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2010年07月24日
日本人とは何であるか
 日本人にとって一番幸せに感じることを知ることは、
つまり日本人とは何であるかを知るのと同じである。

 家族で家の庭で花火を行って、最後に線香花火で
しめるのを極上の幸せに感じているかもしれない。

 寒い冬に、気のあった仲間同士が集まり、コタツで鍋を
つつきあうのを極上の楽しみにする人もいるかもしれない。

 夕暮れの中に、毎日を家までの坂道をあげるときに
聞こえてくるお寺の鐘の音に、無常の喜びを感じる人も
いるかも知れない。


 ドレスを着飾って、片手にシャンパンが入ったグラスをもち
華やかな場所でパーティーに参加するのを極上の楽しみにする人もいる。


人それぞれ楽しみは異なる。
国が違えば楽しみも異なる。
そしてそれの楽しみを堂々と、楽しめばよいのだ。
楽しみは、他人から教えられるものではない。
楽しみは、自分たちで見つけて洗練させていくものである。

日本人にとって、真に楽しいことはなんだろうか?
日本人にとって、真に幸せを感じることはなんだろうか?

他人の評価など、まったく気にする必要はない。
ようは、自分たちが楽しいかどうかである。
それがわかってくれば、日本人とは何であるかも分かってくるのだ。
 

Posted by 稲穂黄金 at 15:19 | 未来 | この記事のURL
2010年07月24日
日本人にとって幸せとは何であるか
 日本人にとって幸せな国とはなんであるか?
勝ち負けの優位をはっきりつけて勝った者が富と権力がもてる国?
それとも皆で協力して進んでいく国?
 なんでも平等な生き方をしないと許せない国?
自由に、それこそ徹底的に自由に生きてよい国?

商品をたくさん手にいれることが幸せな国?
それとも商品がなくても人のつながりで幸せを感じる国?

男も女も皆、働いて、小さい子供はお0歳児から保育園に預けて働く国?
それとも、小さい子供はなるべく親と一緒に育てる国?

日本人にとってこの国をどうしたいかがわからないと
どのような政策を取るにしても始まらない。
日本人は、本当はどうしたいの。
それがわからないとこの国をどうしたいのかがわからない。

大事なことは、あくまで自分たちはどうしたいかって事である。
外国ではこうとか、ああとかはいらない。
自分たちが、どういうことで幸せを感じ、豊かさを感じるのかを
知ることが重要である。

Posted by 稲穂黄金 at 15:10 | 未来 | この記事のURL
2009年01月12日
物作りの国ではなく付加価値の国 A
確かにインフレ時代には物(商品)に付加価値をつければ売れた。
しかし、物(商品)以外にも付加価値を付けることはできる。

世界の商売人はそれを意識している。
特にアングロサクソン国家はそれにたけている。

 ・サービス  + 付加価値 は 観光業(1流ホテル、観光案内)
 ・安心(命)  + 付加価値 は 保険業(生命保険、健康保険)
 ・安心(私財) + 付加価値 は コンサルタント(financial)。
 ・安心(経済) + 付加価値 は 格付け会社、証券会社。
 ・虚栄心    + 付加価値 は ブランド業(有名ブランドバック)。
 ・情報    + 付加価値 は IT検索会社(Google,Yahoo)。
 ・運送    + 付加価値 は ネット通販(Amazon)。



