哲学の科学

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趣味としての老人(7)

2022-06-11 | yy83趣味としての老人



●昭和を回収してまわる
結婚後この五十余年、何度引っ越したか数えきれない。そのたびに家財道具、本、書類、もろもろを捨てました。家の中に昭和の物はほとんど残っていません。
最近、古い昭和ものを見つけると買ったりします。オークションを覗くと、古いもの好きの人はたくさんいます。安いのでMade in Occupied Japanと銘打った皿を買いました。飾り棚の下段に明治期に輸出されたオールドノリタケの双対壺を置いていますが、昔の職人の美的感覚と技術はすごい。これが貧乏期の日本を支えていたのでしょう。
昔の映画のソフトも最近は安い。令和になってから昭和の物を少し買いました。「東京物語(1953小津安二郎)」、「七人の侍(1954黒澤明)」、「ティファニーで朝食を(1961ブレイク・エドワーズ)」、「春のめざめ(1963ニコス・コンドゥロス)」、「男はつらいよ(1969山田洋次)」。懐かしい。若いころ行った新宿渋谷の映画館の独特の雰囲気を思い出します。とうに消えてしまいましたが。
古本は少し残っているが不断捨離。文庫本、新書版などは捨てましたが、捨てずに残っているわずかの本はどこか捨てるに忍びない。中身が偉そう、あるいは装丁が偉そう、とか、気に入っていた本です。「『いき』の構造(1930九鬼周造)」、「死の舞踏(1916ストリンドベルク山本有三訳)」、「エロス的文明(1958 Herbert Marcuse)」、「共同幻想論(1968吉本隆明)」、「箱男(1973阿部公房)」。箱入り装丁が古びて茶色くなっているところがよし。
そもそも本は古くなってどこまでもつのか?
楔形文字で粘土板に記された『ギルガメシュ叙事詩』(紀元前二千年紀初頭)などが発掘されているので数千年前から(書写による)出版文化は継承されていたのでしょう。
粘土板は鉱物ですから石碑と同じでどこまでももちます。しかし重い。軽い情報媒体が必要です。パピルス、羊皮紙、紙、デジタルとなって現在のスマホが本の代わりになりつつあります。しかし昭和世代は紙の印刷本、オフセットよりも活版印刷のほうが高級と思い込んでいて、しかもハードカバーの本にありがたみがあるような気がします。
自宅本棚に並べると背表紙が偉そうで落ち着く。古くてちょっとほころびているようなものが好ましい。立派な老人趣味といえます。
ロンドンのロイヤルアカデミーで天井までの本棚の中にある革表紙のアンティーク本の羅列を見ましたが、大英帝国の奥の間を見た気がしましたね。








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