下戸の嘆き

愚生、全く酒をたしなめません。呑み助の諸先輩方には「オマエは人生の八割を無駄に生きている。」とか「呑めないヤカラとは腹を割って話すことはできぬ。」と言われ続け、いわゆる「下戸」と蔑まれる立場として約60年の人生を歩んでまいりました。元々、許される酒量が存在し、「上戸」という上流階級はその量が多く、「下戸」という下層階級は少ないというところがこの「下戸」の語源とされているそうですから、一昔前までは「下戸と鬼は無い」*1などと言われており、大酒のみこそがステイタスを誇示する道具であったわけです。ましてや、「下戸の建てたる蔵は無し」*2つまり、たくさんお酒を召し上がる方々にとって、愚生は下層階級の人間であり、蔑む対象であることは否定してはならないのでしょう。

昨今、科学的に下戸のメカニズムが少しづつ解明されている中、そもそもモンゴロイドにはこの下戸遺伝子が強く発生し、二種あるアセトアルデヒド脱水素酵素なるものの片方が欠落しているとそれなりの下戸、そして、数パーセントの両方の酵素が欠落している本物の下戸が存在しているとか。愚生は、その両方が欠落した「障害者」いや、むしろ、カタワなのかヒトモドキなのか、碌でもない存在であるということが徐々に明らかにされていっています。当然、酒席に於いては「下戸は上戸の被官」*3の立場として、説教の対象から始まり、吐瀉物の処理係やら、同席者やお店への謝罪係やら、廃棄物と化した「元人格者」をその住処にお届けする係やらを務めさせていただき、後日、「何かあったか?オレ、何も覚えていないんで・・・」というシレっとした発言*4に再度腹を立てると言うこと数限りなしでございます。

既に時効でしょうが、愚生の高校時代など、合宿の初夜に卒業生の鬼達が手に手に一升瓶をぶら下げてやってきて、純真無垢な一年生を押さえつけ、その崇高なる液体を流し込み、「このくらい呑めなくてオトコか!!」と言いたい放題でした。愚生の場合、そのまま気を失い、翌朝になって、殴ろうが蹴ろうが起きずにいたため、「こいつはオンナノコだからほっとけ!」ということになったそうで、正気を取り戻したのは、その夕方であり、合宿期間中はほぼ稽古などできなかった・・・などという苦い思い出があったりいたします。まあ、昭和時代後半、旧制高校に対する憧れや歪んだ軍国主義の残像が存在し、学校内はあたかも戦時中にタイムスリップしたかの如き全く別世界であったので仕方なかったといえば仕方なかった・・・とは言え、こういう事件の後、未だに「被官」として生きて行かなくてはならない刷り込みが行われたわけであります。

しかし・・・「下戸の手強」*5ということもお忘れなく・・・と申し上げておきましょう。昔は無かった事でしょうが、昨今では、誰もが大変便利な機器を持ち歩いており、その様子をしっかり動画に収めてネット上で公開するなどというこれまた愚行が当然のように行われていることをお忘れなく。愚生の如き矮小な最下層の人間でも窮鼠かえって猫を噛む・・・ことがあるかもしれませんので・・・

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*1:この世には酒を呑めない人間など存在しない

*2:酒を呑めないからと言って節約に繋がるわけでは無いという、上戸が下戸を馬鹿にする表現・・強いて言い返すなら「上戸の潰した蔵は数多」です。

*3:下戸は酔った上戸の世話をしなくてはならない

*4:実は、覚えていたからそんなこと言ってオレの顔色見てるんでしょっ!!

*5:呑めない人を酒で籠絡することはできない。転じて、「酒席でも正気を保っているので、酔った者の失言等も聞きもらさず、更には発言していなかった事すらでっち上げることもできる」といった解釈もあります。