星野のカウンターで、起業家に転身する山岸さんを、畏敬と不安の眼差しで見つめていた私です。

 

 確かに山岸さんは一流大学の大学院を卒業し、日本を代表する一流企業でトントン拍子に出世街道を歩み今の地位を築き上げた。

 

 人柄が魅力的でどこに行っても人気者な存在感は、その華のある人生を一層華々しくしていたものです。

 

 しかし、そういう経歴や肩書、それに守護神となってくれていた会社の存在が消失したところで、これから生きていくということに不安はないのだろうか。隠居して趣味の世界にほのぼのと生きていくわけではない。ましてや、私などでは想像もできない程に厳しい筈の個人ビジネスの世界においてです。

 

 勿論、私には起業経験などないから、その道がどんな世界であるかはわかりませんでした。

 

 しかし、耳学問では、魑魅魍魎が跋扈する過激な世界であるということは常識の範疇であったものです。

 

 どうも、山岸さんには行く末に対する不安めいた感じはなかったのですが、話の節々から、今回のビジネスにおける覚悟というものも感じられなかったものです。

 

 このように転職することにした最大の理由というかきっかけは、お世話になった友人からの強い誘いにあったということも印象に残ったものです。

 

 いずれにしろ、バイオエタノール、つまりジャトロファビジネスに打って出ると聞いた時は、偶然日頃親しくしている仲間が同じ話をしていただけに、なんとなく理解できたし親近感も得たものです。

 

 しかしですね、それと併行して始めようとしているビジネス、これを聞いた時には仰天してしまったわけです。

 

 中国リスクマネジメント・・・。

 

 会社の概要で、中国へ進出する日本人ビジネスマンのために、ビジネス上のリスクやノウハウについて顧問的相談者になるという旨の文章が躍っており、新会社の名称に並んで、その業務内容として、バイオ燃料事業に加え中国リスクマネジメントという言葉が並んでいたのです。

 

 中国リスクマネジメントって、ホントにそんなこと出来るのかな、最初は不思議に思ったのですが、同時に何でも出来る山岸さんなら、それも可能なんだろうなとも思う私でした。

 

 当時の中国はまだ世界第二位の経済大国になる前の段階でして、胡錦濤国家主席の時代でした。

 

 私は以前から何人かの中国人通訳人と知己を得ていたし、中国に興味を抱いていたものです。

 

 今もそうだと思いますが、当時はもっとチャイナリスクという言葉が盛んに言い立てられていたものです。

 

 チャイナリスクないし中国リスクというのは、日本企業が中国国内で経済活動を行う際に生じるリスクのことであり、生産、販売、投資に人事とビジネスの諸側面において、危険だらけで、中国に進出した多くの日本人ビジネスマン達が悲鳴をあげて撤退しUターンしていることは、なんとなく知っていました。

 

 その晩は、山岸さんが多くの人の協力を得ながらも新しく始めるというビジネス、つまりバイオ燃料事業と中国リスクマネジメントについて詳細な会社説明を受けたわけでして、私はその会社案内のパンフレットを貰っては帰路についたのです。

 

 年が明けて、すぐに私は知り合いの中国人通訳人に会う予定があり、その際にですね、山岸さんから頂いた会社のパンフレットをその通訳人に見せてみることを思いついたのです。

 

 その通訳人、仮に名前を程さんとしておきます。程さんは、まだ40歳になったばかりの生粋の中国人でしたが、日本の政府機関や大手企業等で通訳翻訳業務を一手に引き受けている中国知識階級の一人でして、5か国語が話せた。当時は日本の大学で中国語の講師も務めており、私は、得体の知れない中国リスクマネジメントなる業務について、彼ならば正鵠を得た講釈をしてくれるのではないかと期待したのです。

 

 新宿の喫茶店で、私は程さんと仕事の話などをすませるや、早速、その中国リスクマネジメントのパンフレットを見せてみることにしました。

 

 最初はさほどの興味もなさそうだった程さんですが、パンフレットを読み進めるうちに、その眼差しには真剣さが帯びてきます。

 

 「凄い話ですね。」

 

 程さんは、殆ど日本人と区別がつかない達人的日本語で、パンフレットを読み終えるや感嘆の声を上げたのです。

 

 「この方は、私にも将来株主として協力をしてくれと言っているのですが、バイオ燃料事業の方はさておき中国リスクマネジメントについては、どう思いますか。」

 

 事実、山岸さんは私に将来的な金銭的協力を申し出ていたのです。

 

 「一言でいえば、相当な自信がなければ、このようなことを自分の会社のホームページに載せるなんてことはできない筈です。問題はその自信がどこから来ているのかですね。」

 

 要点を衝いた返答に、満足する私に、程さんは更に話を続けます。

 

 「ただ、この方は、中国リスクの本当の怖ろしさを知っているのでしょうか、それが不安なところでもありますね。」

 

 

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