こんばんは。のぞむです。
プロフィールを少し改変しました。恥ずかしげもなく、偉そうな目標も書きました。書いたからには絶対に実現させます。乞うご期待!
そんな話はさておいて本題です。
子供の頃、父からよく聞かされていた話があります。
父は高校に入学した当初はとても成績が悪かったそうです。すると、もう教師もそういう目で見てくるので、何もしてないのに自分のせいにされて怒られたりした、とよく語ってくれました。
その後、高校生だった父親は一念発起して学年トップの成績までのし上がり、生徒会長まで務めたそうです。そうなると理不尽な物言いもなくなったとのことでした。
しかし、家庭の経済事情のせいで大学には進学させてもらえなかったとのこと。おそらくそこで大学に進学できていたら、きっとその後は苦労することなく生活できたのではないかと思います。
でも行けなかった。結局、父親は最期まで貧乏苦労暮らしを余儀なくされることになってしまいました。
実際、父も母もとても苦労して家計を支えてくれていました。自分としては、なんとかして少しでも両親を喜ばせることをしたい、そう考えていました。
家事の手伝いをしたりしてましたが、それ以外になにかないかなぁ、そう考えた私に絶好の機会が訪れました。
中学校に進学して最初のホームルーム。学級委員会を決めるというタイミングがやってきました。ここで学級委員会を務めたら、父親と少し似ている状況になるし、喜んでもらえるのではないかと思ったんです。
そこでさっそく立候補。で他に希望者もいないのでみごと学級委員になることができました。ただ、後で人づてに聞いたのですが、別の小学校から来た(※)同級生達に、「なんだアイツ、カッコつけやがって。」と相当な反感を買っていたそうです。ここから私の大事故生活が始まります。
※うちの中学校は、近くの3つの小学校から生徒が集まる場所でした
で、続けて学級委員で集まる会議で、学年委員長にも立候補しました。もちろん選任。これでかなり親を喜ばせることはできました。
しかし、上記のように反感を買ってしまったので、もう私に構う同級生はいなくなってしまいました。こちらから話しかけても、適当に交わされてしまう…。
この頃からですね、人生で「友達」というものがいたことがありません。
ついでに勉強もがんばって、トップクラスの成績を修めることができました。
そのため、生徒会選挙に担ぎ出され、生徒会長に就任することになりました。しかし、信任投票の反対票は歴代最高を記録したそうです。私へのヘイトが学年から全校に広まってしまったんです。さらに大事故を重ねてしまいました。
しかも生徒会顧問は学年内でも悪名高い暴言教師。コイツについてはまた別記事で書きますが、まーひどい目に遭いました。
2年生の後期~3年生の前期のつらかった生徒会役員の仕事を終えたら、もうあとは流れで3年生後期の学級委員と学年委員長を務めさせられました。このころには、もう自分の成した失敗に無力感でいっぱいでした。
そもそも、みんなから選ばれて生徒会長になった父親と、自分から立候補して生徒会長になった私では、まったく雲泥の差ですよね。
いまから思えば、バカなことをしたなぁと後悔しかないのですが、必死だった当時の私にはそれが見えていませんでした。
高校では一切学級員や生徒会役員などというものには関わらないようにしました。
今でもときどき思い出しては、苦笑いをしてしまいます。実際に親を喜ばせることはできたのだから、それでよしとすべきなのかな…。
ずっと晴れない苦い思い出です。
今日そんな話をここに書いたのは、皆さんに向けて話すことで、その思い出を外部化し、少しでも気が晴れないかな、と思ったからです。
ぜひ一笑に付していただけたら幸いです。
この記事もここまでお読みいただきありがとうございました。
本ブログは年内フォロワーさん100人を目標に活動しています。本記事や過去記事をご参照いただき、すこしでも「いいな」と思っていただけましたら、ぜひフォローをよろしくお願いいたします。
また、読書・映画がメインではありますが、Xアカウントも開設しています。
こちらも年内フォロワーさん100人を目標に活動していますので、同様にぜひフォローをよろしくお願いいたします。
それでは。また次の記事でお会いしましょう。