昭和30年代大百科 | 空想俳人日記

昭和30年代大百科

 今年の3月に安城市歴史博物館で「昭和の家族―安部朱美創作人形展」を観た際に、この作品集を手に入れたのだが、ずっとビニール袋に入ったまま、であった。

安部朱美創作人形作品集なごみ01

 その時の感動が、今の世の中を生きていくうちに薄れてしまう頃に、改めてページを開こう、そう思っていたのだ。

安部朱美創作人形作品集なごみ02

 そして、その時が来た、そう思って、改めて、感動を再び、というつもりで、袋から出し、味わってみた。

安部朱美創作人形作品集なごみ03

 みんなの表情も、その体の動きも、何故にこんなに一人一人がのびのびとしているのだろうか、おおらかなんだろうか、今よりも決して便利な世の中じゃなかった。何でも手に入るような時代じゃなかった。それなのに。

 こんなことを、以前の記事「安部朱美創作人形作品集なごみ」に書いたけど、改めて「昭和ってなんだったんだろう」思ってたら、この本に出合ったよ。「昭和30年代大百科」だよ。

昭和30年代大百科01


みんな貧しかったけど、夢や希望があふれていた時代――昭和30年代。当時流行ったテレビ番組、音楽、ファッション、スポーツ、家電、乗り物、デパートの屋上、遊園地、遊び、駄菓子、おもちゃ……本誌では昭和30年代を秘蔵写真とともに振り返ります。さらに巻頭特集では昭和30年代の風景と現在の風景を写真で見比べます。街並みの変化にノスタルジーを感じることでしょう。あの頃にタイムスリップして、熱狂、ときめき、ワクワクをもう一度。友人、知人、家族と懐かしいあの頃について思う存分語り合ってください。【本誌は2022年11月に刊行したTJ MOOK『懐かしの昭和30年代』の増補改訂版です】

 ちなみに、ボクが生まれたのは昭和31年だから、記憶的には、昭和30年代も後半しか思い出せないかも。でも、これを読んでて、「そうだよ。いい時代だったよ」と。ボクが昭和31年に生まれたということが、戦前も戦中も知らないながら、戦後の高度成長期に自分の成長時代だったことが、いたく幸運だったように思えてならない。

昭和30年代大百科02

 この本は、4章から成り立っている。一つ一つは語らないよ。写真だけ、掲載するね。

【特集】
◆写真で見る日本の風景今昔

昭和30年代大百科03

◆東京オリンピック1964

昭和30年代大百科04

◆東京タワーと関門国道トンネル

【第1章】昭和30年代5つのニュース

昭和30年代大百科05

【第2章】昭和30年代のスターたち

昭和30年代大百科06

【第3章】昭和30年代のカルチャー

昭和30年代大百科07

【第4章】昭和30年代物語

昭和30年代大百科08

 みんな貧しかったけど、夢や希望があふれていた時代って言うけど、ボクは戦争は知らないし、高度成長期にたまたま生まれただけなんだけど、今を思えば、凄いラッキーな時にこの世に出てきたなあ、今思う。
 そして、こうやって、当時を振り返りながらも、自分としては、「高度成長期」と言う言葉が大嫌いであることを今、きちんと述べたい。誰が銘々したか知らないけど、「高度成長期」は上っ面の昭和でしかない。敗戦の焼け跡から復興する、技術革新で便利なものが登場する、そんな中で、みんなが一丸となって、共存共栄した時代ではなかったか。そう、「高度成長」じゃなく、「共存共栄」できた時代。
だから、誰もが主役でありえた。映画『三丁目の夕日』でも個人経営のおとっつぁんを筆頭に、みんなが主人公だった。ただ、その時から、警告していた人も多くいる。このままいけば、人間は疎外の構図を描く。
 つまり、一丸となって共存共栄できたのは、モノ不足だから作れば売れたのだ。そして、便利なものが無かったから、便利なものを開発すれば売れたのだ。しかし、そんなことはいつまで続く?
 疎外の構図を書いていた文筆家や芸術家の言う通り、いつしか、モノは溢れ、買ってもらうためには、消費行動を熟知し創るようになる。結果、どこもが売れ筋という同じ穴のムジナを作り、それが世の中にあふれる。金太郎飴だ。
 共存共栄だったはずの、みんなが主役だったはずなのに、いつのまにか、モノがあふれたために消費者の取り合い、弱肉強食になり、強いものがこの世に残り、弱いものが衰退していく。資本力を武器に、全国制覇を試みる企業と、止むを得ず撤退する個人商店。こんなこと、高度成長期に既に分かっていたことだ。
 その疎外の構図をいち早く訴えた芸術家で、それではあかんとしたのが、岡本太郎の、すべての人間が芸術家であるべきだ、なのだ。そう、東京オリンピックのメダルをデザインし、「何が進歩と調和だ」と怒って大阪万博のお祭り広場の屋根をぶち抜く太陽の塔を創った人だ。彼は、個性は芸術にある。政治経済社会にはない、それを知っていたのだ。
 ところが、日本では、高度成長に甘え、政治と経済経営社会で自由に独占資本を行う企業の前に、「そんな芸術なんぼのものか」と皆が思い、雇い主の奴隷となっていく。構想と実行の分断、実行の細分化。つまり、生産工程の人間部品化だ。そこには、ロボットも生まれ、ロボットでは出来ない些末的なことのみを人間が行うようになる。疎外の構図が生まれるのは必至だ。
 こうして、今の新自由主義で、民主主義は、大手企業と癒着する政治家が「それをよしとする」民衆を集めた構図が出来上がっているのだ。
 確かに、昭和の凡ての民が「共存共栄」で邁進してた頃は美しかった。ボクも、良い時代に生まれたと思う。だけど、その後が予測できたはずなのに、何故に今、人間は、まるでロボット以下の一部品となって、日々を送ってるんだ。
 かつて、共存共栄の時代から核家族になった。核家族から、個の時代になった。だけど、今、この個の時代は、決して個性の時代ではない。共存共栄の時のが個性はあった。今の個の時代は、個性埋没の時代だ。何故か。
 それは、自己表現よりも、同調圧力で、人を叩いて、寄らば大樹の陰に甘んじる人が多いからだ。その方が、楽で便利だからだ。コンビニエンス人間なのだ。だからだ、自己表現を促した、あの時の岡本太郎が大事なのだ。岡本太郎だけじゃない。安部公房も大江健三郎も叫んでいた。手塚治虫も叫んでいた。
 今、昭和を振り返って思うことは、昭和を懐かしむだけではいけない。あの時に、多くの芸術家や作家が、いつか、今のような疎外感にさいなまれる日が来ることを警告していた、それに耳を貸さなかった連中、政治家や経済界、そして、庶民も悪い、そう思う。
 ただ懐かしんで、良い時代だった、ではない、何故にいい時代だったか、何故に、良い時代じゃなくなったのか、ちゃんと考えた方がいいよ、そう思う。


昭和30年代大百科 posted by (C)shisyun


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