瀬戸蔵ミュージアムに足を踏み入れて、大正モダンとか昭和レトロとか、そんな雰囲気に包まれるはこの夕暮れ感でもありましょうか。昭和30年代を描いた(らしい)『三丁目の夕日』とはよく付けたタイトルであるなと思ったりするところかと。当時はまだ、大都会ならいざ知らず、街灯がたくさんあったわけではないでしょうから、暗い所は暗く、灯りが点っているところがとても際立っていたように思えます。日が沈んで辺りが暮れなずむ頃、作業を続ける工場の灯りなどはひと際輝きを増していたのでもなかろうかと。

 

 

ミュージアム内に再現されたやきもの工場(「こうば」と読むのが似合いますな)はまさにそんな佇まいでありましたけれど、瀬戸ではこうしたやきもの工場を「モロ」と呼ぶのだそうでありますよ。語源の謂われは詳らかではないものの「1個のモーター動力で複数の機械を駆動させる装置」が設置されているのが特徴となりますと、「モーター」の「モ」と「ロクロ」の「ロ」の組み合わせであるか…と思ったりも。

 

 

大きなモーターを回して得られる動力は工場内に張り巡らされたベルトによって伝えられ、原料の土を混ぜたりこねたりする機械(写真左側の車輪が二つ付いたようなのが「土ねり機」と)はもとより、器の成形に使うロクロをも動かしていたということで。

 

 

なるほど、確かに地面の下をベルトが通っていて、ロクロが回る仕掛けなのであるなと。一方で、複雑な形の製品には石膏型が使われていたのですな。

 

 

成形された半製品はまず日の当たらない屋内で乾燥させ、その後天日干しされることになりますが、工場のなかそと、それぞれ限られたスペースをうまく使っているようで。

 

 

その後はいよいよ窯へ…といって、その前に施釉や絵付けがあるのでしたがちと端折り。

 

 

 

こちらに再現された窯は「明治後期から昭和30年代に活躍した石炭窯」であると。登り窯のように傾斜地を必要としないので、平地にやきもの工場がどんどん進出するようになったのだということです。結果、石炭窯に付き物の煙突が瀬戸の町に出現したそうな。

 

 

 

町なかを貫流する瀬戸川にも、不要な粘土が流された結果、かように白濁してしまったいた…とは、昭和の時代までに確実にあった「公害」を思い出しますな。こうした環境汚染が平気で行われてしまっていたのもまた「昭和」の姿であろうかと思えば、懐かしがるばかりの時代ではないわけで…。