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  クレール平田

KAIJU CAFEで朝ごはん

 

みかんのジュースを飲みたいがために高めのものを頼みました

 

ホッとしがなら

 

そういえばクレール平田の平田って地名というよりどなたかのお名前みたいですよねぇ…凝視

 

誰かが偉業を達成したのかなぁ真顔

 

  大鳥居

 

  手水舎

大きな手水舎でした

 

  社名碑

東郷平八郎の筆です

 

  境内

 薩摩の紋がびっくり


  狛犬

 

 

 

  拝殿

この日は開放されており奥の社殿まで行けました
 

 

 

 

 

拝殿の横に概要がありました

 

平田靱負と藩士84名の治水工事の物語です

 

〈宝暦治水由来書〉

昔この地方は木曽三川に囲まれ、木曽川より長良川、揖斐川とそれぞれ1メートル余り川底の差があり低くなっていた

そのため、土地の低い美濃側は絶えず水害を被り、徳川時代、特に慶長から宝暦にかけては毎年氾濫して治水工事の嘆願が続き、ついに幕府へ宝暦3年(1753年)12月25日西国の雄藩薩摩藩にお手伝いを命じた

当時、借財に苦しんでいた薩摩藩ではあるが

藩の存亡を懸けその命に従うこととなった

総奉行に平田靱負正輔を任じ年が明けて1月21日江戸より、ついで29日には薩摩より947名を出発させた

途中大阪で工事費を調達し2月27日に四の手にわかれて工事に着手

水との苦闘は難工事の連続、その上度重なる洪水に工事費ははるかに超過し、幕府側の迫害や侮辱、工事の邪魔に耐えかねて、自決したもの53名、疫病の流行で病没33名にもおよんだ

 

総奉行は藩主重年公に工事竣工の報告を副奉行に託し、全責任を負って宝暦5年5月25日享年52歳でこの世を去った

幕府の命令とはいえ三百里も離れた異郷の地を水害苦難から救った薩摩藩の人達の血と汗と涙の結晶は、今もこの地に語り継がれて薩摩義士の偉業として称えられる大治水事業であった

この治水神社は平田靱負を祭神とし、その時亡くなられた八十余名の方々をお祀りして感謝の誠を捧げ願望成就の神として崇敬されている

 

ブラック判定士(自称)の私もびっくりな内容ですね


結構な邪魔が入ったようでその苦難に涙が出てしまいます驚き

 

  社殿

御祭神

平田靱負正輔大人命(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)

および薩摩藩士八十余名

 

御神徳

除災招福

心願成就

家内安全

国土安穏

 

創建は昭和13年

 

この大工事を世に広めたのは、三重県多度に住む西田喜兵衛です

彼はこの工事の様子を世間に知らせ、犠牲者の慰霊と顕彰に邁進しました

明治33年(1900年)、近代の木曽三川の治水工事の成功式に併せて「宝暦治水之碑」が時の総理大臣山縣有朋公を迎えて油島千本松原に建立されました

 

その後、平田大人を治水の神と讃える地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、昭和13年(1938年)現在地に、平田靱負大人を御祭神とする治水神社が創建されました

治水神社は治水に尽力された薩摩義士の功績を讃え、平田靱負大人の遺徳を偲び、犠牲となった多くの藩士達を慰霊しています


  治水昭和之宮

昭和34年(1959年)9月26日、この地を襲った伊勢湾台風の主として三重県内の犠牲者を慰霊するために、翌年に創建されました

 

  薩摩義士之像

 

  境内色々

 

 

 

 

千本松原の先にも石碑がありました

何が何でも成し遂げる薩摩義士の意地

地域の人々の深い感謝の心が伝わる神社でした🙏


こちらの神社や周辺の関係する場所に行って歴史を知っていただきたいと思う神社です驚き


治水神社

〒503-0625

岐阜県海津市海津町油島407-1

 

皆さんのお願いが叶いますよう

今回もご縁に感謝して

また次回もよろしくお願いします🙏

 

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