忙殺を知る ~ 私事 ~ | まじょねこ日記

まじょねこ日記

魔女の大切な仲間の猫たちの日常をみてください

 

なんだよ

いったいなんだぃ

 

里子に行った《すだちちゃん》は落ち付いているようだし

《あいたくん》は絶好調のようだし

《こむぎちゃん》(男の子)も馴染んで

 

後は救出した《せてぃ》の様子を朝晩みるのと

捨てられた子らしき猫を探しに行くのでなんとかいつもの生活に戻りつつあるのかな

・・ 諸々の騒ぎで断捨離はいまだ終わらないけど

 

でも、大物の半分は粗大ごみで捨てたし

さらにどうにもならん物(でっかい桜の切り株とか)やリサイクル品はZETTON軍団が始末してくれた

 

 

そんな先週

市のある事業局のお方から電話が

 

そこで行っている国際貢献事業に手を貸していただきたいとかなんとか

局では各後進国で貢献事業を行ってきたのだが、今回いくつか名前があがった国にネパールが

ということでね

 

残念でした

私、NPOやNGO団体ではございません

 

個人でやってらしたんですか! と、驚く担当者

 

あー、そうですよ  

私は団体活動が苦手なので

 

魔女は話し合いとかが酷く苦手で

普段は気長なんだけど、変なとこせっかちで無駄な時間が嫌いなの

私にとって、いちいちみなの意見を聞くなんてことはできなくて

自分勝手にちゃっちゃとやることやって、後は寝てたい派

 

民主主義が苦手で独裁主義がいい・・ のかな?

 

 

 

ネパール大地震の時?

 

はい、確かに大きなお金を動かしました

だが、それも個人でやりました  

信頼できる現地の友人の協力があってこそでしたけどね

 

 

それでも引き下がらない担当者

仕方がないからネパールのNPO団体を紹介する (ネパールで活動する日本のNPOではなく、現地の)

 

しかし、それが忙殺の始まりとなってしまった

 

この案件はインフラ整備がなされていない現地の人々の暮らしに必要不可欠な分野であるので

こちらの担当者からも、現地のNPO関係者からも、lineや電話での問い合わせが連日に渡ってひっきりなしになってしまった

 

 

 

日本は豊かな国だから、色々な分野で国際貢献をしているのだが

私に言わせれば、大切なお金や技術を無駄にすることなく生かすためには

先ずはその国の国民性、民族性を知らねば始まらない

 

政府とタイアップすればいい、なんて考えは大間違い

後進国の政府は信用ならない場合が多い

いまだにコネや賄賂に塗れている国なんていくらもあるのだから

 

あのネパール大震災の時だって

善き方々から私のところに寄せられたものすごい大金を

1円たりとも無駄にせず、如何なる形にせよその善意の総額を現地の被災者に渡すこと

それが私の務めとして、政府関係者を含む現地の友人たちからありとあらゆる情報を伝えてもらった

 

本来なら自身で現地入りしたかったが

私、ネパール大地震の前々日に現地より帰国したところだったので仕事の都合上叶わなかった

(東日本大震災の時はネパールにいて、ネパール大震災の直前に帰国するという・・ 悪運?)

 

そこから齎された情報は

世界各国からの援助金のすべて自動的に副首相の口座に入るように政府とタイアップした銀行で手配されている、ということ

勿論日本でも様々な形で援助金が募られ、多くの人の善意が集められた

しかし、震災援助金等の名目で世界中からネパールの銀行に送金されたは援助金は長きに渡って使われず、その後何にいくらかかったかなど、詳細な会計は不明

ダルバールスクエアなど、1年前に見てきたが、傾いた世界遺産はあれからずっとつっかえ棒で支えられている有様だ

 

そこで私は友人のスレス氏宛に個人送金とした

それを受け取るために銀行に出向いたスレス氏は、金額が金額なだけに、これは援助金ではないか、と詰め寄る銀行と何時間も揉めたが、その名目を頑として拒否

数時間後に無事に全額を手にする

 

支援金を現金で被災者に分け与えることを私は良しとせず

人々がどうして欲しいかの要望で動くようにとスレス氏には伝えておいた

お金を受け取った人の中にはそれで酒を飲んだり、賭博をしたりする者もいるやもしれない

そうなると善意が報われない

 

この話、既に震災後にブログで書いたのだけど

人々の一番の願いは被災し亡くなった身内たちの魂の安らぎ、とうことであったので

パタン市にある寺の広場にテントを設営し、そこに被災者が集まり

用意された壇上にたくさんのお坊さんに上がっていただいて何時間も掛けて弔いの経をあげてもらった

そしてリンポチェ僧(位の高い層)からは、生き残った被災者を励ます仏の教えも語っていただいた

 

この弔いのイベントは3日間を掛けて行われ

宗教音楽・バジャンの音楽会ではネパールで有名な音楽家も無償で出演してくれ

最期の日の夜には、震災以来まともに食事もできないでいた被災者全員に正式なダルバート(現地の食事)とロキシ(現地の酒)が現地のボランティアの方々によって作られ、振舞うことが出来た

 

その後スレス氏より収支が報告され、日本の方々から預けられたお金はすべて支援金として使われたことが証明された

 

 

金銭は必ず生かさなければならない

後進国に対して、無闇に金銭を渡すことに私は反対だ

 

支援するなら技術援助しかないと考える

だがその技術援助も、どんなに現地の人々に技術を教え込んでも、それを継続する強い意思を持った人間がそこにおらねば何をやっても意味がないのだ

 

日本でウィキペディアとか見ながらその国を知ろうとするな

日本人の感覚でことを進めるな

 

先ずは現地に行ってそこの風を感じ、大地に手を置き、天に手をかざしながら、人々の暮らしや習慣、そして何よりも総体的な人間性を見つめなければならない

でないとすべては無駄に終わる

 

 

コロナの影響もあるから今後この話はどうなるかわからないけれど

 

もし現実となったなら

結局私は乗りかかった船に乗って、ネパールまで飛ぶのだろう

その何もかもをこの目で見届け、彼らのやり取りをこの耳で聴かねば気が済まないから

 

 

 

・・忙しい日々はいつになったら終わるんだろう