私が新宿2丁目界隈で浴びるように酒を吞んでいたのは、2000年問題で日本社会が揺れ動いていた頃の話です。2000年問題といっても今の若い人にはピンとこないかな。これは、世紀が変わる頃、つまり西暦2000年を迎えるにあたって、コンピューターシステムが日付を正しく認識できず、誤作動を起こす可能性があった問題であり、事実、いろいろなところでシステム障害が生じていたものです。

 

 当時の私は、今と違って、言辞に尽くせない心の闇が視界を大きく遮っており、どうしても希望通りに生きることができず、毎晩酒を呑んでは呻吟していたものです。努力したくても努力ができないという心理状態は、ある意味、努力をしたけれど結果を得られないということよりも心苦しいもののように思えます。

 

 なんだか、2000年問題と同じでシステム障害が心身のあちこちに生じているような気がしたものですが、新宿2丁目界隈で呑むようになったのは、当時やっていた或る趣味の先輩の行きつけが当時仲通りにあったゲイバーであり、頻繁にそこへ連れて行ったもらったことから始まります。

 

 「ユミコ」というゲイバーは三十代半ばのハンサムなゲイが一人で経営していた小さなお店でして、私をそこへ連れて行ってくれた先輩とは二十年来の親友だとのことでした。その先輩は私同様勿論LGBTでもなければアライでもありませんが、ユミコママとは深い男の友情?で結ばれており、いつしか私も毎週土曜日の夜は「ユミコ」で呑むようになっていたのです。

 

 十人も座ればいっぱいのカウンターだけの薄暗い店でしたが、毎回半分以上が女性客だったのが印象的でしたね。新宿2丁目というのがどういう街であるのか、これは今更いうまでもない話しですが、LGBTの聖地だという人もいますね。しかし、この街は本来日本一のゲイタウンなんですよね。今は不況で分かりませんが、当時は多くのゲイバーが女性立入に制限をかけていたものですし、本当に女性を嫌う人間が多かったものです。

 

 それでもゲイバーやコミカル系のオカマバーは当時から一部の女性には人気があったもので、とりわけ、ユミコさんの女性からのモテようは凄かった。これはあくまでも私の独断で気を悪くする方がいたら申し訳ありませんが、ホストにはまる女性よりもゲイにはまる女性の方が知的水準が倍くらい高いようなイメージを抱いたものです。

 

 ある土曜日の早晩のことです。早晩といっても、界隈のゲイバーは殆どが8時頃から開店して朝までやっているわけで活況を示すのは日付が変わる頃です。その先輩と二人で暖簾明けからコーヒー焼酎を吞んでいた私ですが、その先輩、私に奇妙な事を口走ったんですよね。

 

 「そうだ、レイン君。今夜は面白い店をキミに紹介しようじゃないか。」

 

 腕時計を見ると、まだ九時を少し回った時間帯でした。

 

 「面白い店ってなんですか。」

 

 「多分、人生観が変わるに違いない凄い店だよ。」

 

 先輩は意味深に笑い、カウンターの中のユミコさんに視線をなげかけます。

 

 「もしかして、シックスナイン?」

 

 ユミコママが口に右手を添えては微笑みます。

 

 「いや、この店で十分に人生観変りましたよ。もっと強烈な店があるんですか。」

 

 「フフフ、俺も最近行ってないんだけどな。せっかくだから行こうや。」

 

 先輩は腰を上げようとするわけで、どうやら、ユミコさんの水商売の師匠筋に当たる方がやっている界隈のバーらしいのですが、三回行けば人生観が変わるはずだと、先輩もユミコさんもいいます。

 

 好奇心の強い私が断るわけもなく、ついていくことにしたのですが、どうも「シックスナイン」という言葉が脳裏にこだまして、妙に落ち着かない気分になったのは事実でした。

 

 「シックスナインって、そこに行ったら、誰かとシックスナインをしなきゃならないとか、そういうわけじゃないでしょうね。」

 

 ハハハ、二人声を上げて笑います。

 

 「永遠のシックスナインよ。」

 

 艶然と笑うユミコさんの言葉を聞き、更にわけの分からなくなる私でしたが、確かに人生観が変わるようになったのは事実でしたね。