こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

忘れたころにやってくる

2024年04月18日 | Weblog
選択を間違えたとしたら、それはどこでしたか?私はどの地点で間違えたのでしょう?ここ2,3年、絶えず自問してきたような気がします。人生を振り返りつつ、あそこだったかな?いや違う、もっと別のところにありそうだ。。。なかなか答えは得られませんでした。けっきょく、それはどうでもよいことで、今ここから、これからの選択をよく吟味すればよいだけのこと、答え探しは止めにするというところで落ち着いていたのですが。

どうでもいいやぁと求めるのを止めると、やってくる。以前にもあった気がしますが、自問していた答えが思いがけないかたちでやってきました。

小さな私の思考だけでは絶対に辿り着けなかったであろう答えが、今朝目覚めて直後、ぼんやりした思考の中で、くっきりと浮かび上がってきました。

そこは本当に微細な場所で、私の頭では到底見つけられない、見過ごしていたような場所です。あの場所で(地点で)、あのようなな選択をして(別の選択肢があるなど思いもよらなくて)、あのような選択の傾向を積み重ねてきて結果、今こうなっているということに深く納得します。

人生は小さな選択の積み重ねの上に成り立っているとは、本当にそうです。今朝の強烈な気付きを境に小さな選択の傾向に変化が生まれて、ちょっとずつ軌道が修正されていくとしたら、その時は今より自問の答えが迅速に届くようになるでしょうか。そんな気もしますが何れにせよ、身体が知るベストのタイミングで答えはやってくるのでしょうね。
(2024/4/16)
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生き甲斐の心理学:無意識の意識化、人の身体は神の神殿

庭の草花2024/4/18 
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この頃、感じたこと考えていること

2024年02月27日 | Weblog
今季をもってキャメル色の厚手コートを処分することにして。そのサヨナラの準備しているときの心身の流れが、ほぉ、、この感じは面白いと興味を感じて、その20分ぐらい(わかりませんがたぶんそんなところでしょう)に起きた心身の流れを思い出しては、何が起こったのか?解釈を楽しんでいます。

なかなかよいボタンだから取っておこうとボタンを本体から切り離してみたけれど、外してみたらそうでもなかったと取っておくのを止めにして。分厚いコートは出来るだけコンパクトに丸めるように袋に詰めてと、体の動きは迷いなくサクサク事を進めていきます。出合って10年余り、どんなモノともそれなりの物語がありますが、物語に引っ張られてコートを手放せなかったのかなと思います。

物語に引っ張られながら事を進めるときは、なんとなく心が重たいものですが、今回の軽やかな流れはたぶん物語を忘れて身体に任せてしまったのがよかったのです。身体は物語に関係なくどうするのが一番良いのか、わたしにとって何が最善かを知っていて最良の道を指し示してくれますが、大抵の場合、物語にぐるぐるして身体に聴くのを忘れていることが多いということでしょう。

身体は物語に関心がないって⁈、、いやいや物語は思考の領域と役割分担しているだけ?、、あれこれと楽しく考えます。
(2024/2/22)
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生き甲斐の心理学:思考と感情と行動、自己覚知、五感と体感

霜の朝 2024/2/17

モノガタリ?カンケイニャ~ィ?/30年以上経つコートは現役続行
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久しぶりによしなしごと

2024年02月09日 | Weblog
どよ~んと低空飛行していても一晩眠れば気分が切り替わる、、このようなことが以前はしょっちゅうでしたが今朝はこの感じが久しぶりにありまして。ここ数年は低空飛行に落ちこむようなことが殆どなくて忘れかけていた感覚ですが、その感覚に今朝は救われました。目覚めて真っ先に目に入ったのがオレンジの月の光。わりと近くにフクロウの声も聞こえてきて、意識がはっきりしてくるにつれて鉛のように重たかった体と心の方も少しずつ起床モードに。ああ切り替わった。たすかったぁ、やれやれと思いました。

友人がなぜかフクロウのことが気になりだして、いろいろ調べたけれど飼うのはちょっと無理なので、とりあえず小物を集め出しているそう。年末に会った時は見つけたフクロウのボタンをブローチに仕立て楽しんでいました。私も見回せばけっこうフクロウの小物があって石のペンダントトップとか木彫りの置物など海外旅行のお土産とか頂き物ばかりで、どれも30年くらい経っています。特にリクエストした覚えもないので、たまたま身近にいた人たちのフクロウ萌えの時期が重なったということなのか。わかりませんがわたし自身長い年月を手放さず(出番がなくて引き出しの奥に置きっぱなしの栓抜きとかも)持ち続けているのはフクロウに何か感ずるところがあるからなのでしょうか…?わかりませんが。
(2024/2/6)
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*生き甲斐の心理学 五感と体感、幸福曲線、アイデンティティの統合