日本は物作り(商品)といってきた。
しかし大切なことは付加価値を加えること。
それがただ物(商品)であっただけだ。物(商品)は目に見えやすい。

今回のサブプライムの要因の証券化とはまさにそれだ。
物(以外)に付加価値のつけたもの全体の価値が弾けた。

土地も証券化され、リスクも証券化され、
目に見えないものまで付加価値が加わったものである。

それが実体経済より大きいとは、つまりそれだけ目に見えないものの取引で
大きな利益が生まれているという事実。
 
 経済学者の中では今回のサブプライムで世界は実体経済を中心に進んでいくだろうという人がいるが、これは間違いである。
世界の生産力は圧倒的に上がっているからだ。

世界中が物(商品)を作れる。圧倒的な生産力があるのである。人類が消費できない
ほどの商品を人類は作ることができるである。

だからこそ多くの金融商品、証券化が生まれた。
いかに物(商品)以外のものに価値を付けるかが生まれたのだ。

必要があったから生まれた。そう意識することが大切だ。
それほど長くない時間を経て再び金融商品・証券化は復活する

もはや物(商品)だけに価値をおく時代ではない。
世界は物(商品)以外に価値を見出す道へ動かざるおえない。

日本はこれをしっかりと意識することは大切なのである。

Posted by 稲穂黄金 at 11:37 | 経済 | この記事のURL
2009年01月10日
物作りの国ではなく付加価値の国 @
日本が目指すのは
物作りの国家ではなく、付加価値を提供する国家である。

確かに物(商品)は目に付きやすく、付加価値を付けやすい。
インフレ時代には物が貴重であった。

だから物を作れば、付加価値が弱くても売れた。
もちろん多くの付加価値を付ければ爆発的に売れた。

物(商品)は目に見え、よって付加価値を付けやすい。
日本人は物が売れるたびにいつしか物を作りことに意識がいってしまった。
付加価値をつけることは物(商品)に限定されないという意識を忘れてしまった。

 不況になるたびに日本は物作りを目指してきた。
他の国が作れない物(商品)を作ってきた。
付加価値の高い物(商品)を目指してきた。

だが、今度の世界的な不況で日本人も目が覚めざるおえない。

物(商品)は消費する人がいて価値が生まれる
どれほど付加価値が高いように見えても物を消費する人がいなければ
経済的価値はないということ。

高い付加価値を誇った日本の自動車も世界的な不況で大きな減退を余儀なくされた。どれほど付加価値があっても買う人がいなくなれば売れない。

物作りという言葉に固執することは危ない
付加価値という言葉に固執することが大切だ。付加価値は物(商品)だけではない。
たまたま、物に付加価値を付けやすかったから日本は物作りになった。

 物が足りないインフレの時代は20世紀
  物が満ちているデフレの時代が21世紀

物を消費しない時代が来ている。
物以外の何物かに付加価値を付けることを考えることが大切だ。

その兆候は10年近く前から若者の間で出ていた。
 物(商品)に付加価値を付けたものよりも、物以外に付加価値をつけたものに
興味を若者は示し始めていた。

 インターネット、音楽、ゲーム、携帯などすべて情報である。
デジタル情報に還元できるものである。

物作りの国ではなく、付加価値を提供できる国を目指すこと



Posted by 稲穂黄金 at 17:27 | 経済 | この記事のURL
2009年01月10日
2009年 日本
 安倍政権時の参議院選挙で自民党が大敗した時に来年の日本の景気は下がりボーナスも減額になるだろうと稲穂黄金が述べたのは2年と少し前のことであった。

2年と少し前の日本は好景気なので日本人も安心していたのだろう。

日本という国が衆参で与党が多数を占めないときに経済状態がどういう目に逢ってきたかを1990年代のの失われた10年で経験して日本人は理解したのかと思っていたらそうではなかった。

 参議院は6年間は絶対に解散しない。2013年まである。
急速に進む世界のスピードに対して、日本は法案を通すのに 衆院→参院→衆院 という時間がかかる手法でしか法案を通すことができなくなった。


2013年の日本は世界に大きな差をあけられている可能性がある。
またその時には、これからの日本に参議院は本当に必要なのか?という議論が呼び起こされることだろう。


奇しくも今の参議院が選挙を行うのは2013年という団塊の世代が年金受給が始まる2012年の次の年になる。国から莫大なお金が年金代として支払われるようになる。

今の不況は1〜2年という評論家、経済学者がいるが決してそんないうものではない。この不況は世界中で起こっている。

日本は改革のスピードを失い、さらに世界の不況が襲ってきた。
サブプライムの不況は日本だけではなく世界の先進国に大きな変化を要請している。日本だけでなく先進国は新しい国家システムを構築する必要がある。

