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アヘン戦争の歴史 – イギリスが香港を獲得した背景とその後の中国への影響

【 世界の『戦争』雑学 】

アヘン戦争

アヘン戦争の歴史的背景



アヘン戦争は、19世紀中頃に中国とイギリスの間で起こった戦争です。



この戦争は、中国の清朝イギリス帝国との対立が引き起こしたもので、その結果、イギリスは香港を手に入れることになりました。



しかし、なぜそのような結果に至ったのでしょうか?



アヘン戦争の背景とその後の中国への影響について、少し深く掘り下げて見ていきましょう。


アヘン戦争のきっかけ – アヘン貿易と清朝の対策

〔禁止令により、焼却される喫煙具〕



アヘン戦争の直接的な原因は、イギリスがインドで生産されたアヘンを中国に大量に輸出していたことにあります。



18世紀から19世紀初頭、中国ではアヘンの需要が急増して広く喫煙されていました。しかし、アヘンがもたらす健康被害や社会的問題を受けて、清朝政府はアヘンの取引を取り締まる決定を下します。


1839年、清朝の役人である林則徐(りん そくじょ)は、広州で大量のアヘンを没収し、焼却するという強硬策に出るのですが、これがイギリス商人を激怒させ、結果として戦争に発展するのです。

〔林則徐(りん そくじょ)〕



イギリスはアヘン貿易を守るため、中国に対して武力行使を決意します。


アヘンとは?


アヘンとは、ケシの実から抽出される麻薬の一種で、主に喫煙や吸引、または注射などによって摂取され、麻痺や快楽を引き起こします。しかし、依存性が高く、過剰摂取すると健康に深刻な影響を与えるため、危険な薬物とされています。

イギリス優位の戦争



イギリスは当時、世界でも有数の強力な海軍を有しており、その戦力を背景に中国に対して圧倒的な優位を誇っていました。



戦争は、広州や南京など中国の港をイギリス軍が占拠し、中国側は次第に劣勢に追い込まれます。



これにより、戦争は早期に終結を迎え、1842年に南京条約が締結されることとなります。



中国4000年の歴史まとめ



南京条約と香港の割譲

〔南京条約の調印式〕



南京条約は、アヘン戦争を終結させるための取り決めであり、中国はイギリスに対していくつかの重要な譲歩を行いました。



その中でも最も注目すべきは、香港の割譲です。この条約により、イギリスは香港を領有することになり、ここを貿易の拠点として利用します



香港は、イギリスのアジアにおける重要な拠点となり、以後150年以上にわたってイギリスの植民地として支配され続けるのです。

〔1959年から1997年の香港返還まで公式に掲揚された香港の旗〕



また、南京条約によって、イギリスは中国の複数の港で貿易を行う権利を獲得し、外国商人が自由に取引できるようになりました。

そのため、中国の経済は海外の影響を受けやすくなり、外国の勢力がますます強まることとなりました。


南京条約の内容

南京条約(1842年)はアヘン戦争を終結させるために締結され、中国(清)はイギリスに対して以下のような重要な譲歩を行いました。

  • 香港島の割譲(ただし、当初は「香港島」のみであり、九龍半島などは後の条約で追加)
  • 5つの港(広州・厦門・福州・寧波・上海)の開港
  • イギリス商人に対する関税の取り決めと自由貿易の許可
  • 戦費賠償金の支払い(2,100万ドル)
  • 中国側の外交対応の改善(対等な立場の承認)


アヘン戦争が中国に与えた影響




アヘン戦争と南京条約が中国にもたらした影響は計り知れません。まず、この戦争によって清朝政府の権威は大きく損なわれます。



条約を皮切りに、アメリカやフランスなど他の西洋列強も同様の条約を中国に押し付け、中国の半植民地化が進行しました。


また、アヘンの密輸は戦争後も続き、依存症の拡大や経済への悪影響が深刻化したのです。




正式にアヘン貿易が合法化されるのは第二次アヘン戦争(アロー戦争)(1856年–1860年)後の天津条約北京条約ですが、すでに南京条約の時点で清朝の統治力が弱まり、効果的な取り締まりが困難になっていました。


清朝の弱体化と社会不安の増大は、後の太平天国の乱(1850年–1864年)や義和団の乱(1899年–1901年)などの大規模な反乱を引き起こす要因となりました。

太平天国の乱(たいへいてんごくのらん):清朝に対するキリスト教系反乱勢力「太平天国」による大規模な内戦。

義和団の乱(ぎわだんのらん):「扶清滅洋(ふしんめつよう)〔清を助けて西洋を排除する〕を掲げた義和団が外国勢力に対抗した反乱。



これらの内乱は、清朝の統治力をさらに衰退させ、最終的には1911年の辛亥革命による清朝の滅亡へとつながる流れを生み出したのです。

辛亥革命(1911年):清朝を倒し、中華民国を樹立した中国の革命。



終わりに

〔第二次アヘン戦争(アロー戦争)〕



アヘン戦争は、中国の近代史における大きな転機となりました。



この戦争によって、イギリスをはじめとする西洋列強の影響力が中国に及ぶこととなり、清朝は次第に衰退していきます。そして、香港を手に入れたイギリスは、その後アジアにおける強力な植民地支配を維持することとなり、香港は20世紀までイギリスの重要な拠点であり続けました。


アヘン戦争が、中国の歴史、そしてアジアの近代化においてどれほど深遠な影響を与えたかは計り知れません。



現代の国際関係や中国の近代史を理解する上でも非常に重要な出来事となります。



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