歌会始めの披講がテレビから流れると「なんだ、なんだ⁈」初めて聞いた音(周波数?)にびっくりするニャンズ/ペンケースに付けた根付 猫と梟って似てる、、
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よく眠れています?♪

2023年12月19日 | Weblog
一週間ほどよそのお宅で過ごす機会がありました。一泊目こそ慣れない寝具と環境(気候諸々)のせいで落ち着かない感じがありましたが、通してみると意外とよく眠れて、自宅より眠りの質がよかった気がします。自宅よりよく眠れるってどういうこと?何が違うのか?疑問を感じ、あらためて自分の睡眠をふりかえってみて思うところがありました。

安眠が得られるかどうか。それは一日の心のあり様、思考の流れがどのようなものであったかが鍵になるようです。今回は半分客人として、その家のやり方に合わせて今ここで自分が出来ることは?と考えることが大半で、これは平素の思考の流れとは全く違います。平素、考えるともなく考えている過去や未来に関する思考(左脳由来の?)が消えて今ここを考えて行動することが大半だった、それがよかったのでしょう。

全体の調和をイメージしつつ今何をするか考えて行動していた気がします。我が家の日常でもそのような思考の流れを意識すれば、睡眠の質が変化するかもしれません。そんな可能性を感じながら過去の安眠に至る軽やかな心身の流れを時折思い出しています。
(2023/12/17)
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*生き甲斐の心理学〈46〉役割遂行
現実吟味力/アイデンティティの統合/信頼感

夜明け関門海峡にて、千仏鍾乳洞 2023/12/9
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土壁と、人生の旅

2023年11月03日 | Weblog
読み終えたロシアの小説とはまったく毛色の違う本、日本の土壁に関して深く掘り下げた本を読み始めました。土壁のことしか語っていないのに、日本の左官の手仕事の世界に触れながら、それが人が生きること、人生のあれこれにいちいち重なってくる感じでこの本は何なの?読み出して直ぐになんとも不思議、うれしくヨロコバシイ不可解を覚えました。

ふう、、と深呼吸しては一つ前を読み返して、馴染みのない固有名詞を調べては声に出して読み返してみることを繰り返していますが、繰り返しながらじわじわと細胞に染み込んでくるような気もして。知識は全然入ってきません。染み込んでくるのは知識よりも大切な何かであるのは確かで、言葉に出来ないもののような気もします。頭に入ってくるのではない。身体にダイレクトに染み込んでいるのでしょうね。と、思っています。

ところで旅好きの友人が来週から奈良方面へ出かけるとのこと、なんとタイミングの良いことか。高野山、吉野、三輪山、若草山を歩くといいますが、にっぽんの心、土壁の便りがきっと届くような気がしています。
(2023/11/3)

10月27日大粒の雹が降りました、、、
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音読の秋、、

2023年10月03日 | Weblog
猫のカンちゃんは隣室から聞こえる話し声に何やら落ち着かない様子、左前足で私の腕をトントンとタッチして「撫でて撫でて」と要求してきます。思ったよりも早い時刻のお客さまに、私も楽しみにしていた読書は後回しにすることにします。一年かけて読み進めてきた長編小説は三分の二を過ぎたあたりから、どんどん面白くなって今日あたり読み終えられそうです。

思い返せば一年前、知人宅の玄関先で譲渡会のために集まった本の山の中から好きなだけ選んでと言われて、もう本はそんなに要らないなあと思いつつも吸い寄せられるように文学全集の一番上にあった本に手が伸びてしまったのは、何といっても時節柄というのが大きかったように思います。

登場人物の名前が覚えられなくて前に戻っては確認してその繰り返しでしたが、冗長な前半を耐え抜き(?)なんとか読み通せたのは音読を取り入れたのがよかったのかもしれません。オソレとカナシミ、前面にくる非人情と垣間見える人情と、音読しながら知らず知らずあらゆる感情になりきってしまう。。。言葉を発して自分の声を聞きながら終盤にはロシアの難しい人名や地名も滑らかに発することが出来るようになって、本当に脳と体のよい刺激になりました。

さて客人は去りカンちゃんも眠ったところで、残り少ない音読を楽しむことにします。
(2023/9/30)

