2011年3月の東日本大震災では、東北地方の太平洋岸に甚大な被害をありましたですね。
そのうちでどこの被害がより深刻であったかなどということは、軽々に言えたものではないわけですが、
取り分け福島に関しては他と決定的に違う要素が絡んできたのはどなたもご存知のところです。
今でも放射線を出し続けているわけでして…。
昨今の新型コロナウイルス感染拡大予防で聞かされる「3密」などということも
避難所では難しかろうなあとも思っていたわけですが、折しも続く九州の豪雨被害では
避難所運営がこれまでとは違う対応を求められて、さぞや大変なことであろうと思うところなのですね。
そんな折に見た映画が「あいときぼうのまち」。
福島県にあって「日本の原子力政策に翻弄された四世代一家族の物語」なのでありました。
四世代を並行的に描いるために時代間のの行き来が頻繁なので、なかなかに付いていきにくところがあったものの、
それはともかくとして、第一世代は太平洋戦争末期の設定ですが、ここでまず「知らなかった…」ということに出くわすのでした。
学徒動員でしょうか、福島県の山中で学生たちが監督する将校のもと、鉱石採掘を行っているのですけれど、
彼らが探すよう命じられているものはなんとウラン鉱石なのでありました。
アメリカでマンハッタン計画が始まった翌年の1943年、日本では「二号研究」というものがスタートしたということで、
このあたりのことはWikipediaの「日本の原子爆弾開発」に詳述されていますが、
確かに福島県で採掘がおこなわれたというのは事実であるようで。
福島県にこんな形での原子力との因縁があろうとは全く知りませんでした。
ですがそうしたこととは関わりなく、戦争が終わったのちの時代にも全般的に貧しさに苛まれる福島の農民たちには
国が持ち掛けた原子力発電所建設による補助金の提供や雇用の創出に希望を見出す人たちもいたわけですね。
福島第一原発の運転開始は1971年で、賛成・反対渦巻く中ではありましたが、
だんだんと原発のある日常が当たり前になってもいったのでしょうか。
「原子力 明るい未来のエネルギー」なる標語が地元の小学生によって作られたのが1987年、
この作り手であった人物も(フィクションとしてでしょうけれど)映画には盛り込まれておりましたよ。
標語を作った男の子と反対派急先鋒とも見える家の女の子が恋物語は俗っぽくいえば
「ロミオとジュリエット」のようでもありましたなあ。
ところで、原発反対派の人がぽつりと漏らしたひと言は考えどころですなあ。
「原発が安全、安全って、そんなに安全なら東京に作ればいいんだ」と。
これって、ものすごい本音だろうと思うのですよね。
そんなこと言ったって東京には土地がない…ということにもなろうかと思いますが、
いざオリンピックを誘致しようてなことになりますといくらでも土地のやりくりを付けてしまうのですから、
都民の生活に欠かせない電気を地産地消でと考えれば、いくらでもやりようはあったものと思うわけで。
ではありますが、人間が考える「安全」を超える力で自然が襲い掛かる姿はすでに目の当たりにしたとなれば
国や自治体からいくら「大丈夫」と言われようとも眉唾ものと思うところでもありましょう。
あたかも昨今、国や自治体から「こうすればいい」「これはやっていい」「あれは避けてください」と言われることに
どこまで信憑性があるのかと思うことにもつながりましょうかね。
いずれにしても未経験のことなのですから、科学的知見さえ十分ではない中だけに…。
ということで、タイトルのひらがな書き「あいときぼうのまち」はまるで流れ出してしまいそうな字体でもあり、
かつて抱いた「愛と希望の町」は何とも流動的なものであったと思わせるところでもありますが、
福島はそこから少しずつ立ち直っていく、その将来にかっちりした「愛と希望の町」を目指しているとも受け取れるような。
そうした立ち直りという点では、日本全国、いや世界中にも関わる話となってきている現在ですけれど、
だからといって福島の状況を忘れてしまうことのないようにしたいものでありますね。