死刑制度と人権について

2025年3月18日

死刑の当日告知について、大阪高裁が差し戻ししましたね。
本件は、以前にもブログに書いていますが、ようやくマトモな判決がでたという感じです。
相変わらず、ネットには人権を知らない輩の戯言が溢れていますけど。
それでも、これが死刑制度を変えるキッカケになればと思うばかりですね。

大阪高裁が差し戻ししました。

死刑の当日告知について、大阪高裁が差し戻しをしました。
本件は、昨年5月に本ブログでも取り上げています。
ようやく法原理に則った、マトモな判決がでたという感じですね。

原告の訴えは、死刑執行の告知が1~2時間前というのは違憲というモノでした。
いくら極悪非道な死刑囚でも、基本的な人権は保証されてしかるべきです。
そんな彼らが人としての尊厳を反故にされているというのなら、耳を傾ける必要はあるでしょう。
実際、自分が死刑囚の立場なら、執行直前の告知はキツイと思いますしね。

それに対する大阪地裁の判決は、それを認めたら死刑判決や制度を否定することになるでした。
しかし、これはどう考えても論点がズレていると思います。
原告である死刑囚は、別に自身の死刑判決や死刑制度を覆したいワケではありません。
死刑囚の自殺予防の観点から妥当というのも、ちょっと違うような感じがします。

結局、今回の高裁の判決が、至極マトモで納得がいきますね。
あらためて審理を尽くすべきとのコメントですが、まったくその通りだと思います。

ネットには、死刑囚に対する非難の嵐です。

もちろん、ネットには、訴えを起こした死刑囚への非難の嵐が渦巻いていますね。
死刑囚の分際で訴訟を起こすとは盗人猛々しいとか、凶悪犯に人権などあるワケないとか。
挙句は、俺が死刑執行のボタンを押してやるといった輩もいて、あきれるばかりです。
本当に、この国における人命の重さは、紙切れレベルなのだと再認識しました。

昨年、このブログにも書きましたが、死刑には何の意味もありません。
執行したトコロで被害者、加害者、裁いた人、執行した人すべて、救われる人はいないのです。

では、誰がこんな制度を支持しているのかといえば、これは前述のネット民のような輩ですね。
要は、無責任なやじ馬が、死刑囚を血祭りにして日ごろの憂さを晴らしたいだけなのです。
個人的には、このような輩もまた、極悪非道な殺人犯と同じ穴の狢だと思いますね。
マジメに、人権がわからないヤツが人権を騙るなと言いたいです。

あらためて、死刑についての議論が深まることを願います。

ということで、あらためて死刑は廃止でよいと思いますね。
そもそも、今どき死刑などをしている国は、世界的にみても少数派です。
あのロシアですら、実質的に死刑は行われていないのですからね。

もう一度書きますが、どんな極悪非道な死刑囚にも人権はあります。
認めたくないという感情が渦巻くのは理解できますが、それでも認めなくてはいけません。
実は、人権を守るというのは、重く厳しくて、とても覚悟がいることなのです。
そして、それが実現できてはじめて、私たちの人権は守られるのです。

ですので、脳内反射的に、死刑囚に人権はないなどといってはいけません。
その稚拙な横暴は、いつか必ず、わが身に降りかかってくるのですから。
もうすこし、自分のコトに置き換えて物事を考えてほしいと、切に願うばかりですね。
そして、引きつづき、合理的で前向きな死刑制度への議論がすすめばよいと思います。