イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

国内の異文化結婚、何か寅さんを思い浮かべる・・・(7/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-04-07 | 第二章「五感と体感」

私の祖父母は文字通り東男と京女であった。当時は非常に珍しかっただろうに、夫婦円満で私の母が東京で生まれた。そして、東京で母は育ち、西日本生まれの父と結婚し東京に住むようになった。その後、私は東京に生まれ育ったが、西日本生まれの妻と大阪で結婚した。こうして三代にわたり正月には丸餅と角餅の葛藤(郷にあって郷に従うのだが本音は?)があったことになる。しかし、つい最近まで、そのこと自体が特別なことと全く感じていなかった。

しかし網野義彦氏の「東と西の語る日本の歴史」をパラパラみていたら、東と西が結婚する確率はせいぜい10%くらいだそうで(昭和42年)ふつうは東は東、西は西どうし、明治や平成でその確率は変わるのだろうが、3代にわたり東と西が結婚するのはこの10%の確率を仮定すると、えいやで3代にわたる東西婚は0.1%となり、非常に珍しいことになるようだ。

さて、その異文化の影響はいかにということだが。小学校低学年で約1年アラスカに行った頃の私のことが、両親の持っていた手紙から随分昔のことだが残されていた。戦後間もない1950年代後半の日本に住んでいた私は内向的で神経質な性格で、両親も随分心配したようだ。ところがアラスカで約1年過ごすころになると。内向的なところは変わらないまでも、漫画ばかり読み勉強などはほったからしで、父などは余りのずぼらさにあきれ果て、将来を危うんだそうだ。同じ個性を持った私が環境の違いだけとは言わないまでも評価がこうも変わるのか。おそらく両親も祖父母もどこかで笑みを浮かべていたに違いない。

神経質で甲高いのが、ずぼらでノンビリ。・・・日本とアラスカの文化の違いは当然あるが、東日本と西日本の文化の差も結構ある。経験された方はお分かりだと思う。そして、その違いに翻弄される姿は何かおかしい話題になる。関西でたぬきを頼んだら全然想像とちがったなどなど。

ところで縄文時代。縄文中期文化は同じ村におそらく出自が異なるなどの異文化の人々が住み分ける双分制であったことが知られている。もちろん合理的は双分制のメリットがあったのだと思うが、それ以上の双分制の村の特徴があったのではないだろうか。

私は寅さんの映画が好きであるが、寅さんは東日本を旅することもあるにはあるが、西日本の旅をするときのが多く印象深い。つまりちょっとした異文化での自由さというのだろうか。そして、そこに生まれる笑い。寅さんというトリックスターによる笑い。それは、心の統合にいたる回路なのかもしれない。

7/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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       森裕行

 

 


縄文時代だけでなく今を生きる神話論理・・・(6/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-03-27 | 第三章「無意識の世界」

この一週間は人生の中でも特出すべき一週間であったようだ。

先の土曜日は高校卒業後54年、はじめての同学年合同クラス会。当然ながら皆前期高齢者であった。私の時代は都立高校は学校群1年生で揺れた上に、2年3年は学園紛争の最盛期であり、高校生活も生徒による封鎖や学校によるロックアウトで授業もろくに行われなかった。青年期の多感な時期の混乱で何か学校はバラバラになったように感じた。それ故、同学年合同クラス会には150人くらい集まったが、恩師の参加は当たり前だがなかった。年を取りすぎたのである。そして、私も友人と集会の前に一緒に食事をしたり、二次会に参加したりでまる一日親交を温めた。そして、不思議なほど高齢者の話題は出ず(病気、孫、お金)ある意味幸せな時間を過ごさせていただいた。ただ、世相を反映してか年の影響かここ一つ盛り上がりはなかった。

そして、ある学友の勧めで、3.11の正確な事実に基づいたといわれるドラマ「The Days 」(役所広司主演)を初めてNetfl●xで見た。今の政治もご存じの通り大揺れに揺れていて、その場限りの対応が問われているが、3.11も原発建設から事故対応までの体制は、全く同じシステム思考の片鱗もない体制で、しかも将来に暗澹たる遺産を残してしまった。しかしながら英雄的な現場のひとりひとりの活躍。これは今でも低賃金で働いている非正規労働者のようでもあり。現場の力に希望の匂いも感じさせてくれるが・・・聖書のコヘレトの言葉のように。「なんという空しさ なんという空しさ すべては空しい」と呟いてしまう。

