創価学会の信仰に功徳はあるか?

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526.創価学会は日蓮さんの書いた「漢字や仮名文字」はどうでもいい?

2021年12月31日 13時00分10秒 | 日蓮系遺文
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2.創価学会本部は日蓮さんの書いた「漢字や仮名文字」はどうでもいい?

●漢字の特定

 漢字の字体で標準字体以外を異体字と呼ぶ。
私は漢字の研究者でないので間違っているかもしれません。

現代日本語の常用漢字、旧漢字
鎌倉時代の標準漢字
鎌倉時代の異体字
日蓮さんが独自に用いた異体字で略字、当て字

犀角独歩さんはブログで日蓮遺文や本迹体一抄で異体字のご研究をされています。異体字だけでも次から次へと発見があるみたいです。

●かなの特定

 かなも日蓮さんが独自に用いた送り仮名や独自の筆記があります。

例えば、小林正博さんは仮名についても論文を書いているらしいです。
論文名
日蓮文書の研究(4)真蹟に現われる「かな」の全容
日蓮系の中で新しい論文なので何か新発見があったのかもしれませんが、論文になるくらい重要なのでしょう。

例えば開目抄で
(1)諸人にしう(主)し(師)父母(親)なり
(2)諸人にしたし父母なり
2つのどちらか日蓮系全体で決着はついたのでしょうか?
現在の研究成果で一つに決まったのかもしれませんが長年議論があった事実があります。

●『日蓮聖人遺文の文章・語法研究』山上ゝ泉

 送りがなや文章全般について、ただそれだけなのに一冊の本になっているくらいです。
こうした日蓮宗の書籍は私が知っているだけで他に4、5冊あります。もっと多いのかもしれません。異体字に関しては日蓮宗で、他に多くの本があります。把握仕切れていません。

●写本と日蓮真筆の違い

 日蓮さんと日興さんで異なる筆記になっています。小林正博さんの論文参照のこと。

2.「日蓮文書の研究(1)」より | 東洋哲学研究所

戸田城聖は日蓮宗を御書全集の序文で悪く言いましたが、日興さんを「背く読み方をなし」と悪く言っているも同然です。

なお日蓮さんは自分の言葉と京都の言葉の違いからコンプレックスがあり「おそらく言葉づかいや、話をする声なども京訛(なま)りになったことでしょう。鼠がこうもりになった」と書き残しています。『令和池田版』の漢字や仮名の変更がすぎるので、大聖人直結ではないです。

(c)日蓮宗2003
法門可被申様之事(真筆遺文の現代語訳)
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だいたい、日蓮の弟子は京都に上ると、はじめは日蓮の教誡を忘れずに守っているようですが、後には天魔に魅せられたように気が狂うようです。少輔房がまさにそれです。御房も同じようになって天罰を受けないように注意しなければいけません。京都へ上って間もないのに、実名を変えるなど気が狂ったとしか思えません。おそらく言葉づかいや、話をする声なども京訛(なま)りになったことでしょう。鼠がこうもりになったように、鳥でもなく鼠でもなく、田舎法師でもなければ京法師ともみえず、さぞや少輔房のようになったと思われます。
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別遺文の現代語訳では「なめり」(訛り)を「乱語」と訳されています。

小林正博さんの論文の後ろの方で明確に文献名と版数が書かれていて、どの文献を見て書いたのかわかります。『令和池田版』の参考文献には版数の記載がありません。

●日本語の変遷

 しつこいようですが、私は古文の専門家でもありません。
創価信者だった時に日蓮遺文を熱心に読んだだけです。
今の創価本部職員も末端創価員もgoogle検索などで「日本語 古文 変遷」くらい検索できないのでしょうか?
約30万件以上も検索ヒットします。
一体『令和池田版』の日蓮遺文は何時代の古文なのでしょうか?

