狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・シーミー、北前船とは?

2024-04-29 09:16:49 | 政治

 

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那覇市の市立那覇中学校の海岸側は通称「若狭通り」と呼ばれる道路がある。

筆者が通学していたころは道路は無く、校庭から海岸に通じていたが、その後埋め立てられ、住宅が密集するようになった。

沖縄には沖縄独特の地名が多いが、珍しく「若狭通り」はヤマト風の地名である。

そこで昨日の北前船で書き残した日本海側の若狭湾を思い出した。

北前船は江戸時代の中頃から明治30年代まで、日本海回りで北海道と大阪を往復しながら商いを行っていた商船の総称。

北前船はただ積み荷を運ぶ船ではなく、運んだ積み荷を商品として売り買いすることで利益を得ていた。日本海側のある寄港地で安く買った商品を、別の寄港地まで運び高く売ることで、船主たちは一攫千金を得ることが出来た。

しかし、仕入れた商品が売れなければ逆に損失を被るのはもちろん、万が一船が沈没や遭難すれば商品のみならず、船も乗員の命もすべて失われる可能性があるが、多くの船乗りたちが帆船で海に繰り出した。

ハイリスクハイリターンといえば、米軍統治下の沖縄では沖縄外からの商品の移入が禁じられていたため北前船に逆行する「ヤミ船(闇船)」で一攫千金を夢見た多くの船乗りたちがポンポ船で海に繰り出した。

米軍統治下の沖縄では「ヤミ船」の他に「戦果を挙げる」が一攫千金の華であった。

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◎沖縄
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