孤 島 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

成田空港からサンチアゴ空港まで飛行機で約22時間。 
そこから更に西へ3,700km・飛行機で約6時間。

日本からたっぷり2日はかかる南太平洋に浮かぶこの島・・・もう皆さんお分かりですょネ。

 

    
 

そう、ミステリー・ゾーンとして、またパワー・スポットとしても有名な

 

 イースター島
   Easter Island

 

この島がオーストラリア大陸を目指して南アメリカ大陸南端を回り太平洋に入ったオランダ海軍提督ヤコブ・ロッヘフェーン提督によって発見されたのが、今からちょうど300年前の今日・1722年4月5日のことでした。

その日がたまたま復活祭当日だったことから、イースター島と名付けられたそうな。

 

この島は、海底火山の噴火によって出来たと思われる火山島。

ここに太平洋の島々に住んでいたポリネシア人が漂着したのは4~5世紀頃といわれています。

彼らは絶対的権力を持つ酋長が統括する部族社会を形成し、神格化された過去の王を祀る習慣があり、その祭祀目的で作られたといわれているのが、有名なモアイ像です。

    


※モアイの〝モ〟は未来、〝アイ〟は生存を表し、「未来に生きる」という意味があると言われているとか。

高さ3.6m・重さ20トンもの巨石を、クレーンもドリルもない10世紀頃にどうやって制作・運搬したのか?

その工夫と労力は現代人の想像を絶します。

やがて島の人口は増え、最初は単一部族だったのが分家し複数になると、モアイの種類も増えて行きました。


しかしそのモアイ像の制作は、16世紀以降突然途絶えてしまいます。

 

その理由は、制作・運搬に必要だった材木の大量伐採が続いたことで土地が痩せ、同時に人口が増え続けて一時は163.6㎢(伊豆大島の2倍、淡路島の約1/4)の島で1万人にも達したため深刻な食糧難になり、土地や漁場を巡って部族間抗争が始まったから。

彼らは守り神であるモアイ像に争いを見せないよう目を破壊し倒した上で戦いを繰り返し、ロッヘフェーン提督が発見した半世紀後の1774年にキャプテン・クックが訪れた時点では、島民は僅か600人しか残っていなかったとか。

 

その後18~19世紀にかけてアイルランド人やフランス人の手によって住民は奴隷として連れ去られ、1872年時点で残された島民は老人と子供ばかり100人余り。

1888年にチリ領となりましたが、第二次世界大戦前にはアメリカや日本に売却の打診があった程の寂れようだったとか。

世界中から観光客が押し寄せる現在とは、隔世の感がありますネ。

 

ところでこのイースター島、観光とは別に注目されています。

 

それは島の歴史が地球の将来を予見し警鐘を鳴らしているかのようだから。 すなわち

【人口の増加と文明の発達 → 自然環境の破壊 → 資源の枯渇と食糧危機 → 争奪戦 → 滅亡】

というサイクルが、人類全体の未来を占っているというのです。😰


確かにその通りかもしれません・・・が、願わくば人類が英知を発揮して最後の滅亡に行きつく前に手立てを講じることを信じたいですネ。

ところで専門家の間で、モアイ像は先住民たちの手で作られたことが定説となっているようですが、私には(ピラミッドを含め)どうしても宇宙人が作ったか、あるいは手を貸したとしか思えないんです。

 ※関連記事は、こちら。(↓)

 

 

皆さんは、どうお考えになりますか?


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