さて縄文についても新鮮な気づきが。3月24日にくにたち郷土文化館で行われた、中村耕作先生の講座に参加した。顔面把手付土器や石棒などを中心に縄文時代の宗教というか儀礼の興味深いお話で、レヴィ=ストロースのお話。久しぶりに神話論理のことを考えさせられた。神話論理についてはかつて中沢新一氏の芸術人類学などを読んで研究したことがあった。私は「生き甲斐の心理学」を学んでいるので、自分の生育史の中に神話論理に対応する経験があったかを振り返ったりしたが。アラスカに行った時の7歳の時の体験と成年期の48歳の時の体験(縄文小説にも書いた)がそれかなと思えた。他にも2-3あるようだ。おそらく、多くの人もは当然ながら神話論理を意識することはないまでも経験はしているかもしれない。また、宗教書だけでなく小説などにもあるのではないだろうか。困難な状況下に置かれ、深い対立があり回りが壁でにっちもさっちも行かなくなる状況で、そのような神秘的な無意識の活動があり人格が再統合されたり、状況に適応する知恵が与えられるのだろう。そしてサマリアの女のように鬱や錯乱の状態に置かれていたのが、短い時間で明るい統御感や幸福感に包まれていく。

縄文時代もいろいろあるが、中期から後晩期にかけての遺跡や遺物を図像学的に検討すると、同じような神話論理のパターンが見いだせるようであり、恐らく高度な生きる知恵が語られ、図像として残され、それ故今をも凌ぐ美術の高みを極めていくのだろう。構造主義も文字文化の一つとして語られるが、文字の無かった縄文時代はそれゆへにもっと高度な神話論理?だったかもしれない。科学技術文明の限界が見え環境問題、大量破壊が問題になっている今、精神文化のリファレンスとして縄文時代はとても大事な分野ではないだろうか。

高校の合同クラス会は3年後に行うという。おそらく、形は変わっても続いていくのだと思う。参加者も減っていくのは寂しいが、天国からの参加者もあるのだろう。何か寂しいクラス会が神話論理で希望に満ちた会に変わるかもしれない。今週はキリスト教では聖週間。日曜日は復活祭である。写真は何年か前の薬師池公園で5月ごろ繁殖期に移したカワセミ。天にいる学友や恩師に感謝の念を伝えておくれ。

6/10 縄文時代をどう解釈するか

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縄文時代の人たちとの接し方 (5/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-03-05 | 第二章「五感と体感」

文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。

しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューしたり検証してもらったりするという。文献だけだとすでに時間が経ち陳腐化していたり、間違いだったりすることがあるように私は感じる。

また、宗教は身体性(五感体感)と深く関係していると言われる。ある宗教を知りたいと思えば、神社仏閣・教会などに出向き、実際に宗教者や信徒から案内してもらったりすることが大事かもしれない。邪眼と慈眼という言葉があるが、邪眼では一般に相手も戸惑うし自分でもフィルターにより不健全な思考しかできないものだ。

縄文時代の宗教を学ぶことにも、何かこうした他宗教の研究方法が応用できるように思う。まずは邪眼を捨て慈眼で接することだ。特に今私が研究している縄文中期(5000年くらい前)の中部高地と関東西南部は、死者と環状の村の中で共存するような形態をとり、その魂観も弥生以降の怨霊などの思想とは異なるという学説もある。さらに地母神信仰は慈悲にあふれているようで邪眼になりにくいので助かる。そして、今では昔の面影はなくなっているかもしれないが遺跡に出向き、土器や土偶などの遺物に接したりするのは大事だ。特に土器などは博物館によっては触らしてくれるし、縄文の村のような当時の植生を意識した場所が併設されていて五感で味わえることができる。

さらに、遺跡の遺物の整理作業などに従事できれば、実際の土器片などに嫌というほど扱わせていただける。このような接し方の延長にプロの仕事があるわけであるが、私の場合は残念ながら年をとりすぎた。

