秋の空と私の心 | 茜の話

茜の話

恋愛に性別は関係ありそう。

こんばんは、茜です。

在宅で仕事してて、足が寒くなったものだから正座みたいな感じで座ってたら、今度は膝が痛くなってきました。

何しても年齢の積み重ねを感じる今日の日です。

 

 

 

人に必要とされたい、認められたい欲は結構ある方だと自覚したのがこの数年なのですが、最近は程々がいいというところに落ち着きました。

何事も中庸と言うか、程々がいいものです。

 

例えば仕事で頼りにされるのは嬉しいとは思うけど、押し付けられたりするのは嫌です。

この人甘えてるなぁ、と思って、でもノーとは言えない生粋の日本人の私です。

 

「いい人」も「真面目な人」も「正直な人」も、損をするばかり。

なのにやめられない私は馬鹿なのか。

 

程々にいい人であればいいのだけど。

 

 

でもね、自分が楽したい、責任追いたくないという甘えからではなくて、同じ目線で同じ重さで物事を見てくれる人に認められたいの。

程々っていうか、きちんと。

 

そういう人ってなかなかいないんだよなぁ。

じゃあ私は他人のことを変な下心なく同じ目線で見られているのかと問われれば、分からないし自信ない。

所詮は他人で、それなりに距離感のある関係だから。

 

 

それでも私は、時折周囲の誰かを尊敬する。

形だけではなく心から感謝の言葉を伝えようと心がけている、つもり。

ただ私も感謝はされるけど、それが形だけなのか心がこもっているかは結局分からないし、だから同じように私の気持ちがきちんと伝わっているかは分からない。

 

感謝されるために頑張って生きているわけじゃないけど、感謝されるから頑張れる部分もある。

 

やっぱり認められたいなぁ。

 

けど、あんまり持ち上げられたり頼られると、利用されてる?と疑ってしまうようになった。

いいのか悪いのか。

 

 

何て言われたら嬉しいかな。

あなたがいないと不安です、寂しいです系のではなくて、ただただ「お疲れ様」だけの方がいいこともある。

それで十分認められたように思える。

 

本当は芯の部分を見てほしい。

ほんの少しの理解をしてほしい。

 

口には出せないから、今日もブログに書いておく。

ブログのいいところは一方的に書けることと、十分伝えたいことを書けるということ。

 

それでもうまく言葉になり切れない私の芯の部分、核となる何か。

自分でも表現しきれないから、寂しく感じてしまう。

 

 

寒くなってきたので、寂しさも倍増。

単純な話。

 

伝えるのではなく、伝わってきたらいいなぁ。

温かい何か。

 

抽象的すぎて伝わらない。

今日はそんな抽象的なぼんやりとした言葉を書きたい気分。

 

ちょっとだけアンニュイな今日の心模様の話でした。

それではまた、ごきげんよう。