先日、珍しく平日に夫と息子(13)の2人の休みが揃うことがあった。手元にチケットがあったので、3人で京都の京セラ美術館のモネを見てから、ランチをどこかで食べよう!と提案してみたら、息子から「美術館、好きじゃない」とあっさり却下された。じゃあ、どこか行きたいところは?「ない」何か食べたいものも?「ない」
がーん、ついに、息子が親とのお出かけに嫌悪感を示すようになってしまった!
でも、わたしと夫は美術館に行きたかったので、わざわざ反抗期の息子に合わせる必要もないわな、と、今回は息子を家に置いて2人で出かけることにした
(一応出かける前に本当に一緒に行かないの?と聞いてみたけど、ブスッとして「行かん」と言われた)
(河原町でランチのあと、ゲームセンター巡りでもいいよ!と言ったのに、弟が一緒じゃないと嫌と言われた(まあでもこの気持ちは理解できる))
あいにくの曇り空


モネが目当てで行ったら、持っていたチケットで蜷川実花さんの作品展も見ることができるという。蜷川さんの写真って夢みたいな色彩で、ちょっとなんかグロテスクで好きだ。
京セラ美術館には何度か来ているけれど、今回モネの作品が展示されている北回廊・南回廊に来るのは初めて。回廊の入り口は、光が射す高い天井がとても気持ちよくて、知らない美術館に訪れたみたいだった。
わたしはモネについては「睡蓮の絵の人」程度の知識だったので、何枚も続く睡蓮の絵をたくさんの人の隙間から眺めて周っていたら、壁にモネの言葉として「水と反映の風景に取りつかれてしまいました」という文があった。続けて「年を取ったわたしには大変ですが、どうにかそれを描きたい」(うろ覚え)と、いうようなことが書かれているのを見て、ああ、そうか、と思った。
モネは睡蓮の美しさと、水面に映った風景を描きたかったのか!と。今まで睡蓮ばかりに目を向けていたけれど、水面に描き込まれた風景に注目すると、それが描かれた季節や時間の変化に気づけた。じっと見ていると、朝の冷たい水の周りに生えた木々、夜のぬるい水とむわっとした雰囲気などまで感じられるようだ。
撮影は一部を除いて不可だったので、その中にはいくつも気に入った絵があったけれど目とあたまに焼きつけるようにじーっと見た。
また、途中でモネが日本の橋を何枚も描いていて描きながらも「これじゃない」「こう描きたいのに」などと思いながら描いたのかなと想像してみたり、日本の橋の周りに紅葉のような赤が入るようになり日本の秋のイメージだろうかと想像してみたり、とても楽しかった。


撮影OKのエリアで撮った写真
次は「蜷川実花withEiM:彼岸の光、此岸の影」へ
京都の街並みが蜷川ワールド!
さて、わたしにとって蜷川実花さんは「ヘビーローテーションのPVの人」だ。あいにく「ヘルタースケルター」や「さくらん」は観ていない。が、上の写真のようなふわっとしてるのにドキッとする鮮やかな色彩=蜷川実花さんという感じはする。
展示されていた作品たちもまさにそんな感じで、ドキッとする色彩だけど、キツくない。美しいけど儚くない。見ていてキャッチーで惹きつけられる色の洪水の空間が広がっていた。


アメ村を思い出した作品
蜷川実花さんの作品を見ていて、わたしがまだ10代だったころ憧れだったアメ村を思い出した。アメ村、正式名称アメリカ村とは、大阪の心斎橋から歩いて行ける場所にある若者のおしゃれの全てが詰まったところだ。当時は、古着屋さんや雑貨屋さん、その時の1番新しい食べ物屋さんがある、というイメージだった。あのころの自分たちには到底着こなせないおしゃれな洋服たちが並ぶ、あの憧れの街の雰囲気が、蜷川さんの作品と重なった。
また、館内にはこのようないわゆる映えスポットがたくさんあり、みんなそれぞれ写真を撮り合っていて「観る楽しみ」の他に「撮る楽しみ」や「映る楽しみ」もあってすごくよかった。
お気に入りの一枚
上のようにパッと撮った写真が、展示会場の背景と色彩、それと光によって蜷川実花風に撮ることができるのも嬉しい。
色彩に溺れる
上の天井が鏡になっていた場所。楽しい。
京セラ美術館に到着した時は、息子が一緒に来なかったことが寂しかったけれど、息子がいたらこんなにも満喫出来なかったかもなあ、と思った。ちなみに帰宅したらお昼ごはんを食べずに過ごしていたらしく「おなかすいた」と言われたが「知らないよ。一緒に来ないからでしょ?」と言ってみたら、自分で炒飯を作っていた。思っていたより美味しくできたらしく上機嫌になって味見させてくれたので食べてみたら美味しかった。
息子との距離がまた離れてしまった気がしたけれど、これは息子の成長の一歩だから仕方ないのだろう。
この日買ったもの
京セラ美術館のスーベニアショップで記念にモネのマグネットと、向かいの蔦屋書店に寄ったら松重さんの本を見つけたので買った。嬉しい。