カテゴリ:旅の重さ
鶴岡八幡宮の東鳥居の前にあった石碑です。
![]() 石碑には畠山重忠邸址とありました。 畠山重忠(→→→こちら)といえば、一の谷合戦の時、鵯越の逆落としで大力の重忠は馬を損ねてはならずと馬を背負って坂を駆け下ったとう、源氏の有力な武将。 その邸宅があった場所なんですね。 そしてこの石碑、大正12年3月に鎌倉町青年団が建立しています。 ![]() 神奈川県道204号、金沢街道にも鎌倉町青年団の建立した石碑がありました。 「筋替橋は鎌倉十橋のひとつです。」と石碑に書いてありましたが、この橋は滑(ぬめり)川に注ぐ小さな川にかかっていた橋でしたが、現在は暗渠となっていて橋は見えませんでした。 橋の名称の由来は、おそらく横大路、小町大路、六浦道(現在の金沢街道)が交差する場所にあったため、筋(道)を替えるということで筋替橋と名付けられたものと思われます。 しかし、鎌倉町青年団、こうやって鎌倉の史跡や旧跡を紹介する石碑を建てていたとは、いい仕事してますね。 ![]() こちらの小町大路を材木座海岸の方へ向かって歩いて行きます。 ![]() (鎌倉まち歩きコース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 早春の鎌倉(その4) 鎌倉町青年団石碑 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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