2022年10月24日

活法から学ぶ鍼灸師の作法

活法から学ぶ鍼灸師の作法


今回は鍼灸師の作法について書きます。

良心的な鍼灸師が苦労する理由


作法と言ってもピンと来ない方が多いのではないでしょうか。患者さんに親切にする、丁寧に触れる、患者さんの気持ちを考えて言葉を選ぶなど、臨床家の心構えとしてぜんぶ大切なことですが、今回はそういう話とは違います。

作法とは、普遍的なルールです。施術者の心のあり方ではありません。具体的な動作や手順です。体の使い方、言葉の使い方の話でもあります。

患者さんの立場では、施術者というのは「いい人」であってほしいと思うはずです。ただ、現実的には「いい人」では成り立たないというか、患者さんに必要とされないという現実があります。私は「いい人」がこの仕事を辞めてしまう光景を何度も見てきました。

結局のところ「いい人」が「結果を出せる施術者」とは限らないのです。「いい人なんだけど…」と患者さんは離れていってしまいます。患者さんは対価を支払うわけですから、見返りとなる結果を望みます。

「いい人」には誰でもなれます。専門家としての技量は関係ありません。わかりやすい例でいえば、料金を相場より低く設定することです。「良心的」という評価を得やすいです。ただ、この「良心的」という評価が結果に対する評価に直結するとは限らないのです。

鍼灸院という事業を持続していくためには、結果に対する評価が必要です。鍼灸師として続けていける人も結果に対する評価が高い人です。繰り返しになりますが「良心的」という評価は、鍼灸師を続けていくパワーにはならないのです。

鍼灸師は「いい人」になる必要はないと思います。誤解しないでください。患者さんに嫌われる「嫌な人」でもかまわないとは言っていません。わざわざ嫌われる人になる必要はありませんし、嫌われたら仕事はなくなります。

私はこう考えます。目指すべきは「いい人」ではなく「信頼したくなる人」です。と、ここまでが今回のテーマの前置きです。信頼はどこからやってくるのかを考えると「作法」が一つの結論になるのです。


作法には型がある


作法は具体的な所作で具体的な言葉遣いです。具体例をいくつか挙げてみます。患者さんの体の一部、たとえば腕や脚を持つとき、作法を身につけている人は下からすくいます。上からつかむようなことはしません。ここにわかりやすい動画があります。



上からガバっとつかまれるのと、下からすくわれるのでは、受ける側の印象がまったく異なります。正確な言葉で表現できませんが、前者は物として、後者は人として扱われているような違いになります。

置くときにも違いが出ます。作法ができる施術者は、持った腕や脚を置く時、着地を見届けるまで手を離しません。落とさないまでも、わずかでも着地前に離してしまうと、大切にしてもらっていないように感じます。
同業者の施術動画を観るときは、必ず作法を観るようにしています。こうした作法は、共有されているわけではありませんから、あくまでも私が思う作法でしかありません。ただ、完全に個人的なものかといえばそうではありません。


活法から作法を学ぶ


私は15年前に活法(かっぽう)と出会いました。

活法(かっぽう)は「古武術整体」です。活法の起源は日本の戦国時代と言われています。ちなみに当時は「整体」という言葉はありませんでした。「整体」は昭和に生まれた言葉です。あっという間に広がり、多くの徒手療法が「〇〇整体」と名乗るようになりました。「古武術整体」という表現もそれにならったものです。

活法は殺法の対義語です。広い意味でとらえると、人を活かすものはすべて活法です。前述の作法も活法の一部と言えます。狭い意味では、身体を調整する方法や手順を指します。

ときどき「活法は殺法の対義語です」と説明すると怖がる人がいるのですが、殺法の正反対の言葉なのでやさしい意味の言葉です。

私は、この活法から作法を学びました。出会ったときの衝撃ははっきり記憶に残っています。施術という仕事に対する意識が一転したのです。「これって鍼灸師全員が学んだ方がいいんじゃないか」と思うほどでした。その言葉通り、2009年には活法の普及を目指して活法研究会という会の立ち上げに携わりカリキュラムをつくり講師を担いました。

そうした過去があって今があるわけです。今となっては「活法いいよ!」と言うとポジショントークになってしまいますが、私の人生を変えたことものであることは間違いありません。もし、活法と出会っていなかったら整動鍼は生まれていません。

活法をやらなくても作法は学べます。ただ、作法の効果は活法の方が断然実感しやすいです。なぜなら、作法の有無で技のキレが雲泥の差になるからです。

鍼灸でも差は出ますが、患者さんの体に力が入っていても施術が成り立ってしまうので、重要度や必要性に気が付きにくいのです。

活法では、作法を蔑ろにすると技が成り立たないので、嫌でも重要度や必要性に気がつくのです。活法は道具を使わないため、ごまかしが通用しません。上手下手が視覚的に見えるので、技術が丸裸にされてしまうのです。


臨床の戦闘力が上がる


作法は、立ち位置のような空間の使い方から、言葉かけのタイミング、言葉の選び方、発声など言語の活用など多岐にわたります。こうしたものは、整体であろうと鍼灸であろうと関係なく臨床の現場で生かされます。臨床での戦闘力がアップします。

整動鍼が生まれてからは、整動鍼を最初に学ぶ人が多くなりましたが、根本を学びたいという方が活法を学ぶという流れが出来つつあります。

先週も活法セミナーを行いました。そのときは、基礎編に属する腰痛編でした。二日間、鍼を使わず活法の技の練習をしているわけですが、不思議とその後鍼も上手くなるのです。

twitterもよろしくお願いします。
https://twitter.com/kuri_suke

はりきゅう養気院(群馬県/伊勢崎市)
はりきゅうルーム カポス(東京/品川)
整動協会(鍼灸師のための臨床研究会)




yoki at 14:50│Comments(0) 活法 | セミナー

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
月別アーカイブ
記事検索
全記事にコメント歓迎
これから読みたい本