて、古いモデルからの脱却が資本主義社会全体の課題であるという話をしました。

学校は、知識を獲得する場ではなく、生徒自ら知的財産を生み出し、知的財産権を管理していく場になるべきであり、仮想空間の中で創作された小説、音楽、仮想商品などの著作物の取り扱いについても、著作者自らが意識的に計画的に著作権を管理するシステムを構築する必要がある、という話でした。

 

著作者、すなわち創作者自らが著作権などの知的財産権を管理する。・・・このハードルは(現状においては)高いといえます。

例えば、創作者に対して、上述のような必要性を語ったとしても、創作者の多くは、著作権を管理するのは法律畑の人間であって、自分は創作に没頭したい、出版会社、レコード会社、放送会社などの法務部に任せておけばよい、と回答するでしょう。20世紀モデルのままでよいと・・・

 

しかし、時代は、近未来のIT技術やAI技術は、その20世紀モデルを易々と超えていきます。メタバースや3D Webなどの仮想空間では、その中にある小説、音楽、仮想商品などの著作物について、誰が著作者であるのか、その著作者は著作物の利用を他者に認めているのか、どのような条件で認めているのか、対価は幾らか、などの著作権情報を(技術的には)提供することが可能になります。

20世紀モデルでは、それらの情報が個々の商品(書籍、レコード、放送番組など)に隠されており、その商品を製作・流通・販売する会社が、商品ビジネスの中で、個々の著作権の処理を(著作者に代わって)行っていたのです。

 

これからは違います。メタバースや3D Webなどの仮想空間を利用する者は、その中にある小説、音楽、仮想商品などの著作物にダイレクトにアクセスできます。そして、IT技術やAI技術によって、その著作物の著作権情報がわかりやすく提供されることになります。

 

 

著作者が、自ら著作権を管理するようになり、仮想空間を利用する者も、提供された著作権情報を理解した上で著作物を積極的に利用することとなるのです。

仮想空間を運営するプラットホームは、わかりやすい「著作権の管理」と「著作権情報の提供」を行っていく、これこそが重要です。

それを行ったプラットホームが、21世紀を制することとなります。

 

今はその入り口に立っています。AI技術開発や、メタバース表現技術など、個々の技術開発が各所で行われていますが、著作権という切り口でこれらの技術を総合して、わかりやすい「著作権の管理」と「著作権情報の提供」の実現に向けた取り組みを行う必要があります。

仮想空間内に存在する著作物に関して、それを創る側と、それを利用する側との間の関係を、著作権という権利を焦点にして構築し、著作権が新たな著作権を生む新しい社会を展望していく、これが今求められていることなのです。

 

権利が権利を生む新しい社会・・・ ある者が創作した著作物についての著作権が、その著作物を利用して創作した他者の著作物の著作権に関係していく。

この関係の構築には、現実空間内にリアルな物として存在する商品の製作・流通・販売を必要としません。著作物は仮想空間内でダイレクトで授受されるので、権利が権利を生む社会は、ネット空間の中で無限に拡大していくのです。

 

新しい社会が見えてきています。IT技術やAI技術がそれを可能にします。古いのは法律であり、従来の社会システムです。

この新しい社会は、商品流通経済を基本とする従来の資本主義社会とは異なるものです。

次回もまた、この新しい社会、超「商品流通社会」について考えていきましょう。

 

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超「商品流通社会」と、著作権(4)

前回は、仮想空間においては、リアルな世界におけるよりも、著作物を生み出す著作者の立場が極めて大きくなっているという話をしました。

仮想世界の方が著作権が前面に出てきて、仮想空間の中で小説、音楽、仮想商品を創作する著作者の権限が、リアル世界よりもクローズアップされる、その入り口に我々は立っている。それを我々は直視して、新しい著作権管理システムを構築していく必要がある、という話でした。

 

これまでの歴史を振り返ると、中世では、王や貴族が芸術家を抱えて、その芸術家が絵画や彫刻を創り出していました。宗教の経典本の作成と流通は、教会や寺院が中心となって行っていました。モーツァルトも、宮廷に仕える作曲家であり、貴族たちのサロンで演奏をしていました。このように、中世においては、芸術家の創作物は、権力者たちによってコントロールされていました。

