94年2月14日。ドレスデン爆撃戦没者追悼演奏会でのライヴ。コリン・デイヴィス、渾身のベルリオーズの大作レクイエムの演奏です。爆撃は45年2月13日から15日にかけてのイギリスとアメリカから成る連合国軍の無差別爆撃でした。演奏の行われた日も爆撃された日に由来します。多くの難民があり、戦没者の数を明らかにするのを困難にしています。アメリカの作家、カード・ヴォネガット・ジュニアはドイツ軍捕虜として、爆撃に遭遇しました。SF小説という形で体験が挿入される『スローターハウス5』では「通常兵器による空からの攻撃の結果、十三万五千の人びとが死んだのである。アメリカ軍の銃撃爆撃が行った東京空襲では、焼夷弾と高性能爆弾により八三、七九三が死んだ。広島に投下された原子爆弾では、七一、三七九人が死んだ」。小説の発表されたのは69年です。人類の愚行の羅列である死傷者の数を問うことは無意味です。小説の発表の際には、ドレスデン爆撃はほとんど知られていませんでした。連合国も60年代に入るまで、この爆撃を秘匿していたのです。デイヴィスのライヴは、爆撃よりおよそ半世紀。ベルリオーズのレクイエムのドレスデン初演が1897年であり、およそ一世紀を経ての機械的な演奏会でした。ミュンシュと並び、デイヴィスはベルリオーズに集中的に取り組みました。当盤以前の69年、ロンドン交響楽団のものは、今でも壮麗な一枚でしょう。バイエルン放送交響楽団との映像もあります。ロマン派のレクイエム。特にベルリオーズ作品は巨大な編成で知られます。テノール独唱に加え、二百人から成る混声六部合唱。四管を拡大したような管弦楽に、四方に配列されたバンダも加わるものです。ティンパにも八対、奏者十人を要するものです。怒りの日も含み、ヴェルディ作品と並び劇的な作品です。この大きな編成と、静と動の対比。レンジの広さは録音をも困難なものとしています。バンダの配置や、楽器の空間的な配置もベルリオーズの意図していたものでした。デイヴィスの当盤も、13日にも録音が予定されていたのですが、氷点下25度という環境で、録音機材用のバッテリーに不具合が生じて実施できませんでした。異様な熱気をはらんだ機会的な録音はデイヴィスにとっても特別な録音となりました。作品の本質である「死者を悼む」ということに共感の伝わる演奏です。

 

ベルリオーズ的な編成の拡大の志向はロマン的なものでした。その理念が現実をも超えていきます。上演には莫大な費用がかかり、リハーサルだけでも困難なものとします。ベルリオーズの歌劇「トロイの人々」の全曲の響きを作曲家が耳にすることはありませんでした。ロッシーニの「ウィリアム・テル」などと同様、上演の機会も少なければ、盤も限られた数のものとなります。デイヴィスは、そういった特別な歌劇「トロイの人々」をも録音しています。時に理念の先行が、演奏を未成熟なものとしてしまうベルリオーズ作品。幻想交響曲と同様の集中を傾ければ、多くの優れた成果を耳にすることになるものです。

 

 


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