72年録音。パールマンの独奏、プレヴィン指揮のロンドン交響楽団。メンデルスゾーン、ブルッフのヴァイオリン協奏曲です。ブルッフ作品は第1協奏曲。86年にはメータ指揮のイスラエル・フィルとの間でスコットランド幻想曲とともに第2協奏曲を録音しています。3曲ある番号付きのブルッフのヴァイオリン協奏曲。作曲者自身も苦々しく思っていたようですが、演奏頻度が飛びぬけて高いのが第1協奏曲。ブルッフの協奏曲といえば第1協奏曲を指すので、たいてい事足りてしまうのです。それどころか、3曲の交響曲やロマン派には珍しかった室内楽への注力といった主要作品が顧みられることもほとんどありません。チェロの独奏を伴うコル・ニドライがあり、スコットランド幻想曲と3曲がほぼブルッフの実態の全てという様相です。ロマンの中でも室内楽を好んだ。それは、5歳年長であったブラームスへの敬愛からくるものでした。1920年82歳で亡くなるブルッフの置かれた時代は後期ロマン。リスト、ワーグナーも活躍した中にあって、ブラームス的な立場に近接していました。ブラームスは当時の技巧誇示型の協奏曲に不満を持っていいました。そこで独奏楽器を交響的な枠組みの中に組み込んだ響きとしています。ブルッフ作品もブラームスの盟友、ヨアヒムの助言を経て生まれましたが、当時の技巧性も考慮に入れられていて、ヨアヒムはもちろんアウアー、ヴュータン、サラサーテといった名士のレパートリーにも組み入れらました。作品の生まれたのは1866年。作曲者28歳のときの作品で、ブラームスの協奏曲の1878年に先行します。ブラームスの協奏曲の年にはチャイコフスキー作品も生まれています。ブルッフはブラームスに近接している一方、歌劇も書き、教育者としては合唱音楽にも注力。ブラームス的な保守的な音楽の志向があったわけですが、第1協奏曲は若書きのロマン的な志向を受けています。第1協奏曲のみ焦点があたるのを苦々しく思っていたのも当然で、作品もブラームス的な世界からは遠い。
 
パールマン盤と同年にはキョンファの勢いを感じさせる最初の録音が行われています。こちらは指揮がケンペ。作品はロマン的な協奏曲と、同時に保守的な性向という二つの面があります。パールマンの演奏は旋律偏重のもので、楽器の性能を生かすもので作品という核心に切り込むキョンファ盤とは対照的。ともに再録音が行われています。73年のグリュミオーなども旋律的美音を重視。コーガン、アッカルドなどの録音は、実直な面に切り込んでいています。70年代のパールマンの勢い、特徴といったところがあらわれていて、あらためてこの協奏曲の佳品にも色々なスタイルがあることを気づかされました。
 

 


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