そして、20世紀では、出版、レコード、放送のシステムが普及し、出版社が商品としての書籍を出版・販売し、レコード製作者が商品としてのレコードを製造・販売し、放送会社が楽曲や演劇・映画などを放送するようになりました。その放送では、商品を製造販売する企業がスポンサーになっています。このように、20世紀に確立されたモデルでは、資本家が芸術作品を商品として製造・販売し、創作者は、その資本家に従属するかたちで、創作を行っています。

 

現在はどうでしょうか。

インターネットやSNSが隆盛を極める今日、クリエイターは、資本家の手を借りることなく、自らのクリエイティビティを発揮させて、読み手や視聴者にダイレクトに小説、音楽、映像などを届けるようになりました。ネット小説家が口コミによって一躍有名になったり、無名の作曲家がYouTubeでミリオン再生回数を果たしたり、新人の映像作家がTikTok配信で収益を獲得したり・・・

ただし、これらは、特定の小説投稿サイト、YouTube、TikTokなどのプラットホームの上で成り立っており、その意味で、まだ半分、資本家に従属しているといえます。

なぜ半分従属したままなのでしょうか。20世紀モデルを超えることはできないのでしょうか。

 

この問題の本質を考えるに当たって、そもそも「創作」とは何であるか、我々が創作を行う意味、意義は何であるかを問うことが重要です。

その上で、創作物(著作物)を保護して利用する著作権について、著作権という権利の目的、役割について、深く知ることが必要になります。

 

現状の一例として、学校教育において、特に小学校・中学校の教育において、「創作」はどのように取り扱われているかを見てみましょう。

「図画工作」「美術」「音楽」の授業において、手を動かすことはあっても、「創作」とは何であるか、創作の楽しさ、面白さについて、他人の創作とは異なるオリジナルな創作活動をすることの意味、意義について、そして、自分の創作物(著作物)を保護して利用する著作権の目的、役割について、果たして学校で教えられていたでしょうか。私はそれを学んだ記憶がありません。

国語の授業における作文、美術の授業における作画、音楽の授業における作曲を通じて、下手でもよいので、自ら作文、作画、作曲することの意味、意義を教える。そして、作文されたもの、作画されたもの、作曲されたものが自分の著作物であり、許可なしには他人がそれを利用することができないことを教える。これこそが重要であり、今の時代に必要なことです。

 

学校教育における創作の取り扱いについて、もう一つ重要な視点があります。それは、授業で生徒が作った文章、絵画、音楽そのものが著作物であり、著作権によって保護される、という視点です。

以前のブログで、5歳の幼児も著作者であることを述べました。例えば、モーツァルトは5歳の時に作曲をしています。

モーツァルトは別格だと言う意見もあるでしょう。しかし、最近ではタブレット上の作曲ソフト(楽譜・楽器なし)によって、小学生・中学生でも作曲は容易にできます。仮に、作曲が傑作でなくても音楽の著作物になり、その著作物は作曲をした生徒の許可がなければ利用できません。

問題は、学校側が、生徒が著作者であること、及び生徒が生み出した著作物は教師といえども勝手に利用することはできないことを認識していない、ということです。これは大問題です・・・

生徒Aが創作した俳句は、もしかしたら傑作かもしれません。傑作ではないにしても、それは生徒Aの著作物です。この著作物の取り扱いについて、学校として決めなければいけません。授業の中で生まれた習作だとしてファイルの中に埋もれたら、生徒の著作物は永久に葬られます。なぜならば、生徒自身も著作権について知らされていないので、自分の著作権の管理に思いが至らないからです。

 

・・・そうなんです。学校教育も、創作物(著作物)、著作権を基軸にして、再構築しなければいけないのです。

文章、絵画、音楽以外に、理科などの科学教育における「発明」についても同様です。生徒が発明をすることがあるのです。発明は特許になり得ます。したがって、生徒が生み出した著作物や発明などの知的財産、知的財産についての知的財産権の取り扱いを総合的に考えていく必要があります。

