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来年は最初の客に… in 群馬【葉留日野山荘】湯の小屋温泉にあった懐かしのお宿

旅行記
葉留日野山荘

2012年。ワタシはまだ30代前半で、興味の湧いたところに気の向くまま旅していた。
当時、ワタシが旅行先を決めるのに活用していたのが「日本秘湯を守る会」。こちらの会が出版した「日本の秘湯」を時間があるときに読んでは、次の行き先をいろいろと考えていた。
この頃は仕事がけっこう詰まっていたが、ふと思い立って休みを取り、群馬県・湯の小屋温泉の「葉留日野山荘」に行くことを決める。そうでもしないと休暇を取れなかったからだ。

まさかバスであの雪山へ向かうのか!?

11月24日、9時半に家を出たワタシはJR東日本の列車を乗り継ぎ、上越線・水上駅には13時20分頃に到着。ここからは関越交通のバスを使って「湯の小屋」のバス停に向かう。

水上駅は有名な観光地だけあって人が多く、湯の小屋行きのバスにも15人ほど乗車。うち3人が外国人だった。こちらの外国人の方々は途中の「宝台樹スキー場」あたりで降りたが、よくこんな場所を見つけて旅行に来るものだと感心した覚えがある。

水上駅から湯の小屋まではバスで50分ほど。バスはどんどん山の中へ入っていく。さらに、道中でバスの運転手さんからは、
「これから前方の山へと向かいます。湯の小屋あたりはおそらく寒いので気をつけてください」
というアナウンスまで。
前のほうを見てみると、降りはじめた雪の向こうにけっこう高そうな山の稜線が…。これからどんなところに連れていかれるのだろうかと、さすがに不安になってしまった。

「宝台樹スキー場」から湯の小屋温泉あたりの景色。翌日に撮影。

「湯の小屋」のバス停に着くと、若旦那と思しきお宿の方に迎えに来ていただいていたので、お宿のワゴンで「葉留日野山荘」へ向かう。
お宿へ向かうとき、若旦那さんに水上駅までは25kmほどだと教えていただく。この時期になると路面が凍結するそうだが、ノーマルタイヤで来る観光客が多くて危ないとも話していた。

「何もしない時間があるのがうれしい」

15時前にはお宿に無事チェックイン。
実は「葉留日野山荘」は2013年にひっそりと閉館している。そのため、施設のデータは住所のみにとどめておく。

【葉留日野山荘】基本情報

葉留日野山荘
■住所:群馬県利根郡みなかみ町
 藤原6289

 ※現在は廃業

「葉留日野山荘」は廃校の木造校舎を山荘に改装したお宿だ。ワタシが訪れた段階で、開業して40年ほどだという。
館内は昔のままの構造になっていて、職員室は談話室に、講堂は食事処にそれぞれ模様替え。どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
おまけにオーナーさんの方針だろうか、素朴で商売っけが感じられない。いかにも鄙びた温泉宿といった趣きで、ワタシはいっぺんに好きになってしまった。

かつての学校の面影が残る廊下。

「葉留日野山荘」に宿泊している間、見かけたお宿の方は3人。おじいちゃんと中年のご夫婦で、おじいちゃんがお宿のオーナー、ご夫婦が若旦那さんとおかみさんらしい。どうやらこの3人でお宿を切り盛りしているようだ。

客室はとってもシンプル。

客室にあるのはポットとファンヒーター、他は電話とちゃぶ台くらい。布団は自分で敷くようになっている。テレビは客室にはなく、あるのは談話室のみだった。
このときの日記にワタシは「何もしない時間があるのがうれしい」と記していた。当時は心身ともに疲れていたのかもしれない。だとしても静かなお宿で布団に転がり、ただただボーッとする時間は贅沢のひとつだと今でも思っている。

温泉に浸かるとずっと体がポカポカ

「葉留日野山荘」の浴室はお宿の本館の外、小さな別棟にある。
こちらの温泉は源泉かけ流しで、加水や加温はなし。
お湯に浸かっていると、じわじわと温かさが体に染み込んでくるのがわかる。本当に「染み込んでくる」感覚なのだ。熱くなったら湯船に腰かけて外気で体を冷まし、涼しくなってきたら湯に浸かる。「いいな」と思える温泉では、ワタシはこれを20~30分続けるのが常だ。そして、一晩の間に何度も浸かってしまう。

浴室のある別棟。

実際、「葉留日野山荘」では15時半頃と20時頃、23時頃、さらには翌朝と計4回入浴した。
ただし、2回目のときは酔っぱらった男性2人組がいて、1人は床に寝転がっているという体たらく。浴室内が酒臭かったので、さっさと退散したのだけれども。

「葉留日野山荘」の座布団。

「葉留日野山荘」の温泉の効果はとにかく素晴らしく、1時間経っても体が全然冷えない。
それどころか就寝前に温泉に浸かっておけば、朝まで体がポカポカして暑いくらいだった。
これだけ体がしっかりと温まる温泉は、ワタシが泊まったお宿ではこちらの「葉留日野山荘」、あとは長野県の小谷温泉にある「大湯元 山田旅館」くらいだろう。

