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インスタではアメリカでの試合や練習の様子をアップしています!

 

 

「選手がコーチに対して対等に自己主張をする」

 

海外サッカーに挑戦する日本人選手がよく驚くエピソードのひとつです。これは大人の、プロの世界だけでしょ、と思っていましたが、驚くことにこれはU-9のアメリカジュニアサッカー現場でも日常的に見られます。

 

コーチの指示や声かけに対して不満げな態度をとったり、怪訝な表情をしたり、両手を広げて「何でそんなこと言われなきゃいけないんだ」と言わんばかりの憮然とした姿。「この年齢からこの態度か!」と私は驚いて観察してきました。

 

(ベンチのコーチに向かって両手を大きく広げるブラジル人のD君)

 

日本で生まれ育った私にとって、目上の存在であるコーチの指示や声かけに不満を示すなんてことは考えられません。たとえ理不尽に怒鳴られた状況だったとしても、何も言い返さずにぐっと飲みこむというのが私の時代のやり方でした。

 

コーチだけでなく、歳がたった1歳、あるいは1歳も離れていないのに学年がひとつ違うだけで、先輩に対しても「やっていいこととやってはいけないことがある」という暗黙の了解があるのが日本社会だと思います。時代は変わり、日本のサッカー界では少しずつ「ピッチ上では年齢は関係ない」という考え方が受け入れられてきましたが、子どもが目上の人間に対して積極的に自己主張すること、特に不平不満を表すというのは、学校でもスポーツの世界でも社会でも、日本では歓迎されることではないでしょう。「生意気」「口ごたえ」「調子にのってる」「常識がない」「無礼」…非難の声が殺到することが容易に想像できます。

 

(お母さんがアルゼンチン人のA君も黙ってません)

 

アメリカ社会では個人の権限を守り主張することが国民の根本的な権利として徹底的に守られる傾向があります。日本人の私は長年アメリカに住んでいて、この点を頭でわかったつもりではいました。でも改めて「アメリカで個人の権利を尊ぶとはこういうことなのか!」と衝撃をもって再確認したのは、コロナで全世界が大混乱に陥った時です。ここアメリカでも、活動自粛、マスク着用、ワクチン接種が半ば強制力をもって奨励される中、多くのアメリカ国民はこれに黙ってはいませんでした。

 

「マスクを着けるか着けないか、それを決めるのは私の基本的な人権だ!」

 

「私の体に何を入れるのか、私以外に決定できる者は誰もいない!」

 

国家であろうと政府であろうと、命を脅かす非常事態であろうと、個人の意志や思想、選択をコントロールすることは絶対に許してはいけない、それがアメリカ人が考える「個人の人権」なんだ、と気づかされました。この点が理解できると、なぜ10歳にも満たない子どもたちが、相手が年上であろうが立場が上であろうが臆することなく「自分」を主張しようとするのか納得できます。彼らを取り巻く教育や社会環境がそう促しているのです。

 

息子のコーチは熱血漢であり、練習中も試合中も時に厳しすぎるんじゃないか思われる声かけで選手たちに高い要求をします。そんなコーチを育てた親父さんはさらに強烈で、コーチの予定が合わない時に助っ人として息子の練習や試合に登場してくるのですが、このパパコーチの声かけはとにかく激しい!厳しい!ストレート!(笑)。数名の親御さんたちは苦手意識をもってしまっているほどです。息子も例外なく、パパコーチから毎回厳しい声かけや要求を突き付けられます。

 

(熱血パパコーチはベンチに留まらずフィールドに侵入して叱咤激励してきます。)

 

昔から大声で叱咤されると委縮してしまう傾向があった息子。5歳の頃、当時所属していたチームの女性コーチに試合中叱咤され、泣きながら途中交代した後、試合終了までずーっとフィールドに背中を向けて号泣していたほどです。そんな息子を知る私と妻は、このパパコーチに息子が潰されるんじゃないかと多少心配していました。

 

ところが先日の試合、このパパコーチが臨時で登場し、いつものように大声を張り上げまくるのに対して息子は試合中面と向かって「うるせー黙ってろ」ばりに何か言い返しているのです(笑)。そしてその直後、相手からボールを奪いゴール。見たかと言わんばかりのドヤ顔(笑)。

 

(熱血パパコーチに堂々と言い返すジャパニーズ アメリカンの息子)

 

誇らしい反面、私は内心「あんな態度をとってしまってこれから干されるんじゃないか」と多少不安を覚えました(これ自体が超日本人的な考え方です 笑)。試合後、このパパコーチが息子と私に駆け寄ってきました。内心ドキドキしている私。それを知ってか知らずか、パパコーチは満面の笑顔で「ナイスゴール」と息子を抱きかかえていました。もちろん息子も満面の笑顔。帰りの車で息子に「パパコーチの声かけ、厳しいけど大丈夫か?」と聞いてみると、「まぁうるさいけど、あれが彼のスタイルでしょ」と全く気にしていない様子。たくましくなったものです。

 

指導者と選手が同じ目的のために真剣に意見を主張しあうことはサッカーで勝つことにおいて必要不可欠であり、アメリカだからなのか、それが育成年代から普通に起こっているということに私は驚き感心しています。たとえ意見がぶつかったとしても、真剣に向き合ったが故の瞬間的な衝突であれば、その後にしこりが残るようなこともありません。意見と意見の真剣なぶつかりあいからこそプラスのものが生まれると、多くの人は信じているのです。そう考えると、この国での対等な関係性というのは、目上の人に対してリスペクトに欠けているのではなく、逆に目の前にいる個人を年齢も人生経験も関係なくただ一人の人間として「リスペクト」する、だから意見は聞くし主張も許す。。。という、日本とは違った形でのリスペクトの表れなのかもしれません。

 

アメリカジュニアサッカーに見られる子どもの自己主張の強さには負の側面もあります。自己主張を超えてただのわがままやしつけのなさ、行儀の悪さとして捉えられる言動も少なくありません。どこが「個人の自己主張」と「単なるわがまま」の線引きなのか…アメリカで生きる日本人として、アメリカンジャパニーズを育てる親父として、サッカー小僧を見守る父親として、この見極めが本当に難しいところです。

 

「子育ては親育て」とはよくいったもの。私はこの地で子育てをしながら、そしてかつて自分が打ち込んだサッカーに今は息子を通して関わりながら、日々たくさんのことを学ばさせてもらっています。

 

 

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