日本においては年金受給が始まる2012年までに国家の進むべき方向を掲げられないなら経済的に2流国に転ずるだろう。

しかし日本の進むべき方向ははっきりしている。
稲穂黄金の日本の歩み道(近未来)を参照)


Posted by 稲穂黄金 at 16:55 | 政治 | この記事のURL
2008年02月14日
キーワードは『超システム化』 E
超システム化を推し進める力となっているのが 日本において少子化と高齢化になっているといったが さらに地球環境においてもCO2削減があることを述べた。 それらの要因が超システム化を後押ししているが その他にも多くのことが後押ししているように見える。 原油高である。 さらに原油高にひきづられて穀物の値段も上がっている。 ますます日本は圧倒的な効率化を求められているのである。 そして毒入り餃子の中国製の冷凍食品が世の中にでたことで 冷凍食品を買い控える人が増えたことである。 これにより安価で安全で栄養価が高い穀物・野菜を提供するシステム が今後の21世紀には必要であることが日本国民の意識に入った。 これは農業分野にも超システム化が要請されているように思える。 日本国内において工場の中でバイオテクノロジーを利用して 圧倒的な量の穀物を育てることが必要な時代になっているように見える。 その工場は無人であり、穀物は生育過程がシステム管理され,人工の日光が 照射され、使用した肥料・農薬の量が一目で分かるようにデータベース管理 されている近未来的な農作物の工場である。

Posted by 稲穂黄金 at 13:49 | 未来 | この記事のURL
2008年02月14日
キーワードは『超システム化』 D
そして日本がこの超システム化に成功すれば世界各国も日本を 見習って超システム化を取り入れるだろう。 2つの理由がある。 1つは日本の成功事例を見せることで、その国の職業を失う人を 納得させられるからである。  医者や教師、その他の多くの職業人が職業を失うのは日本に 限らず世界中で多くの抵抗がある。 しかし超システム化を取り入れた日本が、職を失った人の問題を 含めて発展する姿を見せることで世界の人々も納得して超システム化を 導入するようになる。 もう1つは地球環境からの要請である。 現在 地球温暖化により CO2 削減が世界各国、とりわけ企業の中で 取り入れられていく方向になっている。 その面で見ると、超システム化の社会構築ほどもっとも効率が良い 低エネルギー社会となるのである。 考えてみよう。 例えば、現在のように病院にあなたが通って診療を受ける場合 車かバスで移動するだろう。その時に車からCO2が排出されるだろう。 またシステム化されていない病院では多くの非効率作業がうまれ,さらに CO2が排出される。  それが超システム化を導入した場合はどうだろう。 あなたは病院まで車で移動せずに、自宅からネット越しで診断が できる。それにより移動によって生まれるCO2が排出されない。 さらに超システム化の管理によって本当に手術が必要な人だけで 手術をする環境を提供すれば良いので、病院はこまずに 効率的に手術の日程が組め、病院があいている時間も短くでき 光熱費なども効率的になる。 すべての分野において超システム化は効率的である。 無駄な作業を省くからである。 地球環境の面からも超システム化が全世界的な規模で 望まれているのである。

