人形愛(ピグマリオンコンプレックス)の「わたし」は、サイボーグの夢を見るか

 

 


『メタリック』別唐晶司著を読む。きっかけは、SFマニアと思われる人のtweet。ありがとうございます。

 

「わたし」は小男、痩身。何年かおきに大病に冒される、病弱タイプ。運動神経もまるでなし。当然、自身の肉体はコンプレックスの対象。しかし、頭脳は明晰。友だちも恋人もできることなく勉学一筋。最難関大学の最難関学部、医学部に入学する。

 

周囲はリア充しているが、アルコールを体質的に受け付けない彼は呑み会でも相変わらず孤独。すると同じような級友がいた。同じニオイを感じて、寺原と友だちになる。彼は、「コンピューターマニア、オーディオマニア、カーマニア」。「メタル・フェティッシュ」だった。コンピューターソフトのプログラミングという高額のアルバイトで、高級マンションに住んでいた。

 

「わたし」は大学院に進み、脳を研究、アメリカにも留学する。留学先で再び肉体コンプレックスに加えて白人コンプレックスに苛まれる。そのルサンチマンぶりたるや。そしてまたもや病魔が襲う。

 

寺原は院で「脳移植に関する基礎研究」を行なっていて、人の脳の代わりに猿の脳を摘出して研究をしていた。末期癌と診断された「わたし」は、寺原の研究室に死後、自分の脳を提供することを申し出る。


研究室で「純粋生存計画」は秘密裡に進められる。肉体が存在しなくても、摘出された脳は生き続けることができるのか。

 

子どもの時、「わたし」は、入院することになって溺愛していたルナティという自動人形を連れて来た。それが同室の子どもたちの悪戯でいなくなった。中学生になって、買ってもらったコンピューターでCGで彼女を描き、復元しようとした。そして何十年後、アメリカ留学中にルナティと瓜二つの少女を目撃する。やっとの思いで近づいたら、彼女は蔑んだ眼で見た。好きだったのは、人形、人間ではなかった。


「わたし」は、もし脳に再び身体をセットアップするならば、サイボーグ、金属の身体を望む。サイボーグとなって徹底的に世界を破壊することを夢見る。もしくは妄想するシーン。サイバーパンクっぽい。

 

医学部出身の作者ならではの当時の最先端医学と禁忌(タブー)を破る緊張感。

 

かつて大学で人間生理学の講義中、犬の脳を摘出して、脳の部分に生理的食塩水を埋め込み、S-R理論の実験をしたという教授の話をふと思い出した。

 

人工頭脳ではなく、ものほんの頭脳。「シリコン製の透明な人口頭蓋で覆われ」た脳。その装置が鎮座している研究室。「わたし」の脳は、何を考えているのだろうか。

 

人形愛(ピグマリオンコンプレックス)の「わたし」は、サイボーグの夢を見るか。

 

1994年に刊行された本作だが、いま読んでも劣化してはいない。

 

ついでに書くなら、その時代の医学部あるあるというのか、医学部のホモソーシャル体質もうかがえて面白い。いまは、女性の進出によって、だいぶ、変わったと思うが。

 

人気blogランキング