新鮮なクマ肉が夕食に

18時過ぎからは食事処で夕食。
夕食にはお米をはじめ、野菜やキノコ、コンニャクなど地元産の食材がふんだんに使われている。
パッと見たとき、野菜中心のメニューに少し物足りないかも…と思ったものの、実際には満足できる内容だった。お酒のつまみにしたいようなメニューが多いのもうれしかった。
ちなみに、写真には入っていないが、この他に川魚の塩焼きもあった。こちらは頭からバリバリといただいてしまった。

こちらが夕食。なんともあっさりとした写真…。

写真の右側にあるサラダに肉の燻製が乗っているのがわかるだろうか。実はこちら、クマ肉なのだ。
非常に柔らかくてクセや匂いがないので、最初ワタシはシカ肉だと思っていた。
食後におかみさんと話をする機会があり、「あの肉がなんだかわかりました?」と聞かれる。
クセがないのでシカ肉じゃないかとワタシが答えると、今年獲れたばかりのクマなのだとか。猟師さんからたくさんいただけたので、お客さんにも出せたという。
ケモノの肉はどうしても硬さや臭みがあるイメージだとワタシが話すと、「葉留日野山荘」のある藤原地区では新鮮な肉しか食べたことがないので、そう思ったことはないのだとか。なんともうらやましい話だった。

ちなみに、「葉留日野山荘」はスタッフの数が少ないため、負担を減らす仕組みがいくつもあった。
たとえば、ごはんは大きな炊飯器がひとつ用意されていて、そこから各自がよそっていく。また、片づけの手間がかからないよう、食べ終わったら食器をカウンターまでお客が運ぶのもそう。旅行中のワタシは「郷に入っては郷に従え」というノリなので、こういうシステムも気にならなかった。

「二岐渓谷」のようになれば…

食後にのんびりしていたときだ。天井のほうから何からカサカサと音がする。外はかなりの寒さだから、暖かいお宿に動物たちがやってきたのかもしれない。

部屋にはテレビがなく、当時はスマホをポチポチ…なんて文化がなかったから、やることといえば温泉に浸かる、次の日の計画を練る、ダラダラする、日記を書くくらいだ。おかげでいま読んでも当時のことが思い出せるくらい、日記の内容が充実していた。

食事処の前の、さまざまな情報が記された黒板。右下のボードには食材が書かれている。

雪深い藤原地区にある「葉留日野山荘」は、12月から翌年の4月まで宿泊の営業を休むという。

のんびりしているとき、ワタシはある漫画作品をふと思い出した。つげ義春の「二岐渓谷」だ。
この作品では、紅葉が終わった時期に福島県の二岐渓谷を訪れた主人公が、とある鄙びたお宿に泊まったときのエピソードが描かれている。まるで旅行エッセイのような作品なのだ。

鄙びたお宿を営む、どこか飄々とした老夫婦とのやりとり。お宿が提供する料理をおばあちゃんがひとつずつ挙げていき、2食つきで600円と口にした途端に主人公が「泊めてください!」と手を上げるシーンが微笑ましくて好きだ。
また、露天風呂でケガをしたサルと出会うなんて実際にはないだろうが、ありそうな気がしてしまう。

淡々とした展開だが、実際に遭遇しそうなエピソードが続く「二岐渓谷」は、旅が趣味のワタシにとって一種の憧れだった。作品内のお宿も冬季は休業し、来年は最初の客になってみたいと作品の最後で主人公がつぶやいている。ワタシにとって「葉留日野山荘」は同じような感覚を覚えたお宿だった。
ただ、また行こうと思って翌年に「日本秘湯を守る会」のサイトを調べたところ、「葉留日野山荘」の情報がない。いろいろ調べてみると、「葉留日野山荘」は廃業したとのことだった。

「葉留日野山荘」で買ったドライフラワーが今もワタシの部屋に残っている。
帰り道の途中で見えた雪山。

翌25日は「二岐渓谷」の主人公のように山を下りようと、水上駅まで歩くことにする。その距離は約25kmだ。
途中、「クマに注意」という看板だけでなく、集落では「住宅地付近で猟銃を撃たないでください」という看板を見かける。
さらに、ガードレールの支柱には木槌をぶら下げた一斗缶がかぶせられ、そばには「クマを見かけたら叩いてください」という注意書きまで。これにはさすがに不安を覚えてしまった。

その後、半分くらいまで来たところでワタシの膝はカクカクしはじめ、水上駅に着いた頃には地に足をつくことすらつらい状態に。本当は「沼田城跡」に寄り道したかったのだが、結局は真っ直ぐ帰宅した。最後がどこか締まらないのはなんともワタシらしい。

(お出かけ日:2012年11月24日~11月25日)
※敬称略させていただきます。
※施設情報は2025年1月時点のものです。

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