Posted by 稲穂黄金 at 13:17 | 未来 | この記事のURL
2008年02月14日
キーワードは『超システム化』 C
ある分野を充実・発展させる為の資金投資には 人的支援システム支援の2通りがあると述べた。 そしてシステム支援こそが以前よりも格段にその分野の質を あげることを述べた。さらにそれが安価に可能になることを述べた。 そうすると人的支援ではなくシステム支援を選べば良いではないかと 多くの人が思うが、そうはならないのである。 問題は質を上げることではないからだ。 確かに質を安価に上げれるならばそちらを選ぶだろうと思うが そうはならない。  なぜなら仕事を奪ってしまうからである。 問題は仕事がなくなってしまうことである。 今 地方には病院が足りないといっているが各家庭において 病院とインターネット経由が診断ができるような仕組みができあがった 時に多くの病院が不要になるからである。 さらにいうとお医者さんが余る。 現在の3分の1でも充分すぎるようになる。 だから医療の質を上げると名目はあっても誰も自分の職を失いたいと は思わないものである。 これはどの分野も同じである。 学校の教育においても優れた予備校講師の授業をネット経由で行えば 学校の先生の数も今の100分の1でも足りるようになるからだ。 極端にいえば、例えば優れた数学の先生の授業を日本全国の高校一年生が 同時にきけば、1人で日本全国の高校一年生全員の授業ができてしまう。 さらにいうとそれを録画しておけば来年の高校一年生もそれを再生して 見ればよいだけだから。実際にはその1人の先生があらかじめ 高校1年・2年・3年生の授業を取っておけばそれで事足りるということ になってしまう。 しかし仮にそれがどれだけ良くても文部省はそれを採用することには 抵抗するだろう。教師の仕事を奪ってしまうからである。  だから本当はその分野を充実・発展させる方法はシステム化であると 認識できても問題はそこにでない。 システム化を導入した為に仕事を失ってしまう人をどうするか!である。 職業を奪ってしまうことには多くの抵抗が生まれるのである。 問題はここにある。 だから医療でも北海道の稚内などの医者がきてくれない地方においては 渋々 遠隔診断を認めざる負えないが、医者が足りている都会においては 採用されにくいのである。 徹手的なシステム化は追い詰められたところからしか始まらないのである。 そうすると世界の中で一番 追い詰められている国はどこだろう。 税収が減り、支出が増え、国民の意識が高く,それでいて世界の リーダーの資質があり, システム化するだけの充分の技術がある国はどこだろうか!?  その国は 日本 日本 日本  少子化と高齢化という2つの問題が差し迫ったこの日本こそ もっともシステム化を取り入れられる国と思われる。  超システム化の最有力候補がこの日本である。

Posted by 稲穂黄金 at 12:44 | 未来 | この記事のURL
2008年02月14日
キーワードは『超システム化』 B
全ての分野にシステムが徹底的に導入され活用される。 これを超システム化と述べた。 それが世界の中でもっとも採用されやすいのはこの日本である。 理由は主に国にお金がなくなっているからである。 現在 医療分野も教育分野も建築分野などあらゆる分野に対して 国からの税金投入が減り続けている。 今まで散財を続けてきた我が国・日本においてお金を使い果たし さらにたくさんの借金をしてまで箱モノ・道路を作ってきたが とうとう首がまわらなくなってきたというのが正直なところである。 税収は増えずお金は出ていくばかりになってきた。 それを後押ししているのが少子化高齢化である。 少子化は税収減を、高齢化は支出増を意味する。 ここにきて、どの分野もお金がたりなくなって疲弊し、地方には病院が なくなり、破産する市(夕張市)もでてきた。   ある分野を成長させ発展させようとしたらお金がかかるのであるが お金をかけるにしてもその分野を充実・発展させるやり方は 一般的に2通りある。  @ 人的な支援をする。    医者を育てる為の教育、教師を育てる為の教育に投資する。  A システム導入・運用に支援する。    システム・ロボットを導入する。 上記の@Aとも共にその分野を発展させるが費用対効果で見た場合には 大きな差が生まれる。 @は大きなお金がかかり、さらに現状よりも良くする場合にはさらに大きな 投資が必要になることである。  医者を育てるが、さらにその医者にその後も教育を与えていくことを意味する。 その後もお金がかかり続けるのである。 反対にAは、最初の導入期はお金がかかるがシステムを導入すれば 後は維持費が中心となる。 さらにAを選んだ場合は、医療の質があがりさらに費用も圧倒的に安くなる。 これは、以前は高速道路でチケットを切っていた人がETCの導入とともに いなくなったことと同じである。 その分の人件費は浮いて、その分収入が増えたのである。 仮に日本全国どこでも遠隔診断ができるようになれば病院の数は現在の 3分の1でもお釣りがくるだろう。 はっきりいえば、自宅からインターネット使って診断できるようになれば 病院がどこにあっても関係がなくなるからである。  もちろん医療は診断だけではなく手術も必要であるが、 病院に通う人の圧倒的多数は診断を受けに行っている。 そしてそこで手術するわけではなく、何の薬を飲んだらいいかの 紙を貰えるのである。それがほとんどである。 もちろん手術が必要な場合はその時になって病院にいって先生から 手術をしてもらえば良いのである。 そうすると 病院に行く = 手術 ということになり、 病気の診断 = インターネット ということになる。 そうなると病院も非常に空いてくるだろう。 手術の日程はあらかじめ予約すればいいし、そんなに手術の数が 増えるわけでもないのでゆとりをもって病院の先生も手術が できるようになる。 この@人的支援かAシステム導入かは全ての分野に言える。 教育分野でも見ても同じことがいえる。 人的支援にお金を投じるならば先生の数を育て, さらにその先生が より良い先生になる為の教育を授けることを意味する。 システム支援なら日本全国の学校にインターネット回線で授業を受けれる 環境を作り、どんな田舎の学校からでも都内のすぐれた予備校の先生の 授業を選択することができる仕組み作りを意味する。 システムの導入にかかる費用は導入がかかるだけで後の維持費は非常に 安くすむ。さらにシステム導入は人的支援と違いず〜と安価な維持費で 済むのである。  人的支援ならば毎年、新人の先生を育てる必要があるが システム導入ならば、優れた先生の1年間の授業を録画しておけば 10年後の生徒もそれを見ればよいからである。 もちろんその録画した先生よりも素晴らしい授業をする先生がいれば 録画しなおして、またさらに10年間 毎年同じ授業を流せば良いからである。

