さて、秩父に向かうにあたり北回りの迂回ルートをとって、
途中に「実篤記念新しき村美術館」に立ち寄ったわけですけれど、果たして「新しき村」とは?
作家・武者小路実篤が思い描いた「自他共生」の理想社会を作り出すべく
実験的に拓かれた農村共同体とでも言ったらいいのでしょうか。
村内ではこのようなポスターが見られましたですが、「100年目を迎えた」のは2018年のこと。
ここ、埼玉県の毛呂山町に村が拓かれるに先行して、1918年に宮崎県の「新しき村」が誕生してから
数えて100年というわけですね。よく続いたものだと思ったりもしたものです。
ポスターのイラストを見る限り、村の賑わいは今でもといったふうに感じられなくないですが、
その実、村内のようすはといえば、こんなふうでもあり…。
どうやら打ち捨てられた家畜小屋(?)、使われなくなった共同井戸…。
理想郷として開墾されたのであろう村には廃屋寸前がある一方で、
村の敷地のすぐ向こうにはごくごく普通の民家の軒が迫ってきているのでありますよ。
考えてみれば(いささかの頑張りと辛抱が必要ながら)東京都心への通勤ができないでもない場所だけに、
農村共同体というありようを維持すること自体、バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』と周囲の関係を
思い浮かべたりするところです。
かつては村内に幼稚園もあったようですけれど、廃止されて久しいようす。
稀にすれ違う村人と思しき方々はいずれ劣らぬご高齢という具合なのでありました。
されど村の方々は意識高く、村内にも掲げられた「新しき村の精神」を日ごとに目にして
思いを新たにする日々を送っておられるのではないでしょうか。
美術館の受付におられたおばあちゃん、はたまた村内や売店でお見掛けした人たちも皆、
おだやかそうな、ある種、宗教的寛容さとでも言ったらいいような雰囲気を醸し出しておりましたよ。
「新しき村の精神」。これを読めば、「まさに!」、「そのとおりだな」と思ったりするところですけれど、
これをなかなか実践できないのが人間でもあるのですなあ。
だからそのままでよいとは思えないわけですが、この現実にはどう向き合っていったらいいのでしょうかねえ…。