「白鳥の湖と蛍の光と…」なんつうふうに書き出しますと、音楽の話?と思うところでしょうけれど、まあ、そうでもあるものの実は映画の話だったりするという。往年の名作(といっていいのですかね…)『哀愁』が未見であったものですから、この際見てみたという次第でありまして。

 

 

ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー、いわゆる美女美男の悲恋の物語…ですけれど、こういってはなんですが、話としてはさほどのものではないような。第一次大戦下、空襲警報の鳴り響くロンドンでたまたま同じ防空壕に避難することになったバレエ・ダンサーのマイラと陸軍大尉のロイ、互いに一瞬にして恋に落ちるのですなあ。戦地に戻るまで時間が無いロイはすぐさま結婚をとせっつきますが、これを夢見心地で承諾するマイラ。この進行の速さは悲劇に変わるのもまた急転直下でありますね。で、最後はああなってしまいますかねえ…(ネタバレを意識するまでもないかもですが、ちと遠慮して)。

 

それはともかく映画の原題は「Waterloo bridge」ですけれど、欧州戦線へと向かう兵士たちを送り出す列車がウォータールー駅であったため、テムズ川を渡って駅に至る道筋にあたるウォータールー橋を出会いの場として、その思い出を抱きつつ悲劇の結末の場ともしたのでありましょうね。ただ、橋のようすを見る限り、第一次大戦の頃のロンドンはこんなにももわもわしていたのであるかと。今では全く聞かなくなった言い回しですけれど、まさに「霧の都ロンドン」だったのですなあ。

 

ところで映画は、やおらチャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』のメイン・メロディーで始まるのでして、全く予備知識無しに見始めた者としては「なんだあ?」と思ったものの、ヒロインのマイラはバレエ・ダンサー、まさに『白鳥の湖』公演に出演中であったとすぐに分かるのですな。このメロディーの断片が折々登場するのはマイラのモティーフといった位置づけなのかも。

 

一方で、『蛍の光』のメロディー(といっても『蛍の光』というタイトルは日本オリジナルでしょうから、スコットランド民謡に基づく『オールド・ラング・サイン』というべきでしょうけれど、取り敢えず…)は、マイラとロイが出会った当日、早速にディナーを共にするために訪れたキャンドルライトクラブで、ダンスバンドが閉店間際の最後の曲として奏でるものとなっているのでありますよ。

 

先に読んだ『唱歌「蛍の光」と帝国日本』のことを書いた折にも触れていましたけれど、『蛍の光』のメロディーが3拍子のワルツ、いわゆる『別れのワルツ』として編曲したのは古関裕而と言いましたですが、そもそものワルツはこの映画『哀愁』が出自になっていて、これを古関が再現したものが『別れのワルツ』であったということなのですなあ。つうことは、『別れのワルツ』がもっぱら百貨店などの閉館前に流れされてきたということも、実は『蛍の光』が卒業式向けの歌であったことより、映画『哀愁』に見る閉店の音楽というあたりが出所なのかもしれんなあと思ったものでありますよ。

 

で、映画の中ではその後にも『蛍の光』のメロディー(その断片の含めて)何度も登場するのですが、モティーフとしては「別れ」を示唆すると同時に、マイラのテーマが『白鳥の湖』であるのに対するロイのテーマとなっているのかもですね。何せ、どうやらいいとこのお坊ちゃんらしいロイが実はスコットランドの伯爵家の子息であったと、最後の方でようやく分かるわけで、『蛍の光』ならぬ『オールド・ラング・ライン』はスコットランド民謡に基づいているのですから。

 

ところで、バレエ・ダンサーであるマイラのことを日本語字幕では一貫して「踊り子」となっていまして、いささか古くさい言い回しであるなと思ったものですが、実際に第一大戦下の20世紀初頭に至るもバレエ・ダンサーを些か見下した形で「踊り子」と呼ぶような、あたかも前世紀末にドガがバレエ・ダンサーを描いていた頃の上から目線(ドガ自身のことではありませんが)が厳然と残っていたのであるか…てなふうにも思ったものでありますよ。日本語字幕で「踊り子」という言葉を当てたのも、そうした風潮を意識した故でもあろうかと(いささか深読みかもですが)。

 

ところでところで、日本で卒業式の歌、閉店時の音楽となった『蛍の光』ですけれど、1964年の東京オリンピックでは閉会式にこれが歌われたことに欧米からの参加者は戸惑った…というような話をどこかしらで(先の一冊であったか…)目にしましたなあ。原曲とされる『オールド・ラング・サイン』自体は、本来別れの歌とはいえない歌詞で歌い継がれているとなれば分からなくもないですが、当然欧米にも広く知られた映画『哀愁』での使われようを思い出してみれば、そこまでおかしな印象でもないのかなと思ったり。

 

まあ、日本人としては『蛍の光』のありようにすっかり馴染んでしまっているからでもありましょうけれどね。映画を見ていて、このメロディーが流れるのを耳にするたび、頭の中で♪蛍の光窓の雪、ふみ詠む月日…と歌ってしまっていることに、ひとり苦笑してしまいましたですよ(笑)。