2021年07月27日

これからの「鍼灸の効果」の話をしよう(前編)

7月22日(木)にルート治療の代表者である白川先生と対談をしました。とても有意義なものとなりました。
経緯についてはコチラにまとめてあります。


(7月30日まで視聴できます)


「効果」の解像度を上げる


今回の記事では効果をテーマにします。理由は、対談を観た鍼灸学生さんから指摘されたからです。noteに綴られた文章は丁寧で好感が持てました。学生さんに聞いてほしいと思っていたので嬉しいです。対談をしてよかったと心の底から思います。

一部を抜粋します。
捉え方がかなり違うお2人が、対談の中で使われていた「効果」の定義というのは共有されていたのか。そこがすごく気になりました。
共有されていないで話を進めると、お互いのマウント合戦のような印象を与えかねないからです。加えて建設的な議論として成り立たないからです。
「効果」という言葉の解像度をもっと高くしてほしいなと素直に聞きながら考えていました。

「ルート×整動鍼 対談」を見た鍼灸学生が抱いた素直な意見より)


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確かに対談中に「効果」という言葉が何度も出ていたと記憶しています。指摘して頂いた通り、本来であれば「効果」の意味することを定義してから話を展開する方がわかりすいです。でも、僕はあえてスルーしていました。なぜなら、これだけでも大きなテーマすぎて本題に入れなくなってしまうからです。

本題は、それぞれの治療法にたどり着くまでのストーリーを聞き出すことでした。当日はその枠からはみ出ないように話を進めていました。

実は、効果の定義は大好物のテーマです。言いたくて仕方ありませんので、このブログで伝えようと思います。対談動画を観ていなくても読み進められる内容になっていますのでご安心ください。


効果を患者さんが決めるなら


一番大きな問題は、効果は誰が決めるのか、ということです。患者さんが決めるのでしょうか。それが妥当なように思えるのですが、ちょっと待って下さい。

病院でのやりとりをイメージしていましょう。処方された薬の効果の判断は誰が行っているでしょうか。言うまでもなく担当医ですよね。医師の判断は尊重されます。

もちろん患者側としても効果の有無が感覚的にわかります。でも、その感覚はあくまでも判断材料の一部です。

このように考えると、鍼灸の効果は患者さんが決めてよいものか疑わしく思えてきます。たとえば腰痛。1回の施術で痛みが完全に取れるとは限りません。数日経って痛みが半分程度になっていたとき、患者さんは「まだ痛いです」と言うでしょう。

1回で痛みがゼロになった人の話を聞いていれば、痛みが半分程度になった程度では「効果なし」と考えるかもしれません。症状によっては数日で痛みが半分になるのは十分な好転ですので、「効果なし」と判断されると困ります。

実際にこんなやりとりがあります。

「どうですか?」

と尋ねて

「全然変わっていません」

と返されることがあります。

「では、前と同じくらい痛みますか?」

と聞き返すと、

「前よりだいぶいいんですけど、まだ痛いんです」

と返ってくるパターンは数えきれません。

患者さんは、ペインスケール(痛みの程度)を意識するとは限りませんから、施術者は意識して聞かなければなりません。実際の臨床では、つらい症状がゼロになっていなければ「効果がない」と答える方は少なくありません。患者さんの言葉は尊重しますが、実際の状況が感情の膜に包まれることがあるので要注意です。


効果を鍼灸師が決めるなら


こんどは、鍼灸師が効果を判断してよいと仮定してみましょう。この場合、患者さんの感覚は無視して、検査の結果など客観的な事実を材料に判断することになります。結果が良ければ効果ありとされます。患者さんが「まだつらいです」と言っているとしてもです。

畑が変わりますが、客観的なデータだけで効果を判定できるものがあります。ワクチンです。接種しても発症する人はいます。でも、その一例でワクチンの効果が否定されることはありません。効果は集団を対象にして統計的に判断されます。人の感覚に頼ることなく効果が判定できるので客観的です。


感想を集めても効果の証明にはならない


鍼灸の効果はワクチンのようにデータを集めて評価しようと思っても社会的な基盤がありません。客観的な証拠を示すことが難しい場合が多いため、臨床では患者さんの主観を大切にします。患者さんの訴えや感覚を尊重しなければ成り立ちません。このように考えると悪いことばかりではありません。悪い面としては、いくら患者さんから好評を得たとしても、エビデンス(科学的根拠)はないと言われてしまうことです。証明するには、統計的な処理が必要です。

鍼灸の現場では、「鍼灸はこんなに効くのだからもっと広がった方がいい」と言われることがよくあります。私も同じ気持ちです。ただ、その「効く」を証明することができない限り、ある患者さんの感想としか言えません。

ただ、その感想も大きな力を持ち始めています。今や鍼灸院もネットの口コミで評価される時代です。

鍼灸師の「効果ありますよ」より、患者さんの「効きました」の方が確からしいと考える人が多いです。もちろん、その「効きました」は効果の証明にはなっていませんが、その言葉で期待を抱きます。エビデンスが乏しい鍼灸において、良くも悪くもクチコミが鍼灸院の評価です。


感じる効果、感じない効果


効果には、感じない効果と、感じる効果に分かれます。たとえば、ワクチンであれば抗体の数値に変化が出れば「効果あり」と言えますが、その効果は感じることができません。これに対して、鍼灸では、何らかの数値が変化していても、患者さんが好転した実感がなければ「効果あり」と言っても納得してもらえません。

鍼灸の臨床では、ほとんどの場合感じる効果のみが評価されると考えてよいでしょう。つまり、患者さんの実感のみ効果として評価されます。例外も挙げておきましょう。突発性難聴は聴力が数値化できるので、変化を客観的に判断できます。ただし、厳密に言えば、変化の確認であって鍼灸の効果であるという証明は困難です。


認められない効果


感じる効果しか認めてもらえないという現実を受け入れると、どうしたら効果を感じられるのかと考える必要があります。

患者さんは身体に変化が起きても気づかないことが多いです。学生のときは、こんな視点で考えることもありませんでした。教科書通りにやれば、患者さんが教科書通りの変化を勝手に感じて喜ぶものと思っていたからです。

第一の問題は、効果を術者がよくわからないことです。たとえば、脈診というものがあります。私は、鍼灸学校の1年目から練習をはじめて、プロになってからも練習を続けていました。実際の臨床でも用いていました。

施術中に脈の打ち方は変化します。脈拍数だけでなく脈の印象が変わります。ただ、脈はさまざまな条件で変化するので、その変化が鍼灸施術によるものなのか判断ができません。変化が一過性であることも多いです。この変化は指で感じているものですから、あくまでも個人的な感想です。しかも、脈の変化は患者さん自身はわかりません。

症状との関連性もあいまいです。脈は変わったように感じるのに、痛みは全く変わっていないという状況が普通に起こります。これが第二の問題です。

ですから、脈の変化は鍼灸の効果として認めることが難しいです。

効果判定の手段として「脈診は伝統だから」では不十分な説明です。科学技術の水準が現在とまったく違う時代に行われていたことが現在でも同じ価値を持つかどうか疑問を持つべきでしょう。特にこれから鍼灸師になる学生は、脈診の意義を慎重に考えてほしいと思います。

後編へ続く)


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yoki at 00:46│Comments(0) 鍼灸 | 仕事日記

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