ただ、残念がるのも考え物で、死んであの世で実際の作者にあったり、当時の宗教家にあったりできるかもしれない。・・それは冗談としても、五感体感を深めて縄文時代と接することで、当時の人々が見えていたものが見えてくる可能性が高まると思うが、皆さまはどう思いますか。

5/10 縄文時代をどう解釈するか

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自分を知るために縄文を学ぶ・・・(4/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-02-19 | 第二章「五感と体感」

U先生から比較宗教学や文化人類学の影響を受けた臨床心理学の「生き甲斐の心理学」を学び続け、NPOに所属しその普及活動もさせていただいている。そんなことでU先生の「生き甲斐の心理学」のテキストは何回も読み返しているが、奥が深いので読むたびに何か発見がある。今日も何か新鮮な一文を見つけて感動してしまった。それは、人は自分の本音がなかなかつかめないということ。学術用語で自己覚知の話である。

生きていくと、利害得失や倫理観、プライド・・・そんなことにこころを奪われ、自分の本音が見えなくなる。本音とは深い意味がここではあり、生命体の核心にある知恵とも言えるかもしれない。それは真善美にも通じ、人生でぶつかる問題解決への道でもあろう。

そして、この本音が見えない時(もやもやする時)に助けてくれるもの、それについてテキスト78Pは次のように答えている。
「・・・もやもやする気持ちは何?と苦しむことがあります。理由が分からないが、気分が悪いとか。・・・親友がその気持ちを的確に表現してくれたり、小説、音楽、絵、香等の契機から、その理由が意識化できたことがありませんか?このように人は自分の事でありながら、本音が把握できない事があるものです。」

もやもやが消えていくのは、大切な人からのちょっとした囁き、五感からの知覚が大きな契機になる。確かにそうだなと思う。

ところで、私は10年くらい前から縄文に興味を持つようになり、そのうち2年くらいの時間をかけて縄文小説を7年前に上梓した。その後、「生き甲斐の心理学」の勉強もすすみ、縄文時代の勉強も拍車がかかってくる。そして、この1ー2年は縄文時代の研究も実際に遺物に触れたりすることや、縄文仲間も増えたこともあり、何か新しい領域に入ってしまったようで、縄文を見たり聞いたり触れたりする中で、新しい自分の出会うというか、自分を知るというか、オーと悟ることが多くなったようだ。

それは、私の幼い頃から青年時代くらいまでの生育史と密接につながっているようにも思う。夏休みになると広島県の父の郷里で葡萄畑の手伝いをしたが、土間や五右衛門風呂、ぽっとんトイレ・・当時はそんなものかというところだが、それが土器に触れたりすることとどこかで無意識につながってくるのだろうか、自分自身を知ることが多くなってきたように感じている。まさしく、「縄文を学ぶことで、自分の本音が見えてくる」

最近は身近な住まいの近くの遺跡についていろいろ謎に取り組むようになった。私の場合は祖先が何を信じ、どのように生活していたかが一番知りたい。1万年以上の縄文時代の流れのなかで、われわれが経験したことがないような災害も悲惨もあっただろう。そのときに生き抜いたのは何故か。

世界的に見れば、氷河期が終わるころから新石器時代が始まる。日本列島は農耕・牧畜といった典型的な文化ではないが宗教的には鳥居龍蔵氏がかつて「日本石器時代民衆の女神信仰」で指摘したように、女神信仰が世界的にあり、日本列島の縄文中期に花開く中央高地から西関東に及ぶ勝坂・井戸尻文化もその一翼を担ったのだと思う。私は記紀の記述や考古学の成果などから、縄文時代の特に中期は女神信仰・地母神信仰があり、想像以上に祖先達はその信仰を基盤に生きていたようだ。

そのような、ちょっと観念的な妄想が頭の中をふらふら横切るようなのだが、一方で田舎での土間の感触、ぽっとんトイレの不思議な空間感覚、五右衛門ぶろの入り方など、五感・体感の部分がざわめくのである。

考古学では余り扱われない、トイレとか、風呂とか、娯楽、鼓や笛、太鼓をともなった歌と踊り・・・ほんわか気分をどう味わったか、歌と踊りはどうだったか、よく寝るための工夫はどうだったか、料理はどのように手間をかけたか。生き甲斐づくりや宗教・アイデンティティの統合にどのような知恵があったか。