「悪霊」池田健太郎訳 中央公論社 昭和44年11日初版発行
10月2日朝、アケビの実と名残のアサガオ 
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今がいちばん好い

2023年09月26日 | Weblog
なんとなく秋分を目安に励んできました。秋分の日は大木の下で一人お茶会をしようかな。。。大きく育った木々の下、庭のあちこちに積もった落ち葉や腐葉土をせっせと集めては堆肥コーナーへ運ぶ。毎日毎日雑草取りと落ち葉集めに励みました。でも秋分が近づくにつれてお茶会のイメージは薄れ、したいことも浮かばなくなって、まあ別に特別なことをしなくても、次の節目までまた庭のお掃除に励みましょっと、そのような感じで朝を迎えました。でも一日の終わりにはこれまでにない軽やかさを覚えて、ああ嬉しい。ちょっと特別な秋分の日になりました。

その軽やかさは肩の荷が荷が下りた、この表現がいちばん当てはまります。誰かが荷を下ろしてくれたわけではなく自分で下したわけでもない、ただ荷が下りたとしか言いようがないのですが。。「私」が成長する中でどんどん重たくなっていたもの。杞憂の固まりのようなもの。重い重い下ろしたいと思っている時には下せず、もうどーでもいいやと(そう思った覚えもないのですが)忘れていたら荷下ろしが起こったみたいな感じ、おもしろいものですね。
(2023/9/24)
 ためこんできた過積載の解消、、
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誰が、私している?

2023年08月29日 | Weblog
いのちが、私している…過去のブログ(2022/02/02日付)の表題が目に留まりました。いのちが、私している・・・言葉が書いた当時より深く響いてくるのを感じます。

いのちが、私している。いのちが、あなたしている。いのちが、彼してる。彼女している。同じいのちが、私して、あなたして、人間だけでなく、猫も犬も花も、生き物だけでなく石だって。あれもこれもそう。そう思えば、そんなにオソレルこともないじゃないと身体が好い感じで緩んでくるのを覚えます。小さな私が身体を信頼してその声に耳を澄ませると、いのちが私しているヨロコビがふつふつと湧いてきます。

「私」をぐーんと身体まで引き延ばしてイメージするときは「私が、いのちしている」になっていますから、それは疲れるはずです。これに気付いてクスっとしてしまいました。このイメージで長くやっていれば(生きていれば、、)それは消耗するはずです。正しくは、いのちが私しているです。たぶん大きないのちの部分が、私しているのです。
(2023/8/23)


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私は、身体のどのあたり、、?

2023年08月26日 | Weblog
ときどき「私」と心の中で呟いて、身体のどのあたりに私を感じるか確かめてみることがあります。確かめようと意識することで別の場所にさまよい出ていた「私」を定位置に戻すわけですが、「私」の在るべき場所は胸の真ん中あたりと感じます。

あるとき自分がこころを統合させるときに「私」を身体的にどのように感じているのか思い返してハッとしました。「私」を身体全体に大きく引き延ばしたようなイメージを感じて、そのようなイメージはかえって抑制、抑圧の温床になるのでは??「私」を身体の大きさに拡大するイメージはとりあえずの対処法として効果があっても、ありのままの感情を意識に上げるのは難しくなるのではないかと、そんな気がしたのです。

そのような気付きがあって、統合するときの「私」の身体的なイメージは拡大でなく胸のあたりに感じる小さな私のまま統合するイメージに変わりました。身体を信頼しないと小さな私の統合は叶いません。

折に触れて身体感覚で「私」を確かめる、身体感覚に落とし込むことで自分の望む方向へも進めると感じます。
(2023/8/16)
メダカに興味津々のカンちゃん
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今ここ、、

2023年08月23日 | Weblog
色づいた一本のホオズキを雑草の中に見つけました。ホオズキにはこれがピッタリと朱色の実が映えそうな陶器に挿しますが思うような形になかなか収まってくれません。安定をよくするために底に石を入れたり小さなグラスを仕込んでみたり、いろいろ試しましたが最後は焼き締め陶は諦めてガラス器の一輪挿に落ち着きました。

この間ああでもこうでもと30分以上やっていたことになりますが、なんと集中した時間だったことか。自動的に起こる思考が介入する余地のないこのようなひと時、、、朝食がいつもより30分遅れましたが、そんなことには代えられない、こういうのが大事なんだなぁと妙に感じ入った朝でした。
(2023/8/12)

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