●祖書学カテゴリーの解説本を何度も出版する機会があったが創価と正宗は気がつかなかった。

 前の記事で以下のように書きました。
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(5)日蓮宗の祖書学カテゴリーの論文、冊子、解説本が膨大にあり、今後も作成される。
(6)大崎教学中心な日蓮宗だけではなく、単立宗教法人や身延山大学と客観視と自由な意見交換と批判可能。
(7)6と5は5年〜10年間に批判がなければ確定し必要であれば『昭和定本』のマスターに反映される。
(8)日蓮墨筆を読める人が日蓮宗に存在する
(9)結果として、日蓮遺文集を数多く出版した実績と歴史が日蓮宗にある。
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祖書学カテゴリーの解説本は『昭和新修 別巻』や『日蓮聖人教学の研究』浅井要麟や『日蓮聖人の文献学的研究』鈴木一成などが【遺文解説本】として挙げられます。理想でしかありませんが、御書出版と同時かあるいは御書出版の五年〜十年前に【遺文解説本】を出しその後御書出版すべきでした。

1.学者だった牧口常三郎の入信後、
2.『御書全集』出版時、
3.編年体出版時、
4.第一次宗門問題で未出版のままになった御書作成時、
5.第二次宗門問題後『平成新編』出版時、
6.2021(令和3)年の第二版時、
7.『令和池田版』出版時。

合計七回も【遺文解説本】の必要性に気がつくことなく敗北と失敗を繰り返しました。
日蓮さんと日蓮正宗の正しさを知っているのは我々、創価学会と池田先生である!!との【遺文解説本】を出すべきだったでしょう。日蓮宗との違いがわかりません。今なら創価は日蓮正宗と日蓮宗を敵に回して一味も二味も違いを活字にして大勝利でもなんでもすればいいでしょう。

●日蓮遺文の収集と遺文集作成に苦労したのは?

 『昭和新修 別巻』や小林正博さんの日蓮文書の研究(1)を見てもわかるとおり、日蓮遺文集作成に苦労したのは、江戸時代までの日蓮宗(正宗含む)のお坊様か、あるいは明治以降の日蓮宗僧俗の皆様。明治以降は、日蓮正宗も1/10以下くらいは貢献しているかもしれません。
(五一の相対は日興対五老僧ではなく日向対五老僧だったことを忘れないでください。)
第二次宗門問題の最中、秋谷栄之助が「僧侶が上、信徒が下はとんでないことだ」(趣旨)としてきました。布教に苦労したのは正宗僧侶でなく末端の創価員です。(その中でも婦人部)第二次宗門問題はどっちもどっちで実にくだらない問題でした。
「日蓮宗の遺文集作成の実績が上、創価と正宗のそれが下」は断言していいでしょう。事実でもあり真実です。

●まとめ

☆梵字や漢字、異体字、かなを出来るだけ忠実に再現して努力したと言えると思います。

☆米田淳雄さんの『平成新修 日蓮聖人遺文集』では漢字とかなの校訂が表になって8ページも記載されています。
サムネイル画像


研究論文や冊子、研究書籍の蓄積が創価学会には微小でしかなく『昭和定本』に貢献できたとは思えません。過去に業績があれば大威張りだったのではないでしょうか?『御書全集』盗用剽窃の発覚で創価系の学者生命は四条金吾の「只今なりとな(泣)く」日蓮さんの「笑えかし」状態ですかね?乾いた笑いしか私は出ません。
創価学会の「日蓮正宗は日蓮宗僧侶と交流があって、謗法だ!けしからん。」(趣旨)を数年前まで言いがかりをしてきました。創価系の学者は正式に公開法論や創価本部に謝罪と賠償を求め絶対に公開抗議すべきでしょう。

日蓮宗の遺文集には見られない『令和池田版』の漢字や仮名の変更がすぎるので筆者不明、時代不明の古文のような中途半端な遺文集になっています。

もう一つ重大な問題が発生しています。
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