陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

働く人がこの世界を回している

2022-11-23 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

年末近くになると、あちこちで道路工事があります。
夏のイベント開催前には国道沿いの雑草の除去作業もあり、汗だくになりながらの警備員の方をよく見かけます。自転車で通行時に、なるべく丁重に挨拶して通ります。事故に遭わないように、誘導してもらっていると思えば、おのずとそうした気持ちにもなります。

こうした警備員の顔ぶれに、最近は女性も増えてきました。
どちらかといえば中高年が多いわけで。人がよさそうな方が多そうです。組織で生きるのがしんどそうだ、といったような。定職があるけれども、副業としてスポットで働いているのかもしれません。そういえば、コンビニの店員さんも、若い学生さんではなく、すこし年輩者も増えてきました。

大学院時代のフランス語学の講義で、担当の非常勤講師は警備員のバイトをしていた、と話していました。
学者の道に進むということは、好きなことを仕事にする、ということは一人前になるまでに、とんでもない生活の苦労があると思ったものです。当時の研究室の先輩が、ほぼ無給で、教官の発行する研究誌の編集作業や学会準備やらと手伝っていたのを見るにつけ、家庭が豊かではない私は、研究人生を続けることに迷いが募ったものでした。

自分の名前が残る仕事、それは理想だけれども、自分の研究が誰かの人生に役立つことはあるのだろうか、と疑っていたのです。
モノとして、自分の名をつけたカタチで残すことは可能であっても、はたしてそれは、自分以外の人間のこころに刻まれるものであるのでしょうか? むしろ、誰にも、そのひとの功績だとは顧みられない、けれどもそれでもその仕事を果たさなければ誰かが困る、と思って働く人の仕事こそが、ほんらいは尊いのではないでしょうか。

ある日、現在の勤め先に求人応募の電話がかかってきました。
「なんでも軽作業でいいから、働かせてください」との必死の女性の声。会社が最近、自治体と共同開発した商品を販売しているので、名が知られたのでしょうか。専門技術が必要な職種の応募枠だったのですが、その方は未経験。ただ、やる気がありそうなので、経営者は面接をすることに。その結果は…残念なことになりました。

きちんとスーツを着て、挨拶も丁寧にする、真面目そうな女性でした。
たぶん、お役所の非正規の事務仕事をされていたような感じの。年末も間近にどんな思いでお仕事を探されていらしたのだろうか。かつての自分と重なったのです。

「誰でも雇ってくれそうなお仕事だから」「とりあえず繋ぎで生活費稼ぎのために」「この中小企業ならば私でも大丈夫だろう」
そんなふうな応募者の意欲は、面接官には見透かされてしまいます。古い企業ほど長く腰を据えて働いてくれる方を欲しがるわけで、なおかつ、その会社にはいないような特性を持った人ならなおさらいい。ですから、採用されるかどうかは、相性の問題もあるわけです。経営者とたまたま同じ母校だったから、とか、そんな理由で採ってもらえることだってあるのですから。この会社で働けそうかどうか、は会ってみないとわからないことがあるわけです。

適職にありつけるのは、本人の技能や適性もあるだろうが、運も左右する。
私はつねづね、そう思っています。けっして、本人に問題があるから、職に巡り合えないわけではなく。会社が求める人材にたまたま合致しなかっただけ。正社員にするなら、おいそれと解雇できませんから、雇うほうもかなり慎重になりもします。

いまの勤め先は、従業員の平均年齢が高く、障害者の方も幾人かいます。
健康を害される方や、介護や育児など、家庭の事情で休まざるを得ず。さらにここにきて、コロナ感染者も出たり、主婦パートの人が時短勤務を希望されたりで、現場の負荷はかなり重くなっています。もうすこし人数に余裕があればいいものの、専門技術が必要な職種は経験者採用なので、誰でも雇えるわけではないのです。

私自身も、毎月、従業員の皆さんの給与計算や経費の精算をする身ですが。
仕入先の原材料や資材の価格高騰やら、得意先の商品取り寄せの催促などの厳しさに立ち会っていますと、「給料が少ない」「休みが欲しい」という声があっても、何も言い返せないのが現状です。管理職クラスは有休もままならず働いていたりする。まだ、会社がしっかり毎月給与を支給し、賞与も出している、有休もそれなりに認めているだけマシだと思っています。

従業員の皆さんが、全員、元気ですこやかに働ける環境を維持する。
それが総務たる私の務めだと思っています。ときおり、この初々しい目標は挫けそうにもなりますが。

休日に公園に出かけると、掃除をされている方を見かけます。
退職後にボランティアをされているのでしょう。金銭が発生しなくとも、誰かが気持ちよく暮らせるためになにかをすることもまた、働くことではないでしょうか。同居人との家事の分担にしてもそうで、いくらスキルが高くてもひとりの時間は限られていますから、誰かの手を借りないことには、この世界は回らなくなります。

けっして、自分ひとりの自己実現のために、自己利益のためだけに労働をするわけではない。
他人の負担を軽くするためにどうすればいいか、考えて行動することが、労働者たる務めなのだと、この勤労感謝の日には思ったわけです。

来年も再来年も同じような気持ちで、同じような状態で、この日を迎えられることを願っています。

(2022/11/23)




この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いい夫婦の日に観たい映画「... | TOP | ヲタクがネットで生存戦略し... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 仕事・雇用・会社・労働衛生