テーマ:ぶらり見て歩き(684)
カテゴリ:旅の重さ
我孫子市杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)記念館(→→→こちら)にやってきました。
旧杉村楚人冠邸をそのまま利用した記念館のようです。 こちらが、記念館の建物で、杉村楚人冠邸の母屋をそのまま利用したそうです。入場料が300円だそうです。また、近隣の白樺文学館・鳥の博物館との3館共通券だと500円です。 また庭園にはいろんな樹木が植えられていて、杉村楚人冠と言う人の趣味が活かされた庭園のようです。 この竹林、春にはタケノコが採れそうでいいですね。 さらに歩いてゆくと楚人冠公園というのがあり、杉村楚人冠碑という石碑が建立されています。 楚人冠碑には、陶製の碑で、楚人冠の詠んだ「冬晴れの 筑波見ゆ 洪(おお)いなる空に」という句が刻まれていました。でも、本当は「筑波見ゆ 冬晴れの 洪いなる空に」と読むのが正解だそうです。いずれにしても俳句の五・七・五になっていないところが、秀作たる理由でしょうかね。 杉村楚人冠の人物の紹介がここにありました。 杉村楚人冠(本名・広太郎)は、明治末期から昭和前期の東京朝日新聞で活躍したジャーナリストです。日本で初めて新聞社に調査部や記事審査部を設け、新聞の縮刷版を企画、発行するなど、先進的な新聞人でした。 また大正12年(1923)の関東大震災を契機に翌年に我孫子に移住し、我孫子ゴルフ倶楽部の建設を町長に進言したり、手賀沼の干拓に反対し景観保護活動に取り組むなど、風光明媚な郊外の住宅地、観光地としての我孫子の発展に尽力したそうです。また、主宰した俳句結社「湖畔吟社」をはじめ、地元文化の育成に努めたそうです。 こちらは楚人冠と我孫子とのかかわりを説明しています。 MoMo太郎、この杉村楚人冠という人初めて知りましたが、現在でいえば、池上彰とか立花隆みたいな人だったんですかね。 (自然と文学を感じる手賀沼散策コースです) 【つづく】 人気ブログランキングへ 常磐線沿線物語 我孫子編(その6) Who is 杉村楚人冠 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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