頂点(終) | 夜光虫の弁明

夜光虫の弁明

…ホスト界隈、地獄極楽、また地獄…

その頃の私は、夜の世界をさまよい続ける中で、様々な接客技術を身にまとって、七十人以上がしのぎを削っていた『N』においても、常にベストテンには名を連ねるようになり、青山学院や常磐松御用邸がすぐ近所にある、家賃十五万円のマンションに移り住み、そこから歌舞伎町へタクシーで通勤するようになっていた。

佐々木はと言えば、たいした売上げもなく、『B』でNo.1を競い合っていた頃の片鱗を、全くとして現わすことはなかったが、若手ホストの多くは、彼が頂点を極めていた頃の話を古参ホストから聞かされていたようで、常に一目を置いて接するものが多かった。

そうした周囲の影響があったせいなのか、以前と変わらぬ横柄さを思わせる雰囲気が、どうしても私の鼻につき、たとえ同じ卓に着いていても、殆んどとして口をきくことはなかった。

それからまた暫らくして、私が早い時間の『S』に転籍した頃に、佐々木もその店に移ってきた。噂では、新人ホスト相手にマルチ商法の勧誘をするなどの問題を起こし、『N』に居場所を失った為に『S』に移ったのではないかといったことを聞かされた。

ある時ぐうぜん、同じ卓にヘルプとして着いていたが、その卓のお客がトイレのために席を外すと、何を思ったのか、私に対して威嚇するような態度をとった。

以前から殆んど口を利かず、挨拶もしない私に苛立ちを覚えたのか、喧嘩腰で凄んでいるように見えた。

それに対して私は、普段は素振りにも見せないが、多少は格闘技の技術も身につけ、ホストになる前や、なって間もない頃には、若気の至りで何人かの人間と喧嘩騒ぎを起こし、相手の顔相が変形するほどに烈しく殴り付けて、その後遺症で、三十代になってから右手首の偽関節症が見つかり、全身麻酔での手術をする羽目にもなっている。

佐々木の恫喝的な行動に対して、私が素早く身構えて逆に睨み据えると、急に態度を豹変させて、例の薄ら笑いを浮かべながら席から立ち上がり、それまでの態度を誤魔化すように他の卓に移っていった。

いま思い返すと、カシミアのコートの一件をいつまでも根に持って、稚拙で反抗的な態度をとり続けていた私のほうが、一人の男としてどうだったのかと考えさせられる。

その日を境として佐々木は私を避けるようになり、ある程度の距離を置くようになったが、それでも、遠目から見かけることがままあった。

控えの席に座っていた彼は、どこか暗い表情を表わすことが増えているように思えたが、それ以上に、元々スレンダーな身体付きではあったが、より一層に痩せ細っているようにも感じた。出勤日数も段々と減り、いつしか店に顔を出すこともなくなっていた。

ホストが店を移る場合、内勤にも伝えずに、いつの間にか出勤しなくなることは、実際、よくあることなので、大方のホストは気にも留めていなかった。

数ヶ月の時が経った頃、、佐々木が亡くなっていたことを聞かされた『S』のホストたちは、その驚きを隠せなかった。

彼は、だいぶ前から身体の不調を感じてはいたが、生来の楽観的な性格から、病院での検査などは、全く受けずにいた。その症状がはっきりと出てきたことで初めて診察を受けたが、時すでに遅く、末期の肺がんを患っていた。

四国の実家に戻って、入院先の病院で様々な治療や手術を施したが、末期の肺がんであるため殆んど効果はなく、時を経ずして、三十代の若さで夭逝したそうだ。

今であれば、末期の肺がんであっても、抗がん剤や放射線、そして手術等によって、多少の延命は期待できただろうが、それでも、5年生存率はわずか4%ほどだから、彼の命が助かる可能性は殆んどなかったであろう。

自分のことを棚上げして、この私が言うのもいささかおこがましいが、人間誰しも、病気と怪我には勝てないのだから、日々の健康状態に関しては細心の注意を払い、少しでもおかしいと感じた時には、迷わずに病院で検査を受けるように心がけることは大切である。

その時が人生の頂点であっても、ほんの僅かの油断で、奈落の底へと転落するものは、どのような世界でも後を絶たないのだから。



いつもご覧いただき、ありがとうございます。
こちらも押していただければ、更新の励みとします。
     ↓


ホスト(水商売) ブログランキングへ