1978年に「オリビアを聴きながら」でデビューした後は、1981年の「コットン気分」や1982年の「エスプレッソで眠れない」など、杏里らしさを垣間見るような楽曲をリリースしていました。1978年11月5日 「オリビアを聴きながら」の歌詞にある「ジャスミン・ティは 眠り誘う薬」に対して「エスプレッソで眠れない」の眠り眠れない対決に興味もありました。「ジャスミン・ティ」も「エスプレッソ」も1970年代後半や1980年代前半の群馬県の田舎では、簡単には味わうことのできない貴重品でしたので、大学生になるまでは、試してみることはできませんでした。
 1982年リリースの「思いきりアメリカン」や1983年リリースの「悲しみがとまらない」のヒットで、杏里の代名詞となるアメリカ西海岸のイメージが、「角松敏生」プロデュースによるシティ・ポップやAORのアレンジで表現されていたように思います。日本人がアメリカ西海岸の文化に憧れていた1980年代に、真っ青なカリフォルニアの空と爽やかなサンタモニカの風を感じさせるかのような楽曲だったのかと思います。「角松敏生」については、当時はその名前も存在も知りませんでしたが、1980年代後半のシティ・ポップやAORのジャンルで、私が最も好きなアーティストの一人となり、彼の楽曲を聴く中で杏里に回帰することになりました。

杏里 - 思いきりアメリカン


杏里 - 悲しみがとまらない