・・・といっても、プロ野球の抑え投手ではありません。
キアヌ・リーブス主演の大ヒット映画 『スピード』(1994年公開) の冒頭で、高層ビルのエレベーターに閉じ込められた男女を、彼が同僚隊員と救出するシーンがあります。
犯人はワイヤーを爆弾で切断して停止させ乗客を人質に身代金を要求したのですが、ここで緊迫感を引き立たせたのがエレベーターの落下防止装置。
もしそのストッパーがなければ、エレベーターは地上に即落下・・・ストーリーは緊迫感のない単調なものになってしまったはず。
さて皆さんは、もしエレベーターにこのストッパーがなかったら、利用しますか?
私を含め、多くの方が躊躇すると思うのですが・・・このエレベーターの安全性を保証する画期的な装置を発明したのが
エリシャ・グレーブス・オーチス
Elisha Graves Otis
今日は、このアメリカ人発明家の命日・没後160周年にあたります。
彼の名前を見て 「あれっ?」 と思った方、多いと思います。
そう、よくエレベーターのドア下ステップやボタン付近に〝OTIS 〟の文字を見かけますょネ。
同社は彼が創業した会社であり、現在世界トップのエレベーター・メーカーなのです。
もともと滑車とロープを利用した昇降機自体は、紀元前の古代ローマ時代から存在したといわれています。
かの有名なアルキメデスが紀元前236年に発明したとされ、動力はもちろん人力(!)😅
そしてこのの昇降機の動力に、人力以外となる蒸気機関が利用されたのは1835年・・・実に2,000年の時が必要でした。
しかしいかに強力な動力を利用したとはいえ、この機械は全くと言っていいほど普及しませんでした。
その原因は・・・危険だから。
ロープの切断等でひとたび落下したら、利用者の生命は全く保障されないのですから、誰しも怖がって利用しなかったのは当然。
その昇降機を一挙に普及させる契機となったのが、オーティスの落下防止装置(調速機)の発明でした。
オーティスは1811年のバーモント州生まれ。
20歳で家を出てニューヨーク州に出てきた彼は、ワゴン車の運転手をして生計を立て、結婚し2児をもうけました。
製粉所や製材所を運営したもののうまくいかず、彼は34歳で人形メーカーに就職しておもちゃ作りを担当すると、その後ロボット玩具の設計などに携わり、やがて独立。
40歳の時に、工場で輩出されるゴミの上げ下ろしに昇降機を安全に利用するため、落下防止装置の開発に着手。
翌年の1852年、遂に逆転止め歯型を利用したストッパー(ガバナマシン)を発明し、翌年エレベーター制作・販売会社 『オーチス・エレベーター・カンパニー』 を設立。
そして翌1854年にニューヨークで開催された万国博覧会で、自ら乗ったエレベーターのロープを切るというデモンストレーションを行い、その安全性をアピール。
これがエレベーター普及に大きな役割を果たしたのです。
1857年には、ニューヨークで初めて乗客用エレベーターが設置されましたが、オーチスはその4年後の今日・1861年4月8日に50歳の若さで死去。
しかし残された2人の息子が1867年にオーチス・ブラザーズ・カンパニーを設立して父親の遺志を継承。
1890年にはパリ万国博でエスカレーターを発表するなど、この分野におけるトップカンパニーの地位を確立していきました。
今後エレベーターに乗られた際にそれがOTIS社製であったら、彼の偉業に感謝してください。
そうそう、映画と言えば2001年に公開された 『ニューヨークの恋人』で、メグ・ライアンが演じる主人公が恋に落ちるお相手の公爵(ヒュー・ジャックマン)は、このオーティスがモデルだとか。