実はこういう問題は現代の埋もれた問題でもあり、危機に瀕した日本の様々な問題に何らかの回答を与えることもできるのではないかと妄想している。温故知新・・古くて新しい言葉だ。

4/10 縄文時代をどう解釈するか

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心の地層をたどる旅 (3/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-02-06 | 第三章「無意識の世界」

のんびりと谷川と渓谷の地層を見ながら温泉に入る。千葉県房総半島の真ん中あたりの養老渓谷周辺に縄文も楽しみながら素敵な小旅行をしてきた。今回はこの地層について語っていきたい。地層に大いに興味を持ち始めたのは若狭の福井県年稿博物館に行ってからだ。水月湖の底をボーリングして7万年分の堆積物(地層)を主な展示物とする年稿博物館。その年稿の美しさに気づいたのはMさんのお陰もあるが、地層もまったく同じである。

地層は考古学では遺跡の調査報告書には必ずと言っていいほど記載されていて、昔は飛ばして読んだものだが、最近は丁寧に読むようになった。小学生のころ庭に穴を掘ったりした経験なども繋がってきているようである。今興味を持っている多摩境の小山白山公園の245遺跡や周辺の粘土採掘場遺跡あたりの地層・・・今は綺麗に整地され写真で見くらべると全く異なる景色となっているが、縄文時代の人々はどのように地べたに思いを寄せたのだろうか。

縄文時代にも粘土の採掘場や黒曜石の採掘場遺跡があり、今と同じように穴を掘ったり地層を真剣に観察したのだと思う。土や粘土に対する思いは、記紀にもいろいろ出ていているが、粘土の神、土の神はしっかり記録されている。中には火の神(カグツチ)が結婚相手に土の神(埴山姫)を選んでワクムスビを産んだという記述もあったりする(日本書紀の(第二の一書))。これは山焼き、野焼きも彷彿させ、最近の研究成果などで蕨などの山菜を得るために野焼きしていた可能性と繋がってくる。また野焼き(焚火)で土器の焼成をし、それでできた深鉢などで、食物の恵を受けるという意味にもとれる。土器づくりと神話や伝承の関係ももっと研究されてもよいかもしれない。

さて、私は20年以上U先生の「生き甲斐の心理学」を学びNPOで教育活動をしていることもあり、地層ににどこか似ている生育史についていろいろ考えてきた。「三つ子の魂百までも」ではないが、生育史は性格形成だけでなく人生に大きな影響を与える。そして、この勉強は人助けにもつながるが自分のこころの健康にも役立つ。特に最近感謝していることに、過去の嫌な経験をふと思い出したときに、当時の自分の解釈の仕方と違う視点から再解釈をして、その経験を明るく爽やかにすることがある。もちろん事実は変わらないのだが視点を変えることで感謝の気持ちまで起こったりする。私たちは思いもかけない経験をすることがある、その時に過去のネガティブな経験が解決されていないと、時にその時の苦悩の外に過去の苦悩も一緒に背負ってしまい、時には限界を超え体調を崩したりすることも。そんなことで、自分の生育史を研究し解釈を変えてみる、視点を変えてみることは意外に大事なことだと思う。もちろん、気の合う人との思い出話などで視点が変わることもあるが、のんびりと内省することも必要な気がする。

最近の例だが、高校1年のとき、同じ学年のA君が突然自死されたことがあった。この事件は当時の同級生、同学年の生徒にも衝撃を与えた。私は高校1年は彼と同級ではなかったこともあり、自分にとって大した事件ではないように思っていたが、多感でまだアイデンティティが確立していない時期でもあり、それからの人生に結構影響を与えていたと気づいた。この事件の影響は、暗い感情として記憶されていたが、それは当時16歳の年齢に相応しい解釈があったためである。もちろん50年以上経った今では彼の死は事実としても、視点を変えることができて、解釈は大人の解釈となり湧きおこる感情も変化したように思う。彼のお墓参りに行きたいなと思うのは明るい解釈の証かもしれない。

ところで、自分の生育史を学ぶ延長に、自分の両親や祖父母、さらに遡って自分のルーツを学ぶということもでてくる。日本に住んでいると気づかないような無意識化された文化の存在。それを学ぶためにも縄文時代の研究は大切だと感じているこの頃である。

3/10 縄文時代をどう解釈するか

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