彼岸を過ぎてめっきりと秋らしくなってきました。

「今年も残り100日を切ったか…😑」

何度も書いていますが、嫌になる程月日の経つのが早く感じます。もうすぐ五十路か〜…なんて言っている間に還暦を迎えそうです。そうこうしている間に今度はあちらの世界からお迎えがきそうです(笑)。人生なんて振り返ってみればその程度のものです。

ここ最近、芸能界で自ら命を断つ方が増えているというニュースを目にしました。自分よりも若い方ばかりで、なんとも痛ましい気持ちになります🥺

「そのうち放っておいてもお迎えがくるのに。」

毎度この手のニュースを見るとこの言葉が思い浮かびます。でも、本人にしかわからない辛さがある事も理解していますし、毎日が本当に地獄のような日々の方もいるのだと思います。八方塞がりでもう自分の力ではどうにもならない方や、周りを見渡せば四面楚歌で敵しかいないという方もいるでしょう。

どれも共通して言える事は『絶望』なのだと思います。望みが絶たれるという事は、もうそこで立ち止まったままその先に進めないという状態です。万歳お手上げ状態になった時の選択肢の一つが「自死」です。

ただ、他にも選択肢は山ほどあると思うのです。
例えば、他者によってもたらされた絶望ならばいくらでもその相手と戦う術はあります。無理矢理に距離を置くでもいいですし、全力で叩き潰すでも構わないと思います。厄介なのはそれ以外の場合です😑

絶望と戦う術、何も望まずというのも一つです。

望まなければ絶望は訪れない。もしも夢叶わず絶望に襲われたのなら、今まで自分が望んできた事を全て捨ててしまえばいい。多くを望むからその反動で絶望も大きくなるのです。それに耐えきれなくなった時に何かが壊れてしまうのでしょう。残念ながら希望なんてものは「棚からぼた餅」みたいなもので、大抵は叶わないものです。叶うことが「希」だからこそ「希望」なのです。

「気の毒だけど、きっと難しい事ばかりあれこれと考えて自分自身を追い詰めちゃうのかな…🥺」

たしかに日々を生きていく事は大変です。うんざりするような事ばかり続くと嫌になる気持ちもわかります。ただ、人生なんて均してみればいい事も悪い事も平均的に訪れるような気がします。最期まで生きてみないとわからないので明言はできませんが(笑)💦

自分はこう思っています。

「自分の死によって一人でも悲しむ者がいるのなら、自ら命を断つという行為は大罪である。」

人は命ある限り最期まで生きなければならない。そこにどんな意味があるのかなどと考える事自体が愚行です。この世に生まれ落ちた事に明確な理由などないように、今この時を生きる事にも、そしてやがて死を迎える事にも明確な理由などないのです。

「難しく考えないでシンプルに生きようよ😌」

とりあえず腹が減ったら美味い飯を食らい、仕事が終わったら気持ち良く風呂に浸かり、そして一杯飲みながら無事に一日が終わった事に感謝して眠る。

これが人が生きていく主軸です。
それ以外は贅沢なオマケみたいなものだと思えば、少しは気分も楽になるかと思います。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」

秋風に吹かれながらのんびりと。。😌☕️

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オマケの画像(差し入れ篇)

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明日で最終日の新宿西口にあるメトロ街の万世の『万かつサンド』を頂きました😋生きていればこんな嬉しいサプライズにも出会えるというものです。