さて、往路には韮崎大村美術館やオオムラサキセンターに立ち寄ってたどり着いた小淵沢のアパート。
折しも東京に、突如の寒さが襲ってきた時にこちらにいたわけですが、どうも東京にある木造の住まいより
こちらの方が造りがしっかりしているのですかね、室内にいるときには断然暖かいような。
これからどんどん寒くなるというのに、東京より小淵沢にいた方が暖かいのかも(室内は、ですが)。
いやはやです。
それはともかく、天気が良ければ久しぶりに山歩きでも…と目論んでいたところがずいぶんな荒天で…。
(ここでもまた)近隣の資料館などを巡ることになったわけでありまして、最初に訪ねたのは県を跨いて
長野県は富士見町にある井戸尻考古館なのでありましたよ。
1958年に発掘調査が行われたという井戸尻遺跡、特徴としては
縄文中期ながら農耕が行われていたとしか考えられない考古遺物の数々が見られたことであるとか。
確かに展示にも農作業用と思しき道具がたくさん並んでいたのですけれど、
どうしても目を向けてしまうのは土器と土偶でありましたなあ。
北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録されたことで、とかく人の目は北の方に向きがちながら、
一方で夏頃の「ブラタモリ」で諏訪が取り上げられたりして、富士から諏訪湖を結ぶあたり、
甲府盆地から茅野へと至る平地部分には縄文文化が大きく花開いていたことがわかりますなあ。
土器の造形にも豊かな個性が感じられるところでありますよ。
こちらは全体の形こそシンプルですけれど、縄文という名前に繋がる縄目の模様に工夫がありますね。
「みずち文」とありますが、「みずち」というのは想像上の水棲生物のことであるそうな。
もちろん縄文人が「みずち」と言っていたわけではないのですが、そういうイメージに通じるものがあるという。
水を司ると想像するものを描くのは、縄文人にも当然に、水が大事だったことを思い出させますですね。
こちらは「人面深鉢」と呼ばれるもの。
人の顔らしき造形を施した土器は、このあたりの遺跡ではよく見られるような。
土器の胴の部分にも顔があって、出産にまつわるものでもあろうかという親子土器なんつうのも
どこかしらの資料館で見た記憶がありますですよ。
一方で、土偶もざっくざくですなあ。近隣遺跡の出土品で最も知られるものとしては、
尖石縄文考古館で見られる「縄文のビーナス」がありますけれど、こちらの展示もなかなか目を引くもので。
顔つきからついつい石塚英彦を思い出し、「まいう~!のビーナス?!」かとも思ったりしたですが、
これには「始祖女神像」との名づけがあるようで。御見それいたしました…(笑)。
こちらは「蛇を戴く土偶」であると。
横に回り込んでみますと、確かに蛇のようなものが頭に巻き付いておりまして。
人面を施した土器には蛇を戴くものあるようですが、土偶では他に類例がないとか。
貴重なものなのですなあ…と思いつつ、展示室で歩を進めますと、「これは?!」という一品に。
これはもう蛇ならぬツチノコではありませんか。
この、謎の生き物は縄文の昔から人々に語り継がれるという長い来歴を持っていたのでありましょうか。
(ちなみに展示品はレプリカで、実物は長野県立歴史館にあるそうです)
とまれ、ここでもまた縄文時代の豊かな意匠の一端を垣間見ることになったものなのでありました。