哲学の科学

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物事と人生の関係について(8)

2021-10-09 | yy79物事と人生の関係について


スーパー成城石井に行きましたがやはりパンドミがありません。午後五時に入荷するとのことで四時ころ行ってもまずありません。五時まで待つわけにもいかないので、隣にある・・・ベーカリーで食パンを買う。値段がかなり高いわりに味はふつう。それでも買いに来る客は結構多いらしい。ドアの外にテーブルがあるのでそこでパンを食べる人がいつもいます。
それにしても隣に安くておいしいスーパーがあるのに、なぜ高い店がやっていけるのか?不思議です。
午後五時まで待てないので高い店のほうで買う客がいるからか?
スーパーのパンドミは、朝など、昨日の売り残りがありますが、午後にはなくなります。パンドミの隣に値段が安いふつうの食パンや一割くらい値段が高い湯種食パンが並べてありますが、こちらはいつも売れ残っています。このスーパーは売れ行きをチェックしていないのか?パンドミをもっと多く仕入れればよいのではないでしょうか?それか、パンドミを少し値上げしたらどうか?
自由市場の原理はしばしば働いていません。公正取引委員会はどこまで自由市場を守ればよいのか?消費者も流通システムも市場のプレイヤーとして自由を守る責務を負っているのではないか?
消費者は市場の主権者でしょう?一票が変革力を全然持たないとすれば消費行動はむなしい。主権者が選挙のたびにニヒリズムをつのらせていくのはおかしい。
肉食動物といえども草食動物の集合離散に命がかかっている。売れなくても構わないという生産者や流通システムは市場のねじれです。後ろしか向かない公務員。会社アイデンティティを死守する大企業。ブランド権威主義のねじれかもしれない。
ねじれエネルギーは巻き戻されなければならない。巻き戻しの惰性で市場価値は振動する。振動を減衰させるバッファーが政府の介入でしょう。その介入がしばしば自己保存本能を持つ。政府が強すぎると自由が弱くなる。安全に閉じこもる家計から投資は出てこない。市場は消える。昔テレビで見たソ連のデパートのようになります。








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