Posted by 稲穂黄金 at 12:07 | 未来 | この記事のURL
2008年02月14日
キーワードは『超システム化』 A
まず『超システム化』というのを説明する。 この超システム化というのは漠然と世の中にシステムの導入がなされると 思うだろうが、ここでいうのはそういう生易しい意味ではなく 全ての分野に徹底的にシステムが導入されることを意味している。  つい先日 テレビ番組『ガイアの夜明け』の中で北海道では医師の診断が インターネットを通じて遠隔で行われているのがやっていた。 稚内に住む患者が、旭川にある大病院の先生の診断をインターネットごしに 受けている内容であった。  北海道では医師不足で、そういうネット診断が行われるようになったが 結果的に高度な医療ができることになった。 優れた医師の診断を離れた場所からも受けることができることになったのだ。   超システム化というのはこういうネットを利用した(さらにシステム制御された) 環境がすべてのあらゆる分野に対して徹底的に導入されることを意味する。  医療の現場だけではなく 教育・農業・エンターテーメン に至るすべての 分野においてシステム化が徹底されることを意味しているのだ。  医療の遠隔診断ができる地域は、中途半端な規模の病院が残っている地域 よりも実は高度医療が受けれるようになったことを意味する。 人が減り続ける過疎地域だからこそ、遠隔診断が取り入れられ、 まだいくつかの病院が残る地方の中堅都市以上に高度な医療診断をネット越しに できるようになった。 この意味がわかるだろうか? 何も手段がなくなったからこそ、システム化を取りいたらそこが、中途半端に あるところよりも実は良くなっているという事実である。  これは医療だけの話ではない。 例えば教育を例にとろう。 過疎地域の高校で担当科目の先生がいなくなった場合、 都内の予備校と提携して、インターネットを利用して都内予備校のすぐれた 授業を聞くことが可能になるのである。  これも先生が残っている中堅の都市では取り入れられることが今はないが 先生のなり手がなく、手段がなくなった過疎地域においてはこの方法が とられる可能性が高い。 そうなると過疎地域にいる子供の方が都内予備校の一流講師の授業を 受けれるようになり地方の中堅の都市を一気に抜いてしまうことになる。 教育においてもシステム化が導入すればそうなる。 それが全分野において、過疎地域だけではなく中堅都市も大都市もすべてに おいてシステム化が導入されることを  『 超システム化 』  と呼ぶのである。

Posted by 稲穂黄金 at 10:01 | 未来 | この記事のURL
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