【観音寺】基本情報
要光山 観音寺
■住所:埼玉県秩父市寺尾2354
■駐車場:あり
■電話:0494-24-7263
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
※11月~2月は16:00まで
※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
※2巡目以降は200円



「矢之堂」とも呼ばれている寺院。この別名はもともと城峯山の表登山道になっていた矢納村(現在の児玉郡神川町)から移されたことが由来という。他にも、行基が聖観音の像を開眼しようとした際に現れた悪鬼たちが八幡神の神矢で追い払われた話や、平将門が矢を納めて戦勝祈願を行ったという話も残っている。大正12年(1923)に火災に遭って焼失したのち、小鹿野にあった廃寺の解体廃材を用いて再建。火災前の観音堂は3間四面(約5.5m)だったといわれているが、現在は間口4間半(約8.2m)、奥行き3間半(約6.4m)で寄棟屋根となっている。本尊の聖観世音菩薩は江戸時代中期の作といわれ、高さは30cmほど。こちらは大正時代の火災で難を逃れたことから、火難除けの尊像として信仰を集めている。
Kとの秩父札所巡りで23番目に訪れたお寺。
荒川の西岸、埼玉県道72号 秩父荒川線沿いにあり、20番札所「岩之上堂」から車で数分、歩いても10分ほどで着ける。
駐車場は県道を挟んで境内の反対側にあり、数台停めることが可能。この駐車場のそばには百万遍唱念塔のほか、秩父地方の田舎芝居・大和座で座頭を務めた役者であり、「田舎千両」と称された中村十九十郎の墓が立っている。
青い文字が色鮮やかな「矢之堂」の扁額
「観音寺」は山門や塀がなく、周囲に高い建物もない。また、県道側は民家も少ないうえに荒川が流れていることもあって開けていて、境内は開放感にあふれている。
県道から境内に入ると正面に観音堂がデンと構え、右手に手水舎、左手に納経所がある。
境内はさほど広くはなく、観音堂でお参りをしたらすぐに納経所で御朱印をいただくことができるので、参拝だけならば5分くらいで終わってしまうだろう。
それでも「観音寺」を訪れたら、せっかくなので石仏や石碑などを見て回りたいところだ。
観音堂の特徴として、向拝に掲げられた「矢之堂」「秩父廿一番」の扁額が挙げられる。
特に「矢之堂」の扁額は青色の文字が鮮やかだ。
ちなみに、ワタシたちが訪れたとき、手水舎の水が止まっていた。
お寺の方によると、この日はかなりの寒さで凍ってしまう可能性があったため、蛇口を閉めておいたのだとか。その方に蛇口の位置を教えていただき、ワタシたちは手を清めることができた。
「観音霊験記」によると、この地はもともと八幡宮の社地であったとか。奈良時代の高僧として知られる行基が訪れた際、境内にあった御神木で観音像を彫って祀ったことで、このあたりが仏地になったという。
これに周辺の邪神や悪霊が激怒して暴れ回ったものの、八幡の神が武甲山の神と協力して邪神たちに対抗。
八幡神が放った神矢によって魔物たちが追い払われたとのことだ。
以上の話は「観音寺」が「矢之堂」と呼ばれるようになった縁起のひとつとして知られている。
子どもの成長を願う「さるこ」を納経所でいただく
「観音寺」の境内には石碑や石仏、六地蔵が点在。他にも松尾芭蕉の句碑が立っている。
こちらの句碑には芭蕉の「奥の細道」に収録されている「しずかさや 岩にしみる 蝉の声」の句が刻まれている。秩父地方の画家である写梅園習斉の書を刻んだとされ、大正13年(1924)に建立されたという。
なお、ワタシたちは「観音寺」に30分ほど滞在。このくらいで境内を十分に散策できた。
納経所で御朱印をいただく際、お寺の方に「さるこ(小さな猿)」を譲っていただく。
「せっかくなので…」と勧めていただいたこともあり、ワタシは10個以上いただいてしまった。その節はありがとうございました! それにしても、ワタシはなんとも欲ばりな男である…。
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(お出かけ日:2025年2月19日)
※施設情報は2025年3月時点のものです。