21世紀モデルでは、学校は、知識を獲得する場ではなく、生徒自ら知的財産を生み出し、知的財産権を管理していく場になるべきです。

 

どうして学校教育の場において、生徒が生み出す著作物や発明が軽視されているのでしょうか。

その理由は、ハッキリ言えば、20世紀モデルの学校が型通りの労働者を育成する場であって、その労働者には従順な知識獲得能力が主に求められており、授業の中での創作も枠にはまった内容が想定されているので、オリジナリティーは何ら求められていなかったからです。型通りの労働者は、資本家にとって好都合だからです。

似てますね・・・ 資本家が芸術作品を商品として製造・販売し、創作者はその資本家に従属するという20世紀モデルに。

 

今後は違います。生徒のオリジナリティーを伸ばす教育が求められます。問題を解く能力ではなく、問題を発見する能力を身につける。

そして、その問題発見のアプローチとして、オリジナルな「創作」を行うことと、その創作を著作権によって保護・利用することを自分で考えていく。その実践的能力を身につけさせる。

これが21世紀の学校教育の場で求められることなのです。

 

このような20世紀モデルからの脱却は、学校教育の場に限らず、この資本主義社会全体の課題として考えるべき問題です。

次回もまた、この問題について考えていきましょう。

 

超「商品流通社会」と、著作権(3)

前回は、仮想空間の未来形には無限の可能性がある、その仮想空間を構成するものが「著作物」である、という話をしました。

今まで以上に「著作物」がクローズアップされる社会、仮想空間が商空間になる社会、その入り口に私たちは立っているのです。

数年後にはメタバースや3DWebは当たり前の社会になっていると思われます。今はその前哨戦の最中にある、という段階です。

 

前哨戦、というと、1980年代のインターネット前夜が思い出されます。

インターネットが当たり前になる前の1980年代に、インターネットの先駆けとなるサービスが実践されていました。カナダのテリドン(Telidon)や、日本のキャプテンシステムです。

Wikipediaでは、キャプテンシステムについて、このシステムは電話回線を介して情報センターと端末を結び、利用者の要求に応じて情報を呼び出せることが主な特徴であり、1980年代当時の日本ではニューメディアの代表格として扱われていた。・・・当時「高度情報通信社会」と呼ばれていた時代は、インターネットによって20年以上遅れて実現した」と説明されています。

1990年代後半からインターネットが普及して、キャプテンシステムは衰退しましたが、このシステムが目指した文字情報や図形情報の双方向交換は、今ではスマホのLINEアプリで誰もが当たり前に行っています。

文字情報や図形情報を双方向で交換するというアイデアに、技術が追いついた、という図式です。

 

メタバースや3DWebはどうでしょうか・・・

Call of Duty シリーズや、FORTNITEなどのオンライン対戦ゲーム(仮想空間におけるマルチプレーヤーによるリアルタイム対戦のゲーム)を見ていると、技術的には相当なレベルに達成していると私は見ています。

フォトリアリスティックなCG描写、リアルタイムレンダリングが可能なグラフィックエンジンなどによって、実物と見間違えるほどの仮想商品が仮想空間内に存在し、その完璧な仮想商品の姿を見ても、私たちは驚かなくなっています。そう、もう技術的にはメタバースや3DWebは可能なのです

では、メタバースや3DWebが本格的に花開かないのはどうしてなのでしょうか。勿論、コストパフォーマンスの問題はあるでしょう。でも、それが真の理由でしょうか。

 

何が障害なのか。メタバースや3DWebが開花しない原因は何であるのか。言い方を変えると、メタバースや3DWebを開花させない旧い仕組みは何であるのか・・・

それは、メタバースや3DWebの中に存在する著作物の取り扱いの問題がクリアになっていないからです。

著作権の仕組みが旧態依然としており、この(輝かしい)メタバースや3DWebの普及に歯止めがかかっているのです。

しかも、その歯止め自体がハッキリしたかたちで表れていない。旧い著作権システムのベールに隠されてしまっているのです。

このような状況に、創作者(クリエイター)は声を上げていかなければなりません。

 

今までは、リアルな世界で創作者は小説を書き、音楽を作曲してきました。そして、小説は書籍として、音楽はレコードしてリアル世界で流通していました。リアルな世界では、書籍の出版社や、レコード製作会社が、著作物(リアルな書籍やレコード)を流通させる主として君臨してきました。

これからは違います。

メタバースや3DWebの中で、作家や作曲家自身が、小説や音楽を流通させる主となります。リアルな書籍やレコードとしてではなく、メタバースや3DWebの中で、小説や音楽自体が存在しているからです。本物の小説や音楽がメタバースや3DWebの中に存在しているのです。この小説や音楽が著作物であることは、これまでのブログで述べてきました。

そして、仮想商品を生み出すクリエイターが、仮想商品を流通させる主となります。なぜならば、クリエイターは、仮想商品という著作物を生み出す著作者であるからです。

これらの著作物の取り扱いが明確になれば、わかりやすくなれば、メタバースや3DWebの世界の扉は一気に開かれます!

 

メタバースや3DWebのような仮想空間の中には、小説、音楽、仮想商品などが浮かんでおり、これらは、デジタルとして、曖昧ではないかたちで存在しています。

 

仮想空間の中に浮かんでいる小説、音楽、仮想商品は、それ自体が著作物であり、この著作物の取り扱いを明確にすることが急務ですが、現状では、その取り扱いについて積極的に前面に押し出すアプローチがとられていません。具体的には、どのようなアプローチが必要なのか。

例えば、仮想空間の中で、各自が小説、音楽、仮想商品を創作した日付を明確にしておく。なぜならば、著作権は、創作した時点で発生するからです。また、その著作物を他者が利用できるかどうかは著作者自身が決めることができて、他者は勝手にそれらの著作物を利用することはできません。このことは、これまでのブログで解説してきました。著作者自らが、他者にどのように利用してもらうかの情報を決めてそれを表示する。すなわち、小説、音楽、仮想商品の利用可能性や対価についての情報を表示する。このような情報表示技術は既に確立しています。IT技術として容易に実現できる筈です。

メタバースや3DWebのような仮想空間において、上記のような著作権の取り扱いの仕組みを構築すればよいのです。

 

こうして見ていくと、仮想空間においては、リアルな世界におけるよりも、より明確に著作物が「真」なるものとして存在しており、著作物を生み出す著作者の立場が極めて大きくなっているということができます。

つまり、簡単に言えば、仮想世界の方が、リアルな世界よりも、著作物が目立ってくる、著作権が前面に出てくるのです。

今こそ、仮想世界における著作権のあり方を真剣に考えていかなければなりません。これこそが仮想空間を構築する上での最重要課題なのです。

新しい技術に、旧い著作権システムが追いつく、という図式、これがまさに今求められているのです。

 

新しい扉が開かれようとしています。

もし貴方がクリエイターなら、あるいはクリエイターを応援する立場なら、著作権について、新しい著作権システムのあり方について、見識を持つべきです。そして、その扉を開ける側、新しい仮想世界をかたち作る側に立つべきです。

次回もまた、仮想空間内の「著作物」について考えていきましょう。

 

超「商品流通社会」と、著作権(2)

前回は、メタバースという仮想空間内の商品を例にあげて、仮想空間内の商品(架空の商品、著作物)を選択するのは、現実世界における自分が優越感、満足感、幸福感を得るためであって、仮想空間内のアバター(自分の分身)が満足するためではないという話をしました。

仮想の商品であるヘアードライヤーによってアバター自体が気持ちよくなることはないからです。

 

アバター自体は満足しないが、アバターを操作する自分は、仮想世界の中でアバターの活動を通じて満足する。仮想空間内の商品や建築物、更には環境を独自に構築していく中で、思い入れのある仮想商品、仮想建築物、仮想環境を選んでいく。そのようにして、自分の価値観を仮想空間内で具体的に実現させていく。

このような活動は、自分が好きな芸能人やキャラクターなどをグッツを買ったり作ったりすることで応援する「推し活」に似ています。仮想空間内で仮想商品を選ぶ、というよりも「理想の仮想環境をかたち作る」という感覚です。

 

その理想の仮想環境の元になるのは、仮想のモノ、架空のモノですので、仮想空間内の「著作物」として考えられます。勿論、自分で独自に作って自分で使用してもよいのですが、作ったモノに対して他の人が使用したいと思った時に交換価値が発生します。すなわち、仮想空間内の「著作物」は、売買の対象になり、仮想の商品になります。自分で独自に作るよりも、プロに作ってもらって購入する。そして、オーダーメードで作ってもらうよりも用意された既製品を購入するようになる。まるで洋服を買うように仮想の商品を購入していくことになります。

一つ一つの仮想のモノが仮想商品になることもあるでしょうし、複数の仮想商品によって構成された仮想建築物やそれを取り巻く仮想環境全体が商品となることもあるでしょう。家具付きの分譲マンションや、庭付きの一戸建てを購入するように、仮想空間内でも、トータルな仮想建築物や仮想環境をユーザーが購入する。そのような大規模な仮想環境をユーザーに購入してもらう、というビジネスが今後成立するかもしれません。

 

メタバースの将来イメージや、その可能性については別の機会に大いに語るとして、現時点において、仮想空間内で仮想商品や仮想環境をユーザーが自由に選択しているわかりやすい例を紹介します。仮想空間内で複数の兵士が登場するオンライン対戦ゲームです。ゲーマー(リアル世界でゲームを楽しむ人)が、対戦場となる好みのマップを選んだり、対戦に用いる好みの武器を選んでゲームを楽しんでいます。ゲーム内の仮想通貨によって購入することもあれば、リアル世界のお金で購入することもあります。Call of Duty シリーズや、Fortniteなどでは、武器に色を付けたり、兵士のコスチュームを派手にすることがゲーマーの価値観の反映になっており、そのような武器や兵士が仮想空間内で目立つことによって、仮想環境自体が豊かになり、ひいては新規ゲーマーの呼び水になっています。

 

メタバースなどの仮想環境の未来や可能性に否定的な方は、所詮ゲームの世界だけであろうとお考えになっているのかもしせません・・・

でも、冷静に考えてみれば、いま当たり前になったパソコンのデスクトップ環境は、リアルな世界の机の上で行っていたことを仮想空間で実現したものです。会計帳簿は表計算ソフトになり、原稿用紙はワープロソフトになりました。例えば、Microsoft Officeでは、Officeテーマを選択することによって、Wordソフトの作業環境を好きな色に構築できたります。このようなアレンジもユーザーの価値観の反映と言えますし、今後はビジネスソフトやビジネス仮想空間も大きく変革していくでしょう。職場のデスクブースが職員の好みで様々に彩られているように、ビジネス仮想空間も職員の好みの仮想商品で満ち溢れるようになるでしょう。

 

このように、仮想空間の未来形には無限の可能性があります。そして、仮想空間内で流通するのが仮想商品であり、その元になっているのが仮想空間内の「著作物」なのです。

次回もまた、仮想空間内の「著作物」について考えていきましょう。

 

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超「商品流通社会」と、著作権(1)

前回まで、「情報の大航海時代」における著作権の問題について述べてきました。15世紀から17世紀までの大航海時代が世界史を一変させたように、現在発展途上にあるインターネット世界やメタバース空間は著作物の創作や流通の環境を大きく変えていく、そして、著作権の問題は今まで以上に重要かつ必要なものとなり、2次創作の取り扱いや創作者の地位向上に向けての取り組みが急務であるという話をしました。

 

この変化は、従来の社会、例えば商品流通を主体とする資本主義社会を進展させるものなのでしょうか。すなわち、今までの延長線上の出来事と考えてよいのでしょうか。

 

私はそうではないと考えています。

その私の考えをこれから皆さんにお伝えするに当たって、本来であればファクト(数字、データ、既存の研究)に基づいてロジカルに論証をすべきところですが、この場は学会でもビジネスの場でもないので、自由に己の考えを述べていきたいと思います。皆さんの中には、私の考えが科学的帰納法に則っていないとか、直観的すぎて独善的解釈に陥っているという批判的意見を持つ方も多々おられるかもしれませんが、一つの見方としてそういう考えもあるのかな、と温かく包み込んでいただければありがたいです(勿論、批判や反論はウェルカムです)。

 

さて、最初の話として、いま世間で賑わっているメタバースの話をしたいと思います。

メタバースについて、Wikipediaでは「将来インターネット環境が到達するであろう概念で、利用者はオンライン上に構築された3次元コンピュータグラフィックスの仮想空間に世界中から思い思いのアバターと呼ばれる自分の分身で参加し、相互に意思疎通しながら買い物や商品の制作・販売といった経済活動を行なったり、そこをもう1つの「現実」として新たな生活を送ったりすることが想定されている」と説明されています。

ここで大きな疑問が一つあります。私たちが(リアルな)商品を購入する場合、その殆どは使用価値を有しています。例えば、ヘアードライヤーであれば自分の髪を乾かすことが使用の目的であり、体重計であれば自分の体重を量ることが使用の目的となっています。

自分の分身であるアバターが仮想空間上にいるとして、そのアバター自体は髪を乾かしたいと思うでしょうか、体重を量りたいと思うでしょうか。

 

リアルな空間で生きている自分が、仮想空間内でもアバターとして存在しているので、リアルな空間でそうしているのと同様に、アバターにヘアードライヤーをあてがったり、体重計の上に載せようようと思うことはあるのかもしれません。しかし、それはナンセンスなことだと直ぐに気づくでしょう。何故ならアバターの髪は実際には濡れておらず、アバター自体は体重を気にしたりしないからです。CGでそのように見せることは可能です。アバターの髪が濡れたように見せることや、アバターが体重過多を気にする仕草をすることも、現在のCG技術によって容易に表現することはできます。でもそれも見せかけであって、アバター自体は髪が乾いてさっぱりしたり、平均体重を維持していて気分が優れる、ということはありません(そのように演じさせることはCGによって可能ではありますが・・)。

このように、メタバースという仮想空間内の商品は、リアルな空間(現実世界)の商品が当然のことながら有している使用価値がないのです。

でも仮想空間内のモノは取引の対象になっています。すなわち、交換されています。交換価値はあるのです。これは一体どういうことなのでしょうか。

例えば、現実世界にはまだ存在していないユニークな形をしたヘアードライヤーが仮想空間内において商品として存在しているとします。このユニークなヘアードライヤーを仮想空間内で購入して自分の分身であるアバターに使わせてみる。そしてアバターが特異な体験をしていることについて、それを見ている現実世界の自分は、優越感や満足感を得ることになる。アバターがユニークなヘアードライヤーを使っているのは仮想空間内においてですが、現実世界の自分はそれを見ることによって幸せになれる、・・・まるで、楽しそうに玩具で遊んでいる子供を見る親のように、楽しそうに玩具に戯れるペットを見る飼い主のように。

 

そうすると、詰まるところは、現実世界における自分が優越感、満足感、幸福感を得るために、仮想空間内の商品を選択していることになります。現実世界では使わないのにその商品を選びたいと思う。あるいは、現実世界では(物理的に)あり得ない形をしていて、全く使い物にならないような商品でも選んでみたいと思う・・・ これは一体何を意味するのでしょうか。

自分の分身であるアバターのために商品を選んでいる、というよりも、今まで見たこともないような商品の新しさに魅かれたり、(現実世界では成り立たないが)独特の世界観を醸し出している商品のオリジナリティーに魅かれて、商品を選んでいるのではないでしょうか。

 

この仮想空間内の商品は、現実世界のリアルな商品ではなく、仮想空間内の架空の商品ですので、とりあえず「著作物」として考えることとします。この著作物としての仮想商品はどのような特徴を持つのでしょうか。私たちにとってどのような意味を持つのでしょうか。

次回以降、この点を考えていきます。そして、やがて大きな視座に到達したいと考えています。

 

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