ごきげんよう、まんきんたんです。
日本最古の神社と言われる「大和神社(おおやまとじんじゃ)」を参拝しました。
現代では「大和」と書いて「やまと」と読むため、「おおやまと」であれば「大大和」じゃないの?と思ってしまいますよね。
昔は「和」の1字で「やまと」と読んでいたのです。
「倭(やまと)」という漢字もあり、ヤマトタケルノミコトは「日本武尊命」「倭健命」などと書きますが、大和神社では「和(やまと)」の漢字を社名に採用することにしたのですね。
「大和神社(おおやまとじんじゃ)」の読み方は、古式に則り「大(おお)」「和(やまと)」神社となっているわけです。
ご祭神は、
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)
八千戈大神(やちほこのおおかみ)
御年大神(みとしのおおかみ)
聞き馴染みのないお名前なので、家に帰って調べましたよ。
日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は、もともと「倭大国魂神」と表記していた日本神話に登場する神道の神様。
大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)の異名同神で、大地を守護する神様です。
もともと宮中に天照大神(あまてらすおおかみ)と共に祀られていましたが、崇神天皇(すじんてんのう)の時代に国民の半分が死ぬほどの疫病が流行した際、神威をおそれて二神を宮中の外で祀ることにしたのです。
結果、疫病がおさまり、国家を上げて信仰する神となるのですね。
その時、現在の奈良県桜井市と磯城郡田原本町にかけての地域に移されたのが大和神社神社の創建であると伝えられています。
その後、現在地への移転や火災による消失などいろいろありますが、歴史的には今から約2000年前に創建された「日本最古の神社」と言っても過言ではないわけです。
なお、八千戈大神(やちほこのおおかみ)は大国主命(おおくにぬしのみこと)の異名同神とされ、のちの大黒様。
御年大神(みとしのおおかみ)は穀物の守護神です。
神階は、寛平9年(897年)には正一位(神社の最高位)を授けられています。
前に紹介した石上神宮(いそのかみじんぐう)も867年に正一位が授けられています。
しかし、平安時代に入ると藤原氏の隆盛により、彼らの氏神・氏寺である春日大社・興福寺の力が増し、その勢力に神領が侵され、中世には見る影がないほど衰退してしまいました。
『最強の神様100』(ダイヤモンド社)にはこう書かれています。
「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)という古代日本の代表的な神様ですから、本来なら最も有名な神様のベスト3に入るはずです。それがなぜか現代ではほとんど目立ちません。第二次世界大戦で日本海軍のシンボルとなった世界最大級の戦艦大和には、大和神社の神様が祀られ、まさに大和魂の神様なのですが、それが戦後日本ではネックなのでしょうか」
まさにその通りで、戦後日本の非軍事化・民主化を進めていたGHQが、天皇を頂点とした精神的な団結力が日本人を戦争に突き動かしたという考えから、日本人の精神的改革のため「神社を破壊すべきだ」という発想になったわけです。
特に戦艦大和の艦内に大和神社の御祭神が分祀されていたことは、決定打となってしまったのかもしれません。
昭和28年に「戦艦大和」と運命を共にした英霊2,736柱の分霊が合祀されました。
しかし、合祀はされたものの長い間、慰霊はされませんでした。
圧力があったのでしょうね。
現在の塩谷宮司の代になり、毎年8月7日「戦艦大和みたま祭」として、慰霊祭が戦艦大和の関係者も含めて行われるようになり現在に至っています。
鳥居をくぐり本殿までの道のりは戦艦大和の全長とほぼ同じ。
神社の長い歴史にあれこれ想いを巡らしながら歩きました。
それより以前、奈良時代には、唐遣使や遣唐使が出発の際に、航海の安全をこの神社に祈ったといわれているのです。
小野妹子、山上憶良も訪れたのでしょうか? 最澄、空海も?
愛媛県にある大山祗(おおやまづみ)神社が日本総鎮守とされていますが、大和神社こそ国土の守護神として祀られた神様なので、「これこそ倭国総鎮守ではないか」の声もあります。
歴史を考えると、その意見になるほどそうだと納得させられるのでした。
70代は奈良県で歴史の流れに沿って、古社や神社仏閣を尋ねる旅をしたいと思っています。
それまでにいろいろ勉強しておかなくては。
百聞は一見にしかずかな
それでは、今日もよい一日を!