特別支援学校卒業式 感動 学校の配慮へ感謝

家族の記録
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昨日は、初めて特別支援学校の卒業式だった。

息子は中学を卒業した。中等部から高等部への進学だから、エスカレーターみたいなもんで、「涙は出ないかな?」と思っていたが、まるで違った。

小学生の時の卒業式

3年前の小学生の卒業式も、僕は号泣でした。

うちの息子は、小学5年生まで特別支援学校でしたが、6年生の1年間だけは、地域の小学校の支援級でした。5年間通って友達がいる中で、あと1年通えば、みんなで卒業できることを考えると躊躇がありましたが、色んな理由から、教育委員会に何度も足を運んで、頭を下げて、普通の学校の支援級に転校をしました。

一番の理由は、息子がその選択をしたことでした。「地域の学校の体験で周りの友達が凄く優しくしてくれた。だから、僕は転校したい」と息子が言ってきたことは、僕にとっても、妻にとってもすごく大切なことでした。他にも理由を5つ考え、教育委員会に転校させてほしいと僕は申し出ました。特性から考えれば、特別支援学校が妥当。転校は考えづらい息子を転校させた理由で一番大きかったのは、

『パパ、この子はあと何回、人生で自己選択ができるんだろう?』

という泣きながらの訴えでした。僕は、想像したんですね。色んな選択を普通の健常の方のように、そして僕らのように人生をどこまで「息子は自己選択できるか?」と聞かれたら、本当に数少ないと考えたんです。自分から、「転校したい」と言った願いをかなえることは、親として、とても重要なことだと僕も考えたのでした。

でも、簡単な転校ではありませんでした。

当然に、転校出来てからの実際の「生活」もとても大変だったのです。
特性を考えれば、結構に無理がある選択だったので、妻と僕は、毎日「授業参観」状態で、付き添いでした。それは本当に大変なことでしたし、いつしか支援員のようにもなっていました。


小学6年生の卒業式は、普通級の卒業生に混じりながらの卒業式でした。周りには、友達と言える友達は誰もいなかったのです。普通の子に合わせるので、うちの息子にはハードルは高く、その練習でも大変でした。また、卒業式には先生の付き添いが、必須でした。もともと行事が苦手な息子でしたから、変なトラウマにならないように、「いつでも、諦められるような気持ちでいよう」と僕は思っていました。
それでも、何とかきちんと壇上で賞状を受け取った息子を見て、色んな気持ちが溢れました。自然と涙が出たのでした。いつパニックになるか?というギリギリのラインでの卒業式でしたが、息子は見事にクリアしたでした。

卒業式の練習の時から、凄く難しくて、先生が付き添いのもとで行っていました。自分から見ても厳しい面があり、「校長室での賞状の授与でも諦めようね。それも、一つの想い出の形だと思うよ」と妻に話していたのでした。

当然に、同時に別会場で行われている、以前通っていた特別支援学校の同級生の顔が沢山、浮かびました。息子は確かに転校していましたが、けして1年間の総括ではなく、僕らにとっては6年間の総括の卒業式でした。頭に浮かぶのは、特別支援学校の時の苦しい時、嬉しい時、色んな場面が脳裏をかすめました。

だから、特別支援学校の時の、その保護者さん(ママ友さん)たちの顔も頭に浮かびました。互いに協力し合って、子育てをしてきた仲間です。苦しい選択の中で、また支援級に通っている時も、苦しい子育てをしてきたママにとって、そういった仲間は大切な友達です。そういった過去5年間もひっくるめて、息子が校長先生からきちんと卒業証書を受け取った姿は、本当に感動し、今でも目に焼き付いているのです。

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特別支援学校 中等部の卒業式

そして、小学校の時と違う特別支援学校に入った息子。中学1年生の時は、教室に入れず、個室にいることも多かった息子ですが、この3年間で大きく成長しました。

今回の卒業式は、
自分の中では笑いあり、涙ありの卒業式でした。

息子は、朝からスーツ姿。
でも、最近のこだわりは、長靴。
式では、上履きでしたが、
ずっとスーツに長靴でした(笑)

会場についても、スーツで長靴を履く姿は違和感でしたが、それを「認めてくれる空気」が特別支援学校にはあって、にこやかで、柔らかな空気がありました。その空気が…僕は好きなのです。誰かが何をしても、全くかけ離れた行動をしても、そして、ちょっと我儘に感じられる行為をしても、その子なりの精一杯頑張る姿なのだと、受け入れる気持ちが保護者も含め、学校全体に流れている。

そして、何故か名札をつけてる息子。
「Mr.息子の名前 息子の名字」例でいうならば、「Mr.マサムネ クサノ」(例はspitzのボーカル)みたいな呼び方です。

なぜ、スーツに名札なのか?のエピソードは2学期にさかのぼります。

最近は、うちの子は、鬼滅の刃【拒否】が強くて

鬼滅=日本のアニメ=日本のアニメは鬼が出る=海外のアニメは安全=海外好き=英語が安全

という思考で、「自分には英語で話して欲しい」と望み、自分の名前を、「Mr.名前 名字」で呼んで欲しいと言っていました。自分なんて、全然英語もできないのに(笑)
そうやって呼んでもらうことで、日本の怖いものから自分を遠ざけているつもりだったのでしょう(笑)

2学期に校内放送で、「Mr.(名前)(名字)で僕を呼んで下さい。挨拶も英語でお願いします」そう訴えたそうです(爆笑)

すると、学校のほぼ全ての先生が、息子をそう呼んでくれたんです。ある先生は、簡単な英語学習のプリントを刷ってくれたりもしました。学校中が、

「hey!Mr.○○、○○!good morning!」みたいに、うちの息子を呼んでくれました。そして、子供たちも自然とそういう空気に飲まれて、先生と同じように声をかけてくれるようになりました。普段は全然お話をしない子まで、それを口にするようになったのです。

「そんな学校あるんかいっ!」と、笑いながらも、僕はメチャクチャ感謝したのです。

ところが、卒業式もそう呼んで欲しいと息子は言い出す始末でした。流石に周りの保護者に悪くて「それは流石に無理だよ」と説得しました。礼儀作法を重んじれば、さすがに出来ないので、先生も困るだろうと、そこは親として必死に出来ない旨を伝えたのです。

が、うちの息子は納得できない(涙)

すると、先生から、「名札をつけましょう!Mr.○○と」と提案され、ポケットくらいの大きさの名札をつけることになりました。「Mr.と英語で呼ぶことは出来なけれど、名札を付けることは出来るよ」と妥協点を提案してくれたことで息子の気持ちの負担は少し楽になったようでした(笑)

そんなこんなで、
卒業式には、
その名札をつけて登場した息子。

僕は初めて特別支援学校の卒業式を経験。小等部と中等部の卒業式は一緒に行われました。
息子の話とはずれますが、
僕は小等部の授与から号泣してしまいました。

ある重度の女の子が、先生に付き添われて壇上にあがるもそこから進むことが出来ませんでした。裾のカーテンにくるまり動かない。明後日の方向に歩きだしたりします。

でも、先生はずっと待つのです。
校長が賞状を渡しにいきます。時間もどんどん進むので、仕方なかったと思います。
その子は卒業証書を手に取りますがが、カーテンに包まったまま。
でも、付き添いの先生は待つんです。けして、無理強いはしないんです。
次の子の授与になっても、
でも、先生はずっと待ってくれました
そして、他の生徒の卒業証書授与が進み、最後の1人になった時に、やっと静かにその子は動き出し、みんなと同じルートから降りてきました。僕は「えらいね…えらいね…頑張ったよ」と思って、そう思っていたら、自然と涙が落ちました。

他の生徒の時も、
すべて…先生は子供のペースに合わせます。

凄く、すごく、凄く、
優しい雰囲気に、心がぴたりと止まる感覚

無理強いのカケラもない。
奇声もあったり、
返事が出来なかったり、
椅子に座れなかったり。
でも、焦りを見せず、優しい視線で過ごせる空気。

会場全体が、「ま、いいよね」の空気。
誰もが、「許すこと」の大切さを知っている空気。

他の生徒、
自分の息子、
全員に、
決まりはあるけど、
ペースの強要がない。
君のペースで良いんだよ…そんな優しい空気を感じます。

普通の小学校の時の息子の卒業式
特別支援学校中等部での息子の卒業式
どちらも感動はした
けど、
求めることが違うのだろうけど、
とにかく、今回はその「優しさ」に感動したのでした。

息子の卒業証書授与。名前を普通に呼ばれましたが、でっかい声で「はい!」と叫んでいて、名札を揺らして卒業証書を貰いました。

式が終わり、
先生方に挨拶。
柔らかい空気。

「最後に生徒と話します」と保護者に伝え、担任の先生(女性)は子供たちの方を向きました。
「みなさん…」から始まる最後の言葉。
テレビドラマの様な名言が並ぶわけじゃありません。なぜなら、発達障害・知的障害のある子供たちに分かりやすい言葉を並べるから。

その分かりやすい言葉にしていることだけで、
先生の深い愛情が感じられました。

とても大変なクラス。それを、3年間優しい視線で見つめてくれた先生です。別れが悲しいという気持ちもあったと思いますが、何よりも先生の顔は晴れやかでした。時より、寂しい顔が見えなかったわけではありませんが、とにかく優しい、晴れやかな顔でした。やり遂げた…そんな顔に、僕には見えたのです。

優しい言葉を浴びている我が子。
その親の僕。

息子も僕も妻も、
なんて幸せなんだろうと
僕は思いました。

小さな配慮を、
沢山感じさせてくれた特別支援学校の卒業式。

子供たちに寄り添った卒業式。
僕の想像をはるかに超えて、
最高な卒業式でした。

最後に、妻へ。僕は声を掛けました。
「3年間ありがとう。さあ、次の3年間を頑張ろう。もっと、もっと、僕らは幸せになれる」と。



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