打ち出の小槌状態の地方に喝を入れる「ひろゆき砲」
国が地方を救うのは当たり前、都会の人間が地方に金を恵むのは当然となっている「打ち出の小槌」状態となっている地方の現実にひろゆきは警鐘を鳴らすのです。
ということで、今日も昨日に続き、国の推進する地方創生はまやかしだと言い続ける「ひろゆき砲」に迫ります。
地方の現実は、少子高齢化による人口減少によって地方行政の推進が限界点に達してしまい生活コミュニティも崩壊の危機に見舞われているのです。
この地方の窮状を見た国は、地方を救う為に始めたのが、莫大な国税を投資した地方創生事業というわけなのです。
感覚が麻痺している田舎っぺ野郎ども
こうして都会の住民たちから集めたお金が過疎の町や村の住民たちを救済する為に投下されるというわけなのです。
いやはや、地方創生は税金の無駄使いとまでは言わないが、まあ、それにしてもこれで田舎の人たちが涙を流して喜んでくれることだし、毎度の偽善のパフォーマンスと言えども致し方ないのかと思いきや。
ところがどっこい……その田舎から帰って来た言葉はウッヒヤー!!だったのでした。
そう、「移住を受け入れてやるから我々に従え」だったからでした。
有難みなどはゼロ、やって当たり前のこと、いやそれどころか上から目線の殿様身分だったというわけです。
それにしても、何でこいつらだけが一方的強気一辺倒で、我々国民がこいつらにへりくだらなければならないのでしょうか??
そうした中で、この田舎っぺの宇宙人的発言に対して異を唱えてくれたのが、健全な日本国民の救いの神である論破王ひろゆき大先生なのでした。
「移住を受け入れてやるから我々に従え」は、本来であれば立場の強い先住者であれば当然の物言いともいえるものです。
しかし、この言葉が使えるのは自分たちの自助努力ですべてを賄っていればの前提であるのだと、当然の論理で諭したのでした。
しかしながら、いくらなんでもここまで至り尽くせりの優遇された中で言えてしまうのは、こいつらの根性も叩き直さないとダメだというわけです。
市町村合併を拒み続ける過疎村の現実
人口が300人~400人に減少しても、市町村合併を拒み続ける村が存在する日本の現実。
市町村合併の淘汰の嵐が全国規模で展開される中でも、彼らは一様に、我が町は自然多き素晴らしい街と喧伝する能書きを垂れて拒み続けてて来たのです。
この抵抗は、いうなれば生まれ故郷を存続する為の儀式みたいなものと化しているのです。
これに異を唱えて、単刀直入に切り込んだのがひろゆき砲なのでした。
であればその志は認めるとして、打ち出の小槌に頼らずに、ご自分たちで解決の糸口を見つけ出せば何ら問題のないことだとし、補助金ありきが当たり前と考える思考は改めるべきと断罪したのでした。
地方の現実は、こうして国から都会からの打ち出の小槌が当たり前となってしまっていることで、感謝の念などなく、まるでウクライナのゼレンスキーと同じとなってしまっているのです。
今やベーシックインカムの綺麗ごとを唱える時代でもなくなってしまった日本社会。
ひろゆき砲こそは国民の総意、もはや、地方の勝手な我儘に振り回されるのは御免被りたいものです。
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