8月12日といえば、日本人にとっては日航ジャンボ機墜落事故として忘れられない日ですが、実は世界三大美人の一人に数えられ〝絶世の美女〟といわれた、
クレオパトラ7世フィロパトル
Cleopatra VII Philopator
の命日でもあるのです。
とかくユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の恋人というイメージが強いですが、その名が示す通り彼女は古代エジプト・プトレマイオス王朝最後のファラオでした。
クレオパトラといえば、私はどうしても映画 『クレオパトラ』(1963年公開) で彼女を演じたエリザベス・テイラーのイメージが強烈・・・まさに女王様。
彼女が紀元前70年、父・プトレマイオス12世と母・クレオパタラ5世の間に生まれた頃のプトレマイオス王朝では熾烈な権力争いが繰り広げられていました。
クレオパトラが18歳の時に父が亡くなると、遺言と慣例に従い彼女は弟のプトレマイオス13世と兄弟婚(!)を行って共同王位の座に。
王朝存続のためには当時絶対的勢力を持つローマ帝国との同盟が必要と考えた彼女は、当初カエサルと敵対するポンペイウス率いる元老院派を支援。
この時ポンペイウスの子・小ポンペイウスの愛人になったといわれています。
しかしローマとの決別を主張するプトレマイオス13世はクーデターを起こして彼女を国境に追いやり、ポンペイウスをも殺害。
ポンペイウス派を一掃するためエジプト入りしたカエサルは、姉弟2人を和解させようと画策しますが、この時クレオパトラは自分自身を貢物(?)として寝具(※一説には絨毯)に包んでカエサルの元に届けさせます。
そしてその魅力にすっかり参ったカエサルは、彼女を愛人に。
これぞ〝世紀の枕営業〟と言ったら、彼女に怒られますかネ?
この抜け駆け(?)に怒ったプトレマイオス13世はカエサルに戦いを挑むも返り討ちにされ、殺されてしまいます。
そこでクレオパトラはもう一人の弟・プトレマイオス14世と結婚して再び共同王座に就きますが、実質的にはカエサルの傀儡政権として君臨。
紀元前47年にはカエサルとの間にカエサリオンという子をもうけたといわれ、翌年彼が独裁官に任命されるとその戴冠式出席のためローマ入り。
しかし2年後にカエサルが暗殺されると、カエサリオンを連れてエジプトに帰郷。
そしてプトレマイオス14世が亡くなる(※クレオパトラによる毒殺説あり)と、カエサリオンを共同王位に指名。
その後カエサル亡き後のローマで実権を握ったマルクス・アントニウスに近づくと、彼もまたクレオパトラの虜となり、彼女との間に3人の子をもうけ妃のオクタヴィアと離婚。
彼はその後東方へと勢力を伸ばしますが、ローマをなおざりにする彼の行動にローマ市民は失望。
結局オクタヴィアヌス率いるローマ軍とアントニウス率いるエジプト軍が紀元前31年にアクティウムで激突。
ところがこの戦闘中にクレオパトラが戦場から逃げ出すと、アントニウスも彼女を追うという軍人とは思えぬ行動に出てエジプト軍は敗北。
そしてアレクサンドリアに逃れた彼は、クレオパトラが死亡したという誤報に悲観して自殺を図り、結果的にクレオパトラの目前で息絶えてしまいます。
彼女自身もオクタヴィアヌスに捕えられることを拒み、今から2050年前の今日・紀元前30年8月12日・・・コブラに自らを噛ませ、39歳の女盛りで命を絶ったのです。(※服毒自殺説あり)
何人もの武将を虜にし、世界史を変えた魔性の女・クレオパトラ・・・「彼女の鼻がもう少し低かったら、暦胃は変わっていた」 という有名な一節を残したのはパスカルですが、実際はそれほどの美人ではなかったといわれています。
彼女の姿を最も良く描いているとされているのが、このアントニウスが鋳造させたとされる硬貨に掘られた肖像。(↓)
気は強そうですが、(失礼ながら)決して絶世の美女とは言い難い感じ。
男性を虜にしたのは美貌よりも〝小鳥のような美しい声と巧みな話術〟だった・・・というのが真相のようです。
本当にモテる女性は外見より内面が優れている、と言えるのかも。
もちろんそれは持って生まれた才能でもあったのでしょうが、彼女とすれば我が身とプトレマイオス王朝を守るため必死に頭を絞ったのでしょう。
〝絶世の美女〟というよりは〝悲劇の女王〟・・・それを象徴するかのように、現在に至るまで彼女の陵墓は発見されていません。
男性の皆さん、もしこんな〝魔性の女〟に言い寄られたら、どうします?
私はウチの女王様の鬼の形相がすぐ目に浮かび、泣